★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

 (その16) ビートルマニアの凄まじさ

 「ビートルマニア」の登場

ビートルズは、キャヴァーン・クラブを卒業し、本格的な国内ツアーを開始します。そしてそれに伴い、熱狂的なビートルズ・ファンが膨れ上がって行きます。この画像をご覧ください。1963年11月30日のイギリスのサンダー通りです。ツアーで移動中の彼らを一目見ようと集まった大群衆です。そう、ビートルズを熱狂的に追いかける若い女性(男性ももちろんですが)ファン、すなわち「ビートルマニア」の登場です。当時のファンがいかに彼らに熱狂していたかが良く分かります。まるで暴動ですね。警察官も大勢出動してました。

f:id:abbeyroad0310:20151014013345j:plain

中には興奮のあまり失神して担架で運ばれる人も…。

 

f:id:abbeyroad0310:20151014013435p:plain

これは少し後ですが、1964年に初のアメリカ・ツアーが大成功に終わり、イギリスへ凱旋帰国した時の頃の映像です。

www.youtube.com

 サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム」に出演

1963年6月には「トゥイスト・アンド・シャウト」「ア・テイスト・オヴ・ハニー」など4曲を収録したEP盤が発売されますが、たった4日で15万枚を売り上げました。この頃からビートルマニア現象が、イギリス全土に広がっていきます。そして、熱狂的なビートルマニアを生み出す決定的なきっかけとなったのは、イギリスのATVテレビが毎週日曜日の夜に放映していた「サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム」というエンターテインメント番組にビートルズが出演したことです。

 

f:id:abbeyroad0310:20151123113142j:image
これは、数々の超大物スターが出演し、ピークには1500万人が視聴した人気番組でした。ビートルズもいつかはここに出演したいと熱望していたんです。そして、とうとうその日がやってきました。10月13日に彼らが出演した時にはマス・メディアが一斉に注目しましこの時は何と視聴率50%‼️そして、メディアは、ファンがメンバーに対して叫んでいる場面を捉えて「ビートルマニア」という新語を造り出しました。今の日本なら間違いなく「新語流行語大賞」をとりましたね(笑)そう、ビートルマニアとはマスコミが作った造語なんです。
 
彼女達は、コンサート会場で絶叫しましたが、こんなことはそれまでにはあり得なかったことです。コンサート会場だけではなく、街でビートルズのメンバーを見かけると、「キャー‼︎」と嬌声を上げて突進して、彼らに抱きつこうとするんですf^_^;いやはや、その凄まじいこと。捕まると髪は引きちぎられるわ、スーツはボロボロにされるわで、大変なことになるので(っていうか、何度かそうなったこともあります)、当然、彼らは走って逃げます。それを彼女達が一斉に追いかけるんです。もはやビートルズは単なるバンドではなく、社会現象になったのです。
 
ビートルズはこの番組の最初にだけ出演する予定でした。しかし、司会者は「もし、皆さんがもう一度彼らを観たいのであれば、42分後にまた登場しますよ。」と紹介しました。そして、実際に、彼らは再び登場しました。つまり、彼らは、トップを切って出演し、そして約 1時間後にトリを務めたことになります。彼らは、大ヒットした「フロム・ミー・トゥ・ユー」を最初に演奏し、少々ハイになっているジョンを横目にしながらポールが「アイル・ゲット・ユー」を紹介して演奏しました。その次に最新のヒット曲である「シー・ラヴズ・ユー」を演奏しました。この時はジョン、ポール、ジョージの3人が声を揃えて正確に曲を紹介しました。
 
 
そしてフィナーレに近付き、ポールが曲を紹介しようとしましたが、興奮した観衆の悲鳴で彼の声がかき消されてしまい、全然紹介が出来ませんでした。そこで、ジョンが「静かに」とジェスチャーで求めました。このジョンの配慮は年配の観衆から拍手を浴びました。それから、ポールは機転を利かし、観衆に拍手して、足を踏み鳴らすよう頼みました。それで少し観衆が静かになり、彼らは「トゥイスト・アンド・シャウト」の演奏を開始しました。
 
 
ビートルズの出演は、テレビのITNニュースで大きく取り上げられました。また、新聞記者は、グループの更衣室まで取材し、次の日、鋭く叫びたてるファンについて第一面で取り上げました。これが彼らの人気に火をつけることになります。彼らの新現象としての地位はこれで確立されました。これ以降、ビートルズとビートルマニアは長らくマスコミを賑わせることになります。10月20 日にはバーミンガムでABCTVの「サンク・ユア・ラッキー・スター」という番組の収録を行いましたが、その時にはスタジオに3000人のファンが押し寄せました。
 
 

3 ロイヤル・コマンド・パフォーマンス(王室御前コンサート)に出演

11月4日にはロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで開催されたロイヤル・コマンド・パフォーマンス(王室御前コンサート)に出演しました。このコンサートには、エリザベス皇太后エリザベス女王の妹のマーガレット王女と彼女の夫も出席しましたが、エリザベス女王は、後にエドワード王子となる子どもを妊娠中だったため欠席でした。ところが、ビートルズ・アンソロジー(ビートルズのメンバー自身がビートルズ時代の想い出を語ったファン必読の本です)では、ジョンもポールも彼女が出席していたと発言しています。勘違いしてるのかなあ~(^_^;)下の写真は、当時のデイリー・ミラーの紙面です。どう見てもマーガレット王女ですよね。
f:id:abbeyroad0310:20151123112157j:image
ハリウッドの大女優マレーネ・ディートリッヒも出席していました。リンゴは、「僕は彼女に会って思わず脚に見とれちゃった。椅子に前屈みに座った時の脚ったらたまらなかったよ。僕は脚フェチなんだ。思わず言っちゃったよ『おい、あの針みたいな細い脚を見てみろよ』って。」
 
