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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて〜リヴァプールとロンドン一人旅日記〜 (その21)  ついにアメリカのポピュラー音楽シーンを制覇!

年配者で最初からビートルズを受け入れた人は少数でした。ジョンは皮肉っていましたが、むしろそういう意味では、音楽評論家たちの方が、まだしも彼らを早く受け入れていました。彼らが尊敬していたフォーク・ソングの神様ボブ・ディランは、早くから彼らの才能を見つけ、アメリカ人に紹介していたのですが、まだその時点では一般には受け入れられませんでした。

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先行リリースしたシングルと同様に、彼らは、アメリカが彼らの代名詞であるモップ・トップにも抵抗を抱くであろうと予想はしていました。しかし、「シー・ラヴズ・ユー」がイギリスで成功したことで、マネージャーのブライアン・エプスタインは、アメリカの大手レコード会社のキャピトル・レコードに売り込もうと決意しました。それまでも既にリリースはされていたんですが、マイナー・レーベルで宣伝に金をかけることができなかったためにヒットしなかったんです。しかし、こんな名曲を聴かされても、まだキャピトルのお偉方は、ビートルズと契約することに難色を示しました。全くどんな耳をしてたんですかね?💢
 
 
というより、彼らの頭の中には「アメリカのミュージシャンでなければ売れない」という固定観念が根強く存在したんでしょう。でも、坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、すべて日本語にもかかわらず大ヒットしたんですよ?1963年のビルボードのチャートのトップを3週間独占したんですから。この曲は、未だにアメリカ人に愛されていて、良くBGMなどで流されています。
 
 
坂本九さんは、アメリカを訪問した際にTV番組「スティーブ・アレン・ショー」に出演し(ビートルズが「エドサリヴァン・ショー」に出演したように)、最終的に米国での売上げが100万枚を突破し、1964年、外国人初のゴールドディスクを受賞するという栄誉を与えられました。アジア人の楽曲がUSチャートの№1を獲得したのは、半世紀以上経った2015年12月現在ですらこれだけです。

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また、話が脱線したので元に戻します(^_^;)でも、キャピトルもイギリスやヨーロッパ各地におけるビートルズ人気の拡大は、流石に無視できなくなりました。それに彼らがアメリカの人気番組「エドサリヴァン・ショー」に出演することになっているとブライアンから聞かされ、それまでは全く相手にしなかったのに、逆に彼らの側から契約を申し入れて来たんです。「イヨっ!手の平返し!」キャピトルは、エドサリヴァン・ショーにビートルズが初出演するのと同時に「抱きしめたい」をリリースしようと計画していました。ところが、ラジオのリスナーからリリースを希望する多数の手紙が殺到し、急きょリリースを繰り上げることにしました。
 
 
この曲のショート・バージョンは、CBSのモーニング・ニュースで11月22日に放送されましたが、その夜に放送されることになっていたフル・バージョンは、ケネディ暗殺のために延期されました。結局、フル・バージョンは、12月10日に放送されました。その放送を観たメリーランドに住んでいた15歳のマーシャ・アルバートは、ワシントンD.C.にキー局を置いたWWDC-AMラジオのDJ、キャロル・ジェイムズ・ジュニアに手紙を書き、ビートルズの曲をかけてくれとリクエストしました。
 
 
彼は、アメリカではまだレコードがリリースされていなかったため、新しいシングルのコピーをイギリスのブリティッシュ・エアウェイズフライト・アテンダントから入手し、1963年12月17日にオンエアしました。「皆さん、ご紹介しましょう。アメリカで初めて放送されるビートルズの曲、『IWant To Hold Your Hand』です!」この放送は、リスナーに大反響を巻き起こし、その情報は、シカゴとセントルイスのDJにも伝わりました。もちろん、キャピトル・レコードの許可は取っていませんから、キャピトルは、弁護士を通じてそのオンエアを差し止めるよう裁判所に申し立てると最初は警告したのですが、それが難しい状況だったので、やむを得ずリリースを予定より2週間早めることにしました。
 
 
実は、ビートルズの曲は、ジェイムズよりもっと前に、何人かのDJによってラジオで紹介されていたんです。しかし、彼らもそれ程熱が入っておらず、レコード自体もマイナー・レーベルでPRに殆ど予算を掛けていなかったこともあり、その時は何の反響も呼びませんでした。それで、ビートルズとキャピトルは、彼がアメリカでこの曲を初めて大々的に取り上げ、巧みな話術で紹介したことがこの曲の大ヒットに貢献したことを認め、ビートルズが初めてアメリカのワシントン・コロシアムでコンサートを開いたときの司会者に彼を抜擢しました。
 
