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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて〜リヴァプールとロンドン一人旅日記〜 (その26) アメリカ初のコンサートをワシントンD.C.で開催

ビートルズ ポップス 洋楽
ビートルズは、記録を塗り替えた歴史的なエド・サリヴァン・ショーの翌日の10日に、シングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND」の売り上げが100万枚、アルバム「MEET THE BEATLES」の売り上げが1万ドルを突破したことで、キャピトル・レコードのアラン・リヴィングトン社長からゴールド・ディスクを授与されました。賞を渡しながら社長も内心ホッと胸を撫で下ろしていたことでしょう。ブライアンからの契約のオファーをずっと断り続けてたんですから。下手をしたら彼もデッカ・レコードのディック・ロウと同じく「ビートルズを断った男」というレッテルを貼られていたところです。
 
 
彼らは、翌日の11日の早朝にニューヨークからワシントンD.C.へ移動しました。この日は吹雪で飛行機が飛べなかったため、列車に変更したのです。ペンシルヴァニア鉄道の特急に特別の寝台車が連結されました。その寝台車はキングジョージと呼ばれ、彼らが乗車するまでには沢山の報道陣でごった返しました。
 
 
悪天候でしたからこの選択はやむを得なかったんですが、結果的には大変な騒動を引き起こしました。何しろ歴史的な記録に残るエド・サリヴァン・ショーの放映直後でしたから、アメリカにおけるビートルマニアは、イギリスのそれとは比べ物にならない程、膨れ上がっていたのです。そんなアメリカでの列車を使った移動は、正に蜂の巣の中に自ら飛び込んだようなものでした。
 
 
ニューヨークのラジオ局で人気DJだったマレー・ザ・K(マレー・カウフマン)は、彼らに同行した時の様子をこう語っています。「我々は、始めはワシントンまで飛行機で行くつもりだった。でも、物凄い吹雪が来ると聞いたので、ブライアン・エプスタインに特別列車をチャーターした方が良いよとアドバイスしたんだ。
 
列車の中はとても楽しかった。でも、降りたら死にそうだったよ。1万人位のファンが、線路脇の障壁をぶち破って線路へ入って来て列車を取り囲んだんだ。私は、列車の外の群衆の中で身動きも取れず死ぬかと思った。その時、私は独り言を言った。『おお、神よ!私、マレー・ザ・Kは、イギリスのバンドと共に殺されます。』
 
すると、ジョージが私を見てこう言ったんだ。『こういうの楽しいって思わないのかい?』私は、その夜の自分のDJを彼らの更衣室から直接やったよ。」ジョージは、こんな騒ぎはもう慣れっこでしたが、Kは初体験でしたからね。
 
 
このKってのも不思議な人物で、ニューヨークで地元の人気DJとしてブライアンからビートルズを紹介されると、たちまち彼らと親しくなり、彼らの行く先々へ付いて回ることになります。彼自身は、「5人目のビートル」を「自称」していました。彼は、ビートルズが滞在するプラザホテルのスイートルームから、彼が所属するWINSラジオ局の中継を行うことに成功しました。彼は、リンゴとホテルのプールサイドで独占インタビューを行うなど、数々の音源を残しています。この音源はレコードとしてリリースされています。今となっては、ビートルズの肉声が聴ける貴重な音源です。

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ビートルズがワシントンユニオン駅に到着すると、2,000人のファンが24cmも積もった雪を物ともせず待っていました。彼らは、アメリカで初めてビートルズの曲を大々的に取り上げてくれた、ラジオのWWDC放送局へ行く前に記者会見を開きました。
 
 
ビートルズとそのスタッフは、ショアハムホテルにチェックインし、ファンを締め出すために既に宿泊客がいるにもかかわらず、7階全てを貸切にして宿泊客を他の部屋へ移動させました。しかし、ある家族がそれを拒否したため、ホテルのスタッフは、お湯が出ないようにし、電気と暖房も切ってしまい、その家族には電力がダウンしたと告げました。それで、その家族はしかたなく部屋を移動しました。いやはや、なんとも強引なやり方ですね。しかも、いかにビートルズのためとはいえ、ホテル側もそこまでやるかって感じですf^_^;コンプライアンスが重視される今なら考えられませんね。
 
 
ビートルズ初のアメリカ・コンサートは、1964年2月11日、ワシントン・コロシアムで8,092人のファンの前で行われましたが、そのほとんどは若い女性でした。彼らは、午後8時31分からコンサートを開始し、12曲を演奏しました。この名の通り、ワシントン・コロシアムはボクシングなどの格闘技が行われる会場です。日本武道館と似てますね。ボクシングの試合を観覧することを想定して作られていますから、ステージは中央のリングです。
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ですから、ビートルズは、観客にグルリと周囲を囲まれた形でステージに立ちました。そして、リンゴは、背中側の観客にも正面を見せられるように、3曲目を演奏し終わった後、ドラム台を180度回転させました。ロードマネージャーのマル・エヴァンスがステージにスタンバイしていて、ドラム台をグルッと一回転させたのです(手動だったんですねf^_^;)。その後、もう一度元通り180度回転させ、最後は45度で終わりました。
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この少々面倒な舞台設営もありましたが、ジョージのマイクが、オープニングの曲の間中ずっと故障していて、交換されたマイクもまた故障していました。でも、観客は、そんなことには全く気が付かず熱狂し、典型的なビートルマニアの絶叫で応えました。そのため、警備にあたっていた362人の警官は、余りの騒音にピストルの弾丸を耳栓にして詰めていました。そりゃ1万人近い女の子が一斉に「ギャー‼️」って絶叫するんですから、耳もおかしくなります。
 
