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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて〜リヴァプールからロンドン〜(その10) ピート・ベスト解雇!

このポスターは、1962年9月14日にビートルズが「タワー・ボールルーム」でライブをやった時のPR用のものです。デビューシングルの「Love me do」が発売されたのがその年の10月5日ですから、正に直前ですね。 彼らはこのホールで27回演奏しています。

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レコード・デビューこそまだでしたが、もうこの頃にはかなり有名になっていました。ですから、彼らのバンド名が一番上に大きく表示されています。「オペレーション・ビッグ・ビート-5th」とタイトルが付いています。ポスターの右上に貼ってあるのは、マネージャーのブライアン・エプスタイン事務所がクラブに宛てた出演させてくれたことに対する感謝を表す手紙です。その下の写真の左側に映っている人物は、ジェリー・リー・ルイスというアメリカのロックンロール、カントリー&ウエスタンの大物で、後にロックの殿堂入りを果たしています。彼の演奏は今でも動画サイトで観ることができますが、ピアノのテクニックは超絶です。彼もここで演奏したことがあります。右側の人物はサム・リーチというプロモーターで、ビートルズを初めてここで演奏させた人物です。ブライアンは、この頃、プロモーションもやっていて、このホールでジーン・ヴィンセントやリトル・リチャードなどの大物(といっても、もうその頃には落ち目になっていましたが)と共演させて、少しでもビートルズを売り込もうと躍起になっていました。リチャードのバックでオルガンを弾いていたのは、若き日のビリー・プレストン、そうビートルズ最後のアルバム「Let It Be」でオルガンを演奏していた彼です。

 
 
そして、ドラマーのピート・ベストです。この青年はビートルズになれなかった男」としてファンの間では知らない人はいません。このレッテルは、その後も彼をずっと苦しめることになります。むしろ、こちらの方が辛かったでしょう。これって芸能界では良くある話ですよね。ずっと鳴かず飛ばずで下積みの時代が続いて、脱退した途端に他のメンバーが売れちゃったとか。もっとも、これにも2つのパターンがあって、本人が自ら脱退するケースと、解雇されるケースですね。中央がピートです。

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ピートの場合は後者、それもデビュー寸前でメンバーから外れされちゃったんですね。当時のEMIレコードのプロデューサーのジョージ・マーティンが、1962年7月6日のアビイ・ロード・スタジオで初めて彼らに会い、演奏を聴いた後で感想をマネージャーのブライアン・エプスタインに対し、「他の3人はいい。音楽性はともかく、強烈な個性を感じる。でも、あのドラマーじゃだめだ。ルックスは一番だし、テクニックもまあまあだけど、カリスマ性がない。プロ・デビューしたいならドラマーを変えるべきだね。」と、強く進言したんです。その結果、デビュー寸前の1962年8月16日にピートは解雇されます。
  
 
これは公式のガイドブックに書かれているものですから、おそらく公式見解なんだろうと思います。ただ、あくまでも表向きの話なので、実際にはどうだったのかは本当はよく分かっていません。メンバーが誰も語りたがりませんしねf^_^;ポールのオフィシャル・サイトで、彼がファンからの質問に答えるというコーナーがあるんですが、彼はこの件に関しては一切語っていません。彼はファンを大事にすることで知られていますが、その彼にしてからがこれですから、当時の関係者にとっては触れられたくない「黒歴史」なんでしょう。ただ、最近ではこの「公式見解」は、ほぼ否定されているようです。後に書きましたが、マーティンがこの事実を否定していますから。ビートルズには謎が多いと書きましたが、この謎はその中でもベストテンに入るクラスです。
 
 

ピート解雇の理由については、様々な憶測が流れていますが、真相は未だに藪の中です。理由として挙げられているのは

・ドラマーとしての技量不足

・カリスマ性に欠けていた(真面目すぎた)

・ブライアンからモップ・トップヘアに変えるよう要求されたのに、リーゼントを止めなかった。

・他のメンバーと馬が合わなかった

  

彼に直接解雇を言い渡したのはブライアンです。これは事実です。彼は、メンバーに通告させようとしましたが、「そういう汚れ仕事をするのがあんたの役目だろ?」とジョンに言われ、しかたなく引き受けました。ピートを呼び出し、「彼らは、君の腕ではもう一緒にやれないと言ってる。」と告げると、ピートは「何で?僕のドラムがダメって分かるまで、彼らは2年も掛かったのか?」と問いました。当然の疑問です。それでも、ピートが大人しく引き下がってくれたので助かりましたね。これがジョンだったら、間違いなく顔面にパンチを食らっていたでしょうf^_^;ピートはその後、様々なメンバーとバンドを組んでプロデビューしましたが、どれも成功しませんでした。結局、ミュージシャンを諦め、職業安定所に勤めることになります。ジョンは、後に「俺たちは卑怯者だった。嫌な役をブライアンに押し付けたんだから。」と語っています。

 

ピートを解雇する際にブライアンからキャヴァーン・クラブのDJボブ・ウーラーが相談を受けました。彼は腹を立てて、何故だと問い詰めましたが、ブライアンは返事をしませんでした。話が脱線しますが、ウーラーは、ビートルズがデビューする前の1962年9月5日にキャヴァーン・クラブのライブをグラナダTVの音響技師ゴードン・バトラーが収録したアセテート・レコードの4枚のうち1枚を持っていました(他の1枚はレイ・マックフォール、残り2枚はブライアンに渡されました)。しかし、ビートルズが有名になった後に盗まれてしまったんです。後にそのうちの1枚がオークションにかけられ、1万5千ポンドで落札されました。彼が持っていた1枚だったかどうかは分かりません。

 

