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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて~リヴァプールとロンドン一人旅日記~ (その25) エド・サリヴァン・ショーの初出演を終えて

The Beatles' first Ed Sullivan Show – The Beatles Bible

1 オープニングは「オール・マイ・ラヴィング」


THE BEATLES - ALL MY LOVING - THE ED SULLIVAN SHOW DEAUVILLE HOTEL FEBRUARY 16, 1964

エドサリヴァン・ショーの初出演で、ビートルズが「オール・マイ・ラヴィング」というバラードから始めたせいでしょうか、今改めて当時の映像を観てみると、オープニング直後の観客の絶叫はそれ程激しいようには思えません。少なくともサリヴァンが「ビートルズ!」と叫んだ直後の絶叫に比べれば、明らかに静かになってます。考えてみるとちょっと不思議ですよね。なぜ、アップテンポのロックナンバーから入らなかったのかなと。 
もちろん、アーティストによって違うでしょうが、普通は、コンサートを盛り上げるためにアップテンポなナンバーを最初に持って来ますよね?で、しっとりしたバラードを間に挟んで、また最後はアップテンポなナンバーで締めるっていう感じじゃないですか?ポールは、今も世界中でツアーをやってますが、「エイト・デイズ・ア・ウィーク」「マジカル・ミステリー・ツアー」「バースデイ」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」などのアップテンポなナンバーをオープニングに持ってきてます。 
それがなぜ「オール・マイ・ラヴィング」だったんでしょう?いや、誤解しないで下さい、これは名曲なんですよ。名曲なんですが、何せバラードですからね。普通、ロックコンサートのオープニングには持ってこないだろうと思うんです。 
いきなりアメリカで大ヒットした「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」は後に置いておくとしても、会場を盛り上げるために、まずは「プリーズ・プリーズ・ミー」「シー・ラヴズ・ユー」「トゥィスト・アンド・シャウト」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」辺りから入りそうなもんですよね? 
あまりにも観客がヒートアップしていたので、というかそうなるだろうと予想していたので、あえて落ち着かせるためにバラードを選曲したんでしょうか?いきなりアップテンポなナンバーから入ってしまうと、それこそ失神する人が続出しかねないと考えたんですかね?いや、分かりません。

 

2 「シー・ラヴズ・ユー」で絶叫に変わる


She Loves You - The Beatles (Live in Melbourne)

しかし、先にイギリスでミリオンセラーとなった「シー・ラヴズ・ユー」を演奏し始め
ると、途端に絶叫に変わりました。「待ってました!」って感じですね。ところが、この3曲目の演奏が終わると、彼らは一旦舞台袖に引っ込んでしまいました。残りの2曲をやるまでの間に、別の出演者がパフォーマンスをやったんですが、会場はビートルズがいなくなった途端に冷え切ってしまいました。 
「その間の2分16秒の放映は、アメリカのテレビ史上に残る程背筋も凍るような時間だった」と半世紀以上が経った今でも語られているほどです。そりゃ、間をつないだ出演者にとっては地獄だったでしょうよ(;'∀')「全く、何て日だ!」と叫んだかもしれません(笑) 

 でもね、それにもめげずに頑張った出演者がいたんです。彼の名は、デイヴィ・ジョーンズ。この名前を聞いて「ん?もしかして?」と思ったそこのあなた。そうそう、「パイレーツ・オブ・カリビアン」に登場する幽霊船の船長・・・って違いますよ(x_x) ☆\( ̄ ̄*)あれは、架空の人物でしょ?これ、知ってたらなかなかの洋楽通です(ただし、60年代の)。 

 

3 あのデイヴィ・ジョーンズも出演していた


The Monkees - Daydream Believer (Official Music Video)

そうです。あの「ザ・モンキーズデイヴィ・ジョーンズです。え?モンキーズを知らない?そうですよね~( ノД`)ビートルズの大ヒットに触発され、アメリカが「アメリカ版ビートルズ」として作り上げたロックバンドで、当時は「ザ・モンキーズ」という冠番組も持ち、ヒット曲も連発して大人気だったんです。  
でも、あなたが彼らを知らなくても、この曲なら知ってるというか、聴いたことがあるはずです。その曲は「Daydream Bliever(デイドリーム・ビリーバー)」。日本語の歌詞で忌野清志郎がカヴァーして歌ってました。ただ、歌詞はかなりアレンジしてましたけどね(^_^;)TVCMでも使われたことがあります。このオリジナル曲を歌っていたのが彼なんです。もっとも、まだこの頃の彼は19歳で、モンキーズもまだ結成されておらず、ミュージカル俳優として出演したんです。彼は、その後、オーディションに合格してモンキーズの一員となります。左端の人物です。

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2011年に彼は、TVインタビューに答え、当時のことを振り返って「エドサリヴァン・ショーでビートルズと同じ舞台に立てたのは素晴らしい経験だった。」と語っています。また、彼は、ビートルズをこよなく尊敬していたとも語っています。彼は、舞台袖でビートルズを観ていたはずです。そのことが彼にとって良いお手本になり、後年のブレイクに繋がったのかもしれません。 
その後、ビートルズは、再びステージに登場し、「I Saw Her Standing There」と「I Want To Hold Your Hand」の2曲を演奏しました。これは、アップテンポなロックで、しかも、最後は最新のミリオンセラー曲ですから、会場は再び大ブレイクです。女の子達の絶叫が会場を覆い尽くしました。そして、彼らは演奏が終わると、一礼し、会場を後にしました。見事な仕上げです。残された観客は殆ど放心状態だったでしょう。
 

