★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その15)初のミリオン・セラー誕生!

Watch The Remastered Live Version Of 'She Loves You' By The Beatles - I Love  Classic Rock

 She Loves Youの制作を開始

www.youtube.com

ビートルズは、4枚目のシングル「She Loves You (シー・ラヴズ・ユー)」の制作に取り掛かりました。

彼らは、それまでI、YOUという一人称、二人称を歌詞に織り交ぜていました。今でもそうですが、ラヴソングって二人だけの愛の世界を歌うのが普通ですよね。しかし、この曲で彼らは、初めて「彼女」という三人称を使ったんです。ただ単に「アイラヴユー」というより歌詞に物語性が出てきて深い味わいが出ることに気づいたんですね。
「彼女は君を愛している。君は失恋したと思い込んでるけど、彼女は君を愛しているって言ってたよ。」というような内容の歌詞です。テーマを君と僕という二人だけの世界から、第三者に広げています。
それまでのラヴソングとは異なり、失恋したと落ち込んでいる友人を励ますという1つのメッセージを持った曲になっています。曲の中にメッセージを込めるというのは斬新な試みでした。彼らは、既にラヴソングでそれを実現したんです。
 

 yeahを多用した

(1)当時の若者言葉

それと、彼らは、この曲から盛んに歌詞の中で「yeah(イェー)」という言葉を使うようになります。2曲目の「プリーズ・プリーズ・ミー」の時にも既に使っていましたが、はっきりタイトルをメイン・ヴォーカルが歌い、それに対してコーラスが「イェー」と答えるという掛け合いのスタイルになったのはこの曲が初めてです。
これはポールのアイデアでした。そのため、彼らの曲は、大人たちから皮肉を込めて「イェー・ イェー ・ソング」と呼ばれるようになりました。
ジョンは、1980年にこう語っています。「単純に僕は君を愛しているという代わりに第三者を持ってくるというのは、ポールのアイディアだったと思う。細かい所は彼が作り込み、僕がそれを手伝った。」この曲は、1963年6月26日にはほぼ出来上がっていました。
彼らは、この曲をニューキャッスルのタークス・ホテルの部屋で作りました。ジョンとポールの完全な共作です。何とたった数時間でほぼ完成に近いところまで作ったそうです。ミリオンセラーになった曲をそれだけの時間で作っちゃうなんて、どんな頭をしてるんだと思いますね(^_^;)

(2)父親には反対された

その後、彼らは、ポールの実家で曲を完成させました。彼の父のジムがリヴィングでタバコを吸いながらテレビを観ていたので、別室で曲を完成させると父に聞かせて感想を聞きました。するとジムは、「とてもいい曲だと思うがね。でも、その『イェー』という下品な言葉は気に入らんね。君たちはアメリカナイズされ過ぎている。『イエス』にしなさい。」
するとポールは、「ダメ、ダメ、父さん。何もわかっちゃいないな。ここは『イェー』じゃなきゃダメなんだよ。」と反論しました。ポールによれば、「イェー」という言葉は、中産階級よりは労働者階級の人々が使っていたのは事実のようです。
当時のイギリスには厳然とした階級社会がありました。でも、彼に言わせると父も大して変わらないじゃないかと思ってました。メンバーの中では、ジョンが辛うじて他のメンバーよりは、恵まれた環境にいたのです。
ジムは、その後この曲が大ヒットした後も「息子の曲がヒットするのは嬉しいが、あの『イェー』という言葉は何とかならんもんかな」と周囲にブツブツこぼしていたそうです(笑)そういえば、皆さん、「イェー」という言葉って、普通に日常生活で使ってますよね?例えば、みんなで集合写真を撮る時に、ピースサインを出しながら言ったりとか。この言葉が普及するようになったキッカケはビートルズではないかということはご存じでしたか?
もちろん、彼らよりも先にこの言葉はあったんですが、彼らが歌詞の中で盛んにこの言葉を使ったことで、若者の間にこの言葉が一気に普及したんです。今の日本語でいうと「ヤバい」みたいなもんでしょうか。いつの時代でも、若者の言葉に中高年が眉をひそめるというのは変わらないようです(笑)

(3)エンディングのコードにも秘密が

この曲が完成して5日後にアビイ・ロード第2スタジオで、5時間に亘り収録することになります。この曲は、エンディングで「イェー」とコーラスします。ビートルズは、このエンディングのコードにとても自信を持っていました。彼らがまだ発見したことのない領域だったからです。
プロデューサーのジョージ・マーティンはこう語っています。「私はいつもの椅子に座って聴いていた。ジョンとポールがコーラスし、途中からジョージが加わった。私は、エンディングのコードでジョージがメジャー6を、ジョンが3を、ポールが5をコーラスしたことに興味をそそられた。まるでグレン・ミラーのアレンジみたいだった。彼らは、こう言ってたよ。『凄いコードだ‼︎こんなの誰も聴いたことが無いよ‼︎』ってね。もちろん、私も聴いたことが無かったよ。」
 

