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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて~リヴァプールとロンドン一人旅日記~ (その11) ついにメジャー・デビュー!

ビートルズ ポップス 洋楽

ビートルズの記念すべきデビュー曲「Love Me Do(ラヴ・ミー・ドゥ)」は、元々はポールの作品でジョンは中間部分を手伝っただけだと言っていますが、ポールに言わせるとジョンとフィフティー・フィフティーで作ったそうです。ポールが15〜16歳位の頃に作った曲です。一度6月6日に録音していますが、あれはあくまでオーディションでしたから、レコードにするために再度演奏することになります。

 

これは2015年7月15日現在のアビイ・ロード・スタジオです。今も使用されているので、部外者の私は入れませんでした(T ^ T)相変わらず壁は観光客の落書きだらけです何度も上からペインティングされて消されるんですが、すぐ新しい落書きで一杯になるそうです。私も記念に落書きしようと思ったんですが、「落書きしないでね」と注意書きに書いてあったので止めました。って、マジメかっ!(x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ

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レコーディングは1962年9月4日ですから、すでにドラマーはピート・ベストからリンゴ・スターに変更されています。しかし、プロデューサーのジョージ・マーティンは、セッション・ドラマーのアンディー・ホワイトを準備していました。

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彼は、この時点ではまだリンゴの実力を認めていなかったんですf^_^;確かに、この当時のリンゴは、ビートが必ずしも正確ではありませんでしたし、スタジオ収録には不慣れでしたから。リンゴの演奏はシングルでは採用されましたが、アルバムではホワイトの演奏が採用され,、リンゴは、タンバリンを叩くだけでした。リンゴがドラムを叩いているのは初回ヴァージョンだけで、その後のヴァージョンはすべてホワイトのドラムに差し替えられてしまいます。

 

このことでかなりリンゴは傷付いたようで、マーティンは何度もリンゴに謝罪しましたが、なかなか許してもらえず、許してくれたのはだいぶ後になってからです。結局、この曲は、ピート・ベスト、リンゴ・スター、アンディー・ホワイトの三つのバージョンがあることになります。ホワイトは、2015年11月9日に85歳で亡くなりました。生前、彼は、ビートルズと共演できたことはとても良い想い出だったと語っていました。


レコーディングの際、ジョージ・マーティン「もっとブルースっぽくしたいな。誰かハーモニカを吹けないか?ジョンはどうだ?」と言いました。それで、急遽、ジョンがハーモニカを吹くことになりました。ところがそのせいで本来ジョンがソロ・パートを歌うはずだったところが、ハーモニカを吹かなければならなくなったために、ポールに急遽変更されました。ぶっつけ本番だったので、流石にポールもかなり慌てたようです。そういう知識を持って改めて聴いてみると、ポールの声が緊張しているようにも聴こえます。実際、ポールも緊張で声が震えたと述懐しています。後で「あそこはジョンが歌った方が良かった。」とポール自身が言っています。ジョンの得意な低音域ですから。

 

マーティンは、この曲以降も様々なアイデアを彼らに与えますが、このイントロのハーモニカもドンピシャでハマってますね。これぞ「ビートルズ」って感じです。ハンブルクで巡業していた頃のメンバーに「スチュ」というニックネームで呼ばれていたスチュアート・サトクリフがいました。彼はベースを担当していたのですが、ハンブルク巡業でアストリッド・キルヒャーと知り合い婚約し、ビートルズを脱退します。ベーシストが脱退したため、ポールがベースを担当することになったんです。元々彼は画家志望で音楽にはあまり興味はなかったんですが、他のメンバー、特にジョンとはとても仲が良かったんです。しかし、21歳の若さで脳出血でこの世を去ってしまい、メンバーは深い悲しみに沈みました。公式には認められていませんが、ジョンの哀愁にあふれたハーモニカは、彼に対するレクイエムだともいわれています。

 

この曲の収録が終わった後、マーティンとビートルズの間でデビュー・シングルを何にするかについて話し合いが持たれました。マーティンは、「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」というソング・ライターのミッチ・マレーが書いた曲を推薦しました。その頃は、作曲家から版権業者に楽曲が渡され、さらにプロデューサーから歌手に提供するのが普通だったんです。それに、まだその時点では、マーティンは、ジョンとポールのソングライターとしての能力に信頼を置いていませんでした。

 

この曲のデモは、動画サイトで検索して聴いてみてもらえば分かりますが、軽いポップな感じのノリの曲です。しかし、少なくともビートルズが演奏するような曲ではありません。現在、この曲を知っている人が果たして何人いるでしょうか?私もジェリー&ザ・ペースメーカーズが演奏しているシーンを動画サイトで観ましたが、まあ正直、心にグサっと刺さる曲ではありませんねf^_^;良くある「その時は流行ったけど、その後忘れ去られた曲」だと思います。

  

そのデモ・テープを渡されたビートルズは、マーティンの言いつけ通り、一応その曲も練習しました。それでもデモ・テープとは違って、自分達なりにビートを効かせた感じの曲にアレンジし直して演奏し、収録しました。改めてビートルズが演奏しているのを聴くと、何か嫌々やらされているような感じがするのは気のせいでしょうか?ビートルズが、一生懸命自分達に合うようにアレンジしていますが、なんとなく借り物っぽい雰囲気が出ています。気のせいかもしれませんが。

 

収録はしたものの、これをデビュー・シングルとすることには抵抗し、あくまで自分達のオリジナルである「ラブ・ミー・ドゥ」に拘りました。ポールはマーティンに対して、「確かに、この曲はNo.1になるかもしれませんが、あまりこういった感じの曲は好きじゃないんです。僕たちのイメージには合いません。こういう曲をやるというイメージが付いてしまうのが嫌なんです。僕たちが求めているものはもっと他にあります。」と主張したんです。