4 アメリカを制覇

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最初の衝撃的なアメリカデビューが大成功を収め、ビートルズは、完全にアメリカをノックアウトしました。 
記念すべきエドサリヴァン・ショーへの初出演について、ポールは、後にこう語っています。「7300万人もの人がこの最初の放送を観てくれたんだってね。アメリカでもそれだけ多くの人が観た放送の一つといえるだろうね。 
それは、重要なことだ。僕らはどこからともなく、変なヘアスタイルで現れ、マリオネットか何かみたいに見えてた。それはとても影響力を持つことだ。変わったヘアスタイルは、音楽以上に本当に僕達をブレークさせた大きなものの一つだったかもしれない。多くの父親達は、テレビを消そうとした。彼らは、子ども達にこう言ったんだ。『だまされるな。あいつらは、カツラを被ってるんだ。』ってね。 
多くの父親達がテレビを消したけど、逆に多くの母親達と子ども達はテレビを観続けた。この子ども達は今ではみんな成長し、その頃のことを覚えていて、僕達に語ってくれる。例えば、『ケネディが暗殺されたとき、君はどこにいた?』みたいな感じで。そうすると、ダン・エイクロイドアメリカの有名なコメディー俳優です。出演作品としては、「ブルース・ブラザーズ」「ゴースト・バスターズ」などがあります)なんかは、『ああ、日曜日の夜だったのを覚えているよ。何に感動したのか覚えてないけど、テレビの前に座ってエドサリヴァン・ショーを観ていたよ。』って言うのさ。 
それまで出演していたのは、ジャグリングをやる人とかコメディー俳優、例えばジェリー・ルイスアメリカの有名なコメディアンです。映画では「ナッティー・プロフェッサー」などに出演しています)なんかだよね。そこへ、突然、ビートルズが登場したってわけさ。」 
リハーサルを終えた後、ビートルズは、イギリスへ帰国しなければならなかったので、「トゥィスト・アンド・シャウト」「プリーズ ・プリーズ・ミー」「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」を収録しました。この収録は、彼らがアメリカを後にした2月23日に3度目の出演として放送されました。

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5 大人たちには酷評されたが

2月24日に発売されたニューズウィークは、表紙をビートルズで飾りましたが、タイトルは「ビートルズの欠陥について」となっていました。そして、エドサリヴァン・ショーのレヴュー記事をこう書いています。 
「彼らの見た目は悪夢だった。タイトで洒落たビート族特有の、20世紀初頭のイギリスのエドワード王時代風のスーツを着て、頭には髪でできたプリンの皿を載せていた。音楽的には、破滅に近かった。ギターやドラムは、リズム、ハーモニー、メロディーをぶち壊す冷酷な音を立てていた。歌詞は、ヴァレンタイン・カードに出てくるロマンティックな言葉を雑に寄せ集めただけの酷いもので、『イェー、イェー、イェー』という下品な叫びで中断された。」 
そして、その文章は最後にこう予測していました。「あのとんでもない連中は、多くの大人たちが確信をもって予測しているように、そのうちに消えていなくなるだろう。」下がその表紙です。なお、この雑誌、現在ではオークションで100ドル位で取引されているそうです。

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また、ニューヨークタイムズの記者、マケンディッシュ・フィリップはこう書いています。「彼らは、今、絶頂期を迎えているが、その顔には恐ろしい終焉の兆しが見えていた。彼らは狂っている。狂気の中心人物は、何に触れてもそれが金に変わることに気付く。しかし、その狂気は、インフレで膨れ上がったに過ぎないから、やがて破局を迎えるだろう。」 
パチパチパチ(拍手)よくぞ、ここまでボロクソに書いてくれました。このように、当時の識者の殆どが酷評したんです。まあ、これが当時の大人、特に男性の一般的な反応でした。この他にも著名人たちがこぞってビートルズを批判しました。これについては、また別の記事で取り上げます。 
大人達の拒絶反応はおいておくとして、その当時担当したスタッフですら、ショーが終わった後の印象を想像することは困難だったのです。当時、ADだったジョン・モフィットは、こう回想しています。「どんな衝撃が来たのか、それがどんな重大なことであるか誰も気が付かなかった。我々が、歴史を作りつつあるということを語ることはできなかった。当時、我々は、お互いにこう話し合ってたものさ。『次の週は何をやる?同じことをやるだけじゃなくて、ロケに出るのもありだよね。』」 
つまり、ビートルズエドサリヴァン・ショーに出演したことが、どれ程とてつもない衝撃を全世界に与え、それが後世にどれ程の影響を与えるか、当時の関係者の誰も気が付いていなかったんですね。そりゃ、そうでしょう。まさか、50年以上も経った現在でも、世界中の何十万人もの人々がいつもどこかで彼らの楽曲を聴き、演奏し、語り合っているなんて、想像できたはずがありません。かくいう私もせっせとブログを書いているわけですから(●´ω`●)ゞ
 
(続く) 
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