3 初のミリオンセラー 

この曲は、1963年8月23日にリリースされ、たった1週間でチャート№1になりました。それから7週間連続で1位を独占しました。さらに、彼らとしては初めてミリオン・セラーを記録しました。彼らが「イェー」と連呼するところと「フゥー」と頭を激しく振りながらファルセットで叫ぶところは、彼らの代名詞となりました。
しかし、それでもこういう新しいものに拒絶反応を示す人はいるもんですね。ラジオ・パーソナリティーのブライアン・マシューは、メロディーメーカー紙にこの曲のレヴューを掲載し、「陳腐でくだらない曲だ」と酷評しました。
ビートルズは、「陳腐」の意味が分からず、「陳腐ってどういう意味?女々しいってこと?それとも反抗的ってこと?」ところが、翌週にこの曲がチャートNo. 1になると、同紙の第一面でマシューは、「いやいや、最初に聴いた時はちょっと陳腐かなと思っただけで、こういうものは段々価値がわかってくるんだ。」と慌てて弁解しています。嘘つけ、1回聴いたら分かるだろ。いやはや見苦しいったらありゃしない(笑)
   

4 アメリカではまだ売れなかった

(1)キャピトル・レコードはリリースを拒否

しかし、イギリスでこれだけ旋風を巻き起こしたにもかかわらず、ビートルズアメリカで売れるまでには時間がかかりました。EMIは、資本提携していたアメリカの大手のキャピトル・レコードに何度もリリースを持ち掛けますが、拒否されてしまいました。当時のA&Rマン、デイヴ・デクスター・ジュニアからは、「残念ですが、アメリカのマーケットでは売れる見込みはありません。」と断られ続けました。
皮肉なことに、同じ頃にデクスターが経営陣に無断で、各地の放送局やジュークボックスに日本の歌をプロモーション盤にして配ったSUKIYAKI」=坂本九さんの「上を向いて歩こう」の方が大ブレイクしてしまいます。全て日本語の歌詞であるにもかかわらず、信じられないことに何と全米1位の記録を打ち立てたのです。
今でもこの曲は、多くのアメリカ人が知っています。偉大な曲ですね。改めて永六輔さん、中村八大さん、そして坂本九さんに尊敬を込めて感謝の気持ちを送ります。

(2)ヴィー・ジェイ・レコードでリリース

SHE LOVES YOU" (US SWAN) - ビー・イン! be-in
それで、やむを得ずマネージャーのブライアン・エプスタインは、マイナー・レーベルであるヴィー・ジェイ・レコードに持ち込みました。同社は、既にPlease Please MeとFrom Me To Youをアメリカでリリースさせていましたが、残念なことにマイナー・レーベルのため販売力に限界があり、この2曲はヒットしませんでした。 それで、「シー・ラヴズ・ユー」を持ち込まれたのですが、リリースを断ってしまいます。
ライアンは、フィラデルフィアにあったマイナー・レーベルのスワン・レコードに持ち込み、やっとリリースに漕ぎ着けましたが、これもラジオでちょっと取り上げられただけで、ヒットしませんでした。やはり、マイナー・レーベルでは限界があったのです。
 

5 ようやくキャピトルがリリース

Roots Vinyl Guide

キャピトルがようやくビートルズの人気に気が付き、「アイ・ウォント・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)」をリリースしたのは1963年12月26日になってからです。1964年1月にNBCテレビの番組が「シー・ラヴズ・ユー」を演奏しているビートルズを放送しました。これは、BBCがドキュメンタリーとして1963年8月に撮影されたものをレンタルしたのです。

この頃になってようやく、アメリカのマスメディアもビートルズに注目し始めました。「抱きしめたい」をキッカケにビートルズ人気はアメリカ全土を支配することになります。「抱きしめたい」のヒットに触発され、ようやく「シー・ラヴズ・ユー」がスワン・レコードから再度リリースされました。

その後、キャピトルが遅ればせながら権利を獲得します。この曲は、1964年3月にアメリカ・チャートのトップに昇りつめ、2週間そこに留まります。この曲をトップから蹴落としたのは、他ならぬビートルズ自身の曲「キャント・バイ・ミー・ラヴ」でした。

ところで、ヴィー・ジェイ・レコードは、アメリカで初めてビートルズのレコードをリリースする権利を得たにもかかわらず、1965年前半にそれをキャピトルに奪われてしまい、1966年には倒産してしまいます。小さい会社が見つけた掘り出し物を大手がかっさらってしまう。正に弱肉強食の世界ですね💦
(続く)

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