 
それにしても、この頃のコンサートの運営って、結構いい加減ですよねえ〜f^_^;今ならマイクが故障なんてあり得ないでしょ⁉︎しかも、2本目のマイクまで故障だなんて。まあ、どっちみちファンの絶叫で聴こえないんですけど(笑)
 
 
ビートルズの凄いところは、自分達の演奏が全く聴こえない状況の中でも完璧に演奏したことです。この頃は、まだステージでアーティストに自分の出しているサウンドを聴かせるイヤホンや足元のスピーカーなどのシステムがありませんでした。おまけに彼らは、ファンの絶叫の渦中にいたんです。つまり、耳栓して楽器やアンプの電源を切った状態で演奏しているのと同じです。
 
 
もちろん、ホントは電源が入ってますから、スピーカーから外へ向かってちゃんと音は出てるんですよ。楽器を演奏する人ならわかると思いますが、目をつぶって道を歩くようなものです。こんな状況でも、彼らは、平気で演奏したんですから天才としかいいようがないですね。
 
 
このコンサートでは、大勢の観客が、ステージに立つビートルズにジェリー・ビーンズを投げ付けました。というのも、ニューヨークの新聞に、彼らがジェリー・ビーンズが好きだと語ったという記事が載っていたからです。好きな食べ物を聞かれて、適当に答えただけなんですが、みんなそれを真に受けちゃったんですね(;'∀')
 
 
ジョージは、こう語っています。「僕達は、とんでもない物を投げ付けられたよ。観客は、イギリス製の柔らかいジェリービーンズじゃなくて、アメリカ製の硬いやつしか持ってなかったんだ。なお悪いことにその時のステージは円形で、周囲を360度観客に囲まれていたから、四方八方から投げつけられた。
 
想像してみてくれよ、空から硬い石の弾丸が雨のように降り注いだんだぜ。危ないったらありゃしない。もし、それがジェリービーンズだとしたら、時速80kmで宙を飛んできて、それが目に当たったら終わりだ。目が見えなくなっちゃうだろ?僕達は、そんな物を投げ付けるヤツは嫌いだよ。紙テープを投げる人は大丈夫なんだ、危ないのはジェリービーンズだよ。ギターの弦に当たったりすると、弾こうとしていたのと違う音が出ちゃうんだ。」
 
 
これも今なら絶対NGですけどねf^_^;物を投げ付けた瞬間に警備員に連れ出されてしまいます。アーティストの安全を確保するのが、主催者の至上命題ですから。
 
 
ブライアンは、CBSが演奏を収録することを許可しました。収録されたフィルムは、1964年3月14日と15日に放送されました。この放映はビデオ収録され、編集されてアンソロジーにも収められているので、現在でもDVDで鑑賞することができます。コンサートを終えた後、彼らは、英国大使館の招待でレセプションに参加しました。しかし、招待客の1人が突然、リンゴの左耳の後ろから髪をいきなり切ったのです(オイオイ、何するんだ、アブね~じゃね~か(▼皿▼メ))彼らは、ウンザリしてその場を後にし、ブライアンに彼らを二度とこんな目に遭わせることのないよう、警備を厳重にしろと告げました。
 
 
ジョンは、こう語っています。「僕達が通り過ぎようとすると、みんなに触られるんだ。どこに行ってもそうだった。まともじゃないと思ったよ。大体、毎回、市長とその奥さんに会わされて、触れられて、もう100万回位映画『A Hard Days's Night』のシーンみたいに叩かれた。どこでだったか忘れたけど、リンゴが髪を切られたときは、流石に我慢できなくなって悪態をついてパーティの途中で帰ったよ。」
 
 
これも今じゃ考えられませんね。大体、大使館に招待された人ですから、かなりの上流階級の人達でしょう。そんな人でもこんな無茶なことをやるんですからね。
 
 
ワシントンD.C.で一泊した後、ビートルズは、カーネギーホールでのコンサートのために、12日早朝にニューヨークへ列車で向かいました。2時間掛かってニューヨークに着いたのですが、駅には既にファンが大勢押し掛けていて、彼らが乗ったリムジンは全く動けませんでした。ちょうどこの日は、アブラハム・リンカーンの誕生日で祝日になっていて、ペンシルヴァニア駅にはおよそ1万人の群衆が集まっていました。
 
 
警察は土壇場になって、ビートルズの乗車している最後尾の車両を切り離し、別のプラットフォームへ誘導することにしました。しかし、彼らが使う予定だったエレベーターは、既にファンに取り囲まれていました。やむを得ず、彼らは、階段に家具を置いてそこによじ登り、待機しているタクシーに飛び乗ってプラザホテルまで行き、素早くシャワーを浴びて着替えると、台所からこっそり抜け出しました。
 
 
いやはや、ここまで来るともはや忍者の領域ですf^_^;彼らの日程が全部ファンに漏れてるんですよね。だから、行く先々でファンが待ち構えているんです。まあ、これは今でも変わりませんが、この頃は、暴動が起きるほどの規模でしたから。今、どんなスーパースターが来たとしても、ここまでの騒動にはならないでしょう。
 
 
さて、次はニューヨークのカーネギーホールでのコンサートです。

(参照文献)THE BEATLES BIBLE, ANTHOLOGY

(続く)