 
そこは、やはり王室の方々という高貴な人々の集まりだったので、ビートルマニアみたいに熱狂するというな事はありませんでした。それでジョンはコンサートを盛り上げるために、このステージでの最後の曲「トゥイスト・アンド・シャウト」の直前、ジョークで「安い席の人は拍手を、それ以外の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と茶目っ気たっぷりに観客に言うと、これは結構受けました。これがそのシーンです。後々にまで語り継がれることになったエピソードです。まあ、これも労働者階級出身の彼らが見せた高貴な人々に対する精一杯の反抗的な態度ですね。ユーモアと受け取ってもらえてギリギリセーフでしたが(^_^;)
そして、演奏が終わると彼らはまず観客席にお辞儀し、その次に貴賓席にお辞儀しました。おお、やべえ。順序が逆ですよね(^_^;)もちろん、これも彼らが見せた高貴な人々に対するちょっとした反抗的な態度です。
 
 
ただ、その後も彼らは、何度も王室からコンサートのオファーを受けますが、ことごとく断ってしまいます。彼らは、元々労働者階級の出身でしたから、とてもあんなセレブの前では演奏できないというのが理由でした。鼻っ柱の強いジョンですら緊張でガチガチになって、まともに演奏できなかったと言っている位ですから。ブライアンは、頼むから出演してくれと何度も懇願しましたが、それでも彼らは頑なに聞き入れませんでした。
 
 
後に公開されるビートルズ初の主演映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の冒頭のシーンは、ビートルマニアに追いかけられ、走って逃げる彼らを描写していますが、正にあの状況でした。彼らは、部屋から車、ステージ、車、部屋とビートルマニアの追求をかわしながら、出入口も色々と変えながら移動していました。ツアー中はホテルに缶詰状態で外出もできず、常に人の目に晒されるという、とてもストレスのかかる状況でした。この現象は、抑圧されていた若者達の大人に対する反発という側面もあったのかもしれません。
 
 
熱狂的なビートルマニアの包囲網を掻い潜り、イギリス国内を縦横に行き来し、劇場から劇場あるいはホテルに移動するのは、今のアーティスト達のような快適なバスツアーではなかったのです。各劇場では最後に国家を演奏し、ビートルズが脱出する手助けをしていました。この頃のコンサートには今のような厳しい規制がなく、観客はステージにどんどん物を投げ込みました。ゼリー菓子、チョコレート箱、ライター、サイン帳、靴や傘。ビートルズは大抵は無傷でしたが、たまにはまともに食らって怪我をしたこともありました。
 
 

4 ケネディ大統領暗殺事件

そんなツアー中の彼らにとって最も衝撃的なニュースは、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺事件でした。ビートルズとスタッフは、偶々同じホテルに宿泊していましたが、これは滅多にない事でした。そして、彼らは、一緒にテレビを囲んで観ていました。これは、世界初の衛星中継でしたが、彼らが観ている目の前でケネディが暗殺されたのです。あまりの衝撃に彼らは黙りこんでしまいました。あれだけ多くの警察官に囲まれ、厳重に警備されていた大統領が、白昼堂々暗殺されるなんて、彼らには信じられなかったのです。 
 
 

5 ファン・クラブの会員数8万人!

ビートルズの公式ファン・クラブは、発足当時は僅か20数名でしたが、1963年末には8万人にも膨れ上がっていました。この手紙は、ファン・クラブの公設秘書だったアン・コリンガムから、一人のファンに宛てられた、ファンレターに対する返信です。
 
 
「ごめんなさい。彼らはとても忙しくて、お返事を書けないの。でも、ファンからのお手紙は、ツアーの合間にできるだけ読むようにしているわ。このお手紙は私が書いたものだけれど、彼らの言葉をそのまま再現したものよ。彼らは、あなたのような熱烈なファンのことをいつも大切にしているわ。ただ、あなたに直接答えられないことをとても残念に思っているの。」そして、その後にはビートルズ自身の言葉で「ファンレターをありがとう。個人的に返信したいのは山々だけど、とてもそんな時間は無いんだ。だから、アンに頼んで手紙を書いてもらった。手紙と写真にサインしておくね。君が僕達のことを想ってくれているように、僕達も君のことを想っているよ。」何とも微笑ましいやりとりですね。例え代筆でも、こんな返信をもらったファンは、泣いて喜んだでしょう。

f:id:abbeyroad0310:20151106002853p:plain

ともかく、ビートルズは国内ツアーを無事終えましたが、どのステージでも彼らの声はビートルマニアの絶叫でかき消され、どこへ移動しても彼らが殺到するという同じことの繰り返しに飽きて疲れ果ててしまい、人々の目から逃れたいと思うようになりました。もう少し先のことになりますが、彼らは、一切のコンサート活動を中止してしまいます。今にして思えば、これが彼らの「終わりの始まり」であったのかもしれません。

(続く)