 

いやはや、デビュー前の新人がプロデューサーの意向に逆らうとは大した度胸ですねf^_^;しかも、わざわざプロデューサーが彼らにNo. 1を取らせてやろうと思って用意してくれた曲なんですよ。ポールが言ったように、彼らもマーティンが推薦した曲の方がヒットするであろうことは分かっていたんです。それでも敢えて自分たちのオリジナルに拘ったというところに、彼らの大物振りが窺えます。

 

実際、この曲は、ジェリー&ザ・ペースメーカーズに渡され1963年にリリースされ、シングル・チャート1位を獲得しています。もっとも、そのアレンジはビートルズのものをそのまま使っているんですが(笑)この辺り、いかに彼らのアレンジ能力が高かったかを示していますね。デモのアレンジのままだったら、それ程ヒットしなかったのではないでしょうか?この曲に限らず、デビューしてから数年位の彼らは、まだオリジナルのストックが少なかったので、他のアーティストの曲を盛んにカヴァーしていますが、見事なアレンジでオリジナルを超える曲を何曲も演奏しています。

 

目先のエサに飛びつかない、これが大物の大物たる所以というところでしょう。並みのアーティストならプロデューサーの言葉に飛び付いていたでしょう。そりゃあ、誰でも早く売れたいですもんね。しかし、マーティンもあっさりと彼らの主張を認めました。ここは私の想像なんですが、彼は、ビートルズのアレンジ力に注目し、この連中ならオリジナルでもすごい曲を書けるんじゃないかと考えたのかもしれません。

 

ともかく、ビートルズは自分達だけで曲を作って、演奏する「シンガー・ソング・ライター」というスタイルを確立させた最初のバンドです。「ラブ・ミー・ドゥ」はリリースから50年以上経ってもなお世界中の多くの人が知っています。確かに、彼らが後に発表した数々の名曲に比べればいささか地味かもしれません。しかし、その当時流行していた、そして彼らが志向してきたロックンロールとは明らかに一線を画す作品です。こんな曲を自ら作り、演奏するところに彼らの非凡さが現れています。

 

例えば、70年代に活躍したブラック・サバスオジー・オズボーンは、この曲がきっかけでビートルズの熱狂的ファンになりました。また、80年代に活躍したポリスのスティングもこの曲を初めて聴いた時には、殆ど言葉にもならない圧倒的で霊的な衝撃を受けたと言っています。ビートルズの伝記作家として著名なハンター・デイヴィスも、ビートルズの数ある作品の中で歌詞が一番素晴らしいと激賞しています。それまでのどんな曲とも違うことが、やはり一流の人達には分かるんですね。それとハーモニーの美しさにもうたれます。ジョンとポールのコーラス部分。見事にハモっています。こんな美しいハーモニーをヴォーカルで出せるロック・グループは、当時いなかったと思います。そもそもロックンロールにハーモニーなんて必要ありませんから。この後発表される数々の名曲の多くは、このハーモニーの美しさに大きな特徴があります。

 

この曲は、1962年10月5日にリリースされ、イギリスのシングル・チャート最高17位まで上がりました。木曜の夜7時30分頃にこの曲がラジオから流れるのをメンバーはみんな知っていたので、自宅で今か今かと待ち構えていました。ラジオで流れるのを初めて聞いたジョージ・ハリスンは、「全身がゾクゾクした。17位になった後どう行動したのかは良く覚えていないんだ。でも、明らかにレコード会社のスタッフの対応はがらりと変わった。EMIに出社したら『やあ、君達、さあ、中へ入りなよ。』だってさ。とてもフレンドリーになったよ。」と言っています。ブライアンからリリースからたった2日でチャートインしたと聞かされたポールは「冗談だろ?」と信用しなかったそうです。

 

売り上げがリヴァプール近郊に集中したため、チャートを押し上ようとブライアンがこのレコードを1万枚購入したのではないかという噂が経ちました。しかし、ジョンは、これを否定しています。結局、この曲はこの年の末までに10万枚を売り上げました。ポールは、この曲はハンブルクでもキャヴァーン・クラブでも受けたが、チャートにランクインしたことで一つの到達点に達したと実感し、そこからすべてが始まったと言っています。ただ、マーティンは、セカンドシングルの「プリーズ・プリーズ・ミー」の出来が良くなかったら、「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」をセカンドシングルとしてリリースするつもりでした。しかし、「プリーズ・プリーズ・ミー」が素晴らしい出来栄えだったので、「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」は他のアーティストに譲渡されたのです。

 

2014年のインタビューで、ポールが語ったところによると、彼らがデビューした当時は、バンドは他人の曲をカヴァーするのが一般的で、彼らもそうしていた。しかし、リヴァプールだけでも何百とあるバンドの中で目立とうとすれば、オリジナルを作るしかなかったのだと。なるほど、そこがビッグ・アーティストたるゆえんですね。

 

2015年7月に日本で公開された映画ミニオンズ」の中で、この曲のハーモニカのイントロが流れて、主人公が顔を出したマンホールの蓋を、ビートルズと思しき4人が踏んづけて歩くというユーモラスなシーンがありました。これは、ビートルズのおかげで世界で恐らく一番有名になったアビイ・ロードのジャケット写真に撮影された横断歩道をイメージしたんですね。つまり、未だに世界中の人の記憶に残る曲となっているのです。

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(参照文献)

THE BEATLES BIBLE

(続く)