マーティンがピートの実力に不安を感じたのも事実です。セッション・ドラマ―のアンディ・ホワイトを用意することをブライアンに告げていましたから。しかし、マーティン自身は、後年に記した手記「耳こそすべて(All You Need is Ears)」の中でピート解雇には関与していないと明言しているんです。「私はピートを解雇しろなどと言っちゃいない。ただ、最初のレコーディングの時はこっちで用意したセッション・ドラマーを使うと言っただけだ。まさか、ブライアンが彼を解雇するとは思わなかった。」自分の本意ではなかったとはいえ、流石にマーティンもピートには可哀そうなことをしたと述懐しています。マーティンの意向を聞いてからのブライアンの行動なんですが、二通りの解釈ができます。一つは、マーティンがピートを解雇しろと言っていると早とちりした。もう一つは、前々からピートを解雇したいと思っていたところにマーティンの話があったので、これ幸いとそれに乗っかった。要するに、ピートに直接解雇を告げたのがブライアンであったことは間違いありませんから、そういう行動に至った要因は何かということです。ブライアンが類稀なる「戦略家」悪く言えば「策士」であったことからすると、後者かなという気がします。ピートがイケメンだったのが却って邪魔だと思ったのかもしれません。

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ピート・ベストの解雇は、地元の音楽紙「マージー・ビート」でもトップ記事になるほどの衝撃的なニュースでした上の写真が当時の記事です。彼らは既に地元では大人気のバンドでしたし、皮肉なことに、メンバーの中で彼が一番人気だったからです。何しろ写真で見る通りイケメンでしたから。彼のファンは激怒し、なぜ彼が解雇されたのか理由を明らかにしろ、そして誰がこのことについて責任を持っているのかはっきりさせろと騒ぎ立てました。ある日、ジョージ・ハリスンがキャバーン・クラブに出演するためにクラブに出向くと、ファンに頭突きを食らって目に黒いアザを作った事もありました。

 

メンバーが集まると、ファンは、「Pete forever! Ringo never!(ピートは永遠に、リンゴは要らない)」と口々に騒ぎ立て、リンゴもどうして良いか分からず、固まってしまいました。1962年8月22日のキャヴァーン・クラブのライブで、グラナダTVのスタッフは「Know The North」という番組用にビートルズの「Some Other Guy」の演奏シーンを撮影しました。しかし、あまりにも音質が悪かったため放映はされませんでした。ピートが脱退した直後の演奏が終わった後で、「We want Pete!(ピートを出せ)」と観客からヤジが飛んでいる録音が残っています。

 

メンバーの中ではジョージが一番ピートと仲が良かったんです。でも、ピートの解雇をジョンとポールに持ちかけたのも彼だったようです。そのことが彼を長年苦しめることになります。もっとも、後年、彼とピートと直接当時のことを話し合い、全てのわだかまりを消すことができました。ジョージががんでこの世を去ったとき、ピートは最も大切な友人を亡くしたと嘆き悲しみました。

  

このことについて彼らを批判することはできるでしょう。しかし、当時、無名の彼らに対して、レコード会社(ブライアン?)の指示に逆らうことを求めるのは、デビューを諦めろというのに等しいわけですから、余りに酷だと思います。それにプロにはそれだけの厳しさが求められます。ピートは必ずしも練習熱心ではなく、ギグも度々休んでいました。日頃から他のメンバーともあまり交流しませんでした。これに対し、彼らは、それまでも何度かリンゴと共演したことがあります。そしてその度に「これだ。」と言う確かな感触を得ていたことも事実です。つまり「ハマっていた」んですね。

 

ハンブルク巡業の頃に初めてリンゴと共演したのですが、後ろから聴こえてくるドラムのテクニックがあまりに凄くて、ポールは、「何なんだ、こいつは?」と驚き、思わずジョンの顔を見ました。すると、ジョンも同じように驚いていて、ジョージと顔を見合わせていたんです。口には出さなくてもリンゴのテクニックに3人とも驚いたんですね。ですから、彼が正式なドラマーとして迎えられた事はそれほど不自然なことではなく、むしろ、彼らにとっては歓迎すべきことであったに違いありません。ですから、ピートの解雇については彼らは特に抵抗はしませんでした。しかし、結果的にはピートを追い出したということになりますから、後味はあまりよくなかったでしょう。以前からしっくりこないなぁという感触はあったのですが、だからといって解雇するというほどのことでもなかったんだと思います。

 

ピートよりリンゴの方が腕が上でバンドにとって必要だというのは、全員が認めていたことですから、誰が言い出しっぺであろうが引導を渡そうが、関係なかったとも言えます。その後ドラマーとして正式に加わったリンゴ・スターは早い時期に安定したドラマーとしての名声を確立しました、彼のオープン・ハイ・ハット(客席から見て一番右のシンバルを2つ重ねたもの。これが上手く使えるかどうかでドラマーの実力が分かる)、そして、床に置いたバスドラムビートルズの音にエネルギーを与えました。彼は、バンド在籍中、最もミスの少ない信頼できるパフォーマーでした。YouTubeに投稿されている「WatchMojo」というサイトで、未だに歴代のTop 10 Rock Drummersの9位にランキングされています(2015年現在)。デビューして50年以上も経っているのに、現在のランキングのトップ10にランキングされていること自体、すごいとしか言いようがありません。また、2015年にはロックの殿堂入りを果たしています。彼らの判断は正しかったんですね。結果論ですから何とも言えませんが、ピートだったらこうはいかなかったでしょう。例え、運よくデビューできたとしても、遅かれ早かれ急激に成長した他の3人にはついていけず、脱退を余儀なくされたのではないかと思います。
 (続く)