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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて~リヴァプールとロンドン一人旅日記~(その7) 伝説のキャヴァーン・クラブ

そうそう、ビートルズ伝説を生みだした「キャヴァーン・クラブ」についても書かないといけませんね。彼らは実に沢山の会場で公演しましたが、最終的にはこのクラブのレギュラー・バンドになります。リヴァプールのマシュー・ストリートにあったレンガ造りのこの地下クラブは、元々はワインの貯蔵庫で、第2次世界大戦中は防空壕として使われていました。1957年にジャズ・ファンだったアラン・シトナーが400ポンドで購入し、彼がパリで訪れたことのあるジャズ・クラブにヒントを得てこのクラブをオープンしました。だから、元々はジャズ・クラブだったんですが、程なくその頃流行していたスキッフル(ジャズから発展した音楽の総称。即席の楽器を使って演奏した。)グループの溜まり場になりました。

 

このクラブでは酒は売っていませんでした。その理由は簡単で、最初のオーナーのシトナーが、酒の販売免許を持っていなかったからです(笑)ただ、そのために酔客が暴れるなんてこともなかったので、ミュージシャンや観客にとっては却って良い環境だったかもしれません。

 

ただ、何しろ元々は地下のワイン倉庫ですから湿っぽいし、臭いし、狭いし、窓は無いし、決して快適な環境ではありませんでした。しかも密室ですから、ここで大音量で演奏したらさぞやかましかったでしょうね。実際、ビートルズが演奏を始めると若い女の子たちは熱狂しましたが、おじさん達はその間だけ一時外出を許可するパスをもらって、彼らの演奏が終わるまで他の場所でお茶を飲んでました(笑)でも、ビートルズを初め、エリック・クラプトンジミー・ペイジ、クイーンなどの大物アーティスト達もここから巣立っていったんです。1962年7月1日にはジーン・ヴィンセントという大物のロックンローラーも出演しました。彼は「Be Bop A Lulaという大ヒット曲を歌ったんです。ビートルズは大物と共演できて大感激し、一緒に写真も撮影しました。もっとも、若い女の子達は彼が歌いだしても関心を示さず、「ジーン・ヴィンセント?ごめんなさい、私たち、ビートルズを待ってるの。」と退屈そうにしてたそうです。彼らは、この時すでにそんな大物すら凌いでいたんですね。

 

クオリーメン時代のジョン・レノンが1957年8月7日(この日付には諸説あります)にここで初めて演奏しています(ポールはいませんでした)。シトナーはジョンのことを良く知っていました。彼の実家も近くにありましたから。ジョンは1曲目こそ大人しくスキッフルを演奏しましたが、2曲目からはロックンロールを演奏しだしました。すると1枚のメモがジョンに手渡され、彼は「リクエストが来ました」と読み上げてメモを開けて見ると、シトナーの字で「その忌々しいロックンロールを止めろ!」と書いてありました。彼はロックンロールが大嫌いでしたから(^^ゞ

 

何年も後になってポールはシトナーのことを「嫌な小男だった」と思っていたと発言しています。シトナーは心外だったみたいですね。ブライアン・エプスタインもしょっちゅうクラブに来ていたので、シトナーは彼のことも良く知っていました。

 

その後、彼はクラブの経営に行き詰まり、他にも売れる物があったにもかかわらず、1959年10月にレイ・マックフォールにクラブを売却してしまいます。マックフォールは「もうジャズは時代遅れだ。これからはロックンロールだ。」と思っていました。つまり、彼の方が先見の明があったということです。なので、シトナーとビートルズとのコンタクトはありません。そのためあまりこれまでは注目されませんでしたし、彼自身もそのことに言及することはありませんでした。やっと1998年になって彼は、「私がいなければ、キャヴァーンもビートルズも存在しなかった。」と語っています。

 

ですが、ロックンロールが大嫌いだった彼が経営を続けていたら、ビートルズは演奏できなかったでしょう。その意味では彼もビートルズをブライアン・エプスタインに譲渡したアラン・ウィリアムズと似ているかもしれません。ロックンロールに理解のあったマックフォールだからこそ彼らは何度もここで演奏できたんです。彼は2015年1月に亡くなりました。

 

彼は当時を振り返り、「ビートルズの演奏を初めて聞いてとてつもない衝撃を受け、これは絶対にレギュラーにしなければいけないと思った。ただ、彼らがジーンズを履いているのは気に食わなかった。ジーンズなんて当時はならず者が履くものだったから。だから、ドアマンが入れる入れないでもめてたよ。」当時のキャヴァーンのドレス・コードは厳しくて、ジーンズでは入場できなかったんです。まあ、そのことからしても上品なクラブだったんでしょうね。ジョージ・ハリスンが「だって、僕らは観客じゃなくてミュージシャンなんだからいいだろ?」と説得して何とか演奏させてもらいました。

 

ビートルズは、1961年2月21日に初めてここで演奏し、マックフォールの判断ですぐにランチタイムのレギュラーになりました。彼らは、ここで1963年8月3日まで292回演奏を続けました。その1か月後に彼らはレコード・デビューしました。つまり、ここが彼らのプロデビュー前のいわば総仕上げの場所だったといえます。ここでDJをやっていたのが、前回紹介したボブ・ウーラーです。

 

1961年12月13日に、ブライアンに誘われてデッカ・レコードの新人担当マイク・スミスが彼らの演奏を聴きに来ました。そして、これが後のデッカでのオーディションに繋がります。

 

これは当時のクラブを再現したものです。

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残念ながら、元のキャバーンクラブは、1973年にその場所に新たな地下鉄を建設する工事に伴い、閉店に追い込まれてしまいました( ノД`)シクシク…。しかも、クラブは地下鉄工事の残骸で埋め尽くされたんです。その決定をしたのは当時の市議会ですが、全くこんな貴重な歴史遺産を潰すなんて、その当時の議員や市長は何を考えてたんだろうヾ(▼ヘ▼;)オイコラ

 

転機が訪れたのは、ジョンが1980年に殺害されたことでした。それをきっかけに、ビートルズが残した歴史遺産を大切にしようという地元の機運が盛り上がったんです。1984年にキャバーンクラブは掘り起こされ、使われていた15000個のレンガをそのまま活用して、当時と同じような造りに復活されました。ただ、再開されたものの経営に行き詰まるなど様々な困難があり、1989年に再度閉店してしまいます。それから18か月を経てオープンに漕ぎつけたのは1991年になってからです。今では、アルコールも飲めるクラブとして毎日経営しています。そして、プロ、アマチュアを問わず、多くのミュージシャンがここで毎日ビートルズその他のナンバーを演奏しています。今では、世界中からビートルズ・ファンが訪れる観光スポットになっています。 復刻させたのは大正解でしたね。リヴァプールを訪れたらここは必ず行きましょう。

 

マシュー・ストリートです。「ビートルズの誕生地」という横断幕が掲げられています。

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同じくマシュー・ストリートのキャバーンの看板です。f:id:abbeyroad0310:20150923161330j:plain

現在のキャヴァーン・クラブの入口です。f:id:abbeyroad0310:20150922163324j:plain

 エリック・クラプトンです。

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ジミー・ペイジです。

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クイーンです。店内には他にもたくさんのアーティストの写真が飾ってあります。

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これが公演のスケジュールです。

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ツアーに参加すると、クラブで下のような当時のチケットをデザインしたカードをプレゼントしてくれます。

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私もここへ行ってビートルズ・ナンバーを大声で歌って来ました。それをスマホで録画したはずなのに、ちゃんと撮れてませんでした💦クッソ〜‼︎

(続く)