 
「IWant To Hold Your Hand」は、1963年12月26日にアメリカでリリースされました。B面は、「I Saw Her Standing There」でした。反響は物凄く、たった3日で75万枚が売れました。同じ時間にニューヨーク市では、1万枚売れました。キャピトルは、もっと増版しろというコロンビア・レコードやRCA・レコードからの要求に圧倒されました。この曲は、1964年1月18日にチャートインし、その後15週間チャートに留まり、2月1日にNo. 1を獲得しました。「She Loves You」と入れ替わるまで7週間1位を独占しました。の曲は、アメリカでのデビューアルバム「With The Beatles」にも収録されています。
 
 
後にポールはこう語っています。「1964年1月16日に僕達がパリで最初のオリンピア・シアターのナイト・コンサートを終えてジョルジュ・サンク・ホテルに戻ってきた夜、電報がイギリスからアメリカのパーロフォン・レコードへ送られてきたんだ。マネージャーのブライアンは、それを持って興奮してスイートルームに駆け込んできて僕達にこう言ったんだ。『おい、見てくれ、君達は、「 I Want To Hold Your Hand」でとうとうアメリカNo.1になったぞ!』その時の僕達の興奮は、言葉では説明できないね。僕達はみんな、ロード・マネージャーのマル・エヴァンスの背中に乗っかって、ホテルのスイートルームを『ウェイ、ヘイ!』と叫んで走り回ったよ。そうさ、1週間は舞い上がりっぱなしだった。」有頂天になるというのは、正にこういうことを言うんでしょうね(笑)ビートルズは、ついにアメリカの重いドアを開けたのです。
 
 
リンゴはこう語っています。「信じられなかった。僕たちは、まるでテキサスから来た人達みたいに『ヤッホー』って叫び続けた。その夜、僕たちと運転手のニールは、セーヌ川のほとりのベンチに座ってたんだ。それで、ニールに真冬のセーヌ川で泳いだら2万ポンドあげるよって冗談で約束したら、彼は本当に泳いだんだ。でも、ゴメン、やっぱりムリって断っちゃった。」
 
 
ビートルズは、午前5時まで祝賀パーティーに酔いしれていました。ブライアンは、ニュースを聞いてすぐにデトロイトのプロモーターに対し、1回のコンサートのギャラとして1万ドルを要求しました。今の貨幣価値に換算すると、1,600万円位ですかね?いやはや、とてつもなくアップしました。この曲がチャート№1になる前日に、キャッシュボックスのチャートが編集されました。それは、ビートルズが№43から一気にトップまでジャンプアップしたため、大急ぎで編集したからです。
 
 
ビートルズは、アメリカのチャート成功を背景に、当時の大人気番組「エドサリヴァン・ショー」に1964年2月9日に初出演しました。エドサリヴァン・ショーへどういう経緯で出演することになったかについては諸説あります(ホントに謎の多いバンドですねf^_^;)。このときは 7300万人もの人が視聴しました。
 
 
ジョージ・ハリスンはこう語っています。「僕達は、パリ・ツアーの後に直接アメリカに行くことになってたから、No.1になったことは便利だったよ。まあ、エドサリヴァンとは既に出演契約を結んでたから、No.2だろうとNo.10だろうと、いずれにしろ行ってたけどね。それでも、No.1になったことは嬉しかったよ。僕達は、この曲をリリースする前にアメリカで3つのシングルをリリースしてた。他の2曲は違うレーベルだったよ。報道とヨーロッパのビートルマニアのおかげで、キャピトルがやっと『IWant To Hold Your Hand』をリリースすることにしたんた。でも、それは、ホントは4番目のシングルだったんだけどね。」

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エドサリヴァン・ショーへの出演は、アメリカのビートルマニアをさらに増殖させました。一連のシングルは、1964年の1年間ずっとUSチャートのトップに立ちました。月までにビートルズはトップ5を独占しました。これは未だに破られていない大記録ですし、おそらく今後も破られることはないでしょう。そして、ファンの需要を満たすために、海賊版が出回ることになります。この曲をきっかけにイギリスの音楽が、アメリカへ進出するようになったのです。ビートルズの成功の後、ローリングストーンキンクス、ホーリィズ・アンド・ハーマンズ・ハーミッツなどのグループが、1964年に次々とアメリカで成功を収めます。
 
(参照文献)THE BEATLES BIBLE
(続く)