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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その27)カーネギーホールでの演奏とマイアミビーチ

ビートルズは、1964年2月12日、ニューヨークのカーネギーホールに舞台を移しました。このホールは、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団が本拠地としている格式高いコンサートホールです。  
 
 
当然、クラシック音楽が演奏されるのが一般的で、ポピュラー音楽、ましてやロックコンサートが開催されるのは、当時としては異例の出来事でした。どうやら、カーネギーホールは、ビートルズがどんなグループだったのかをよく知らずに出演を承諾したようです。契約してからしまったと後悔したのかもしれません(笑)ただ、怪我の功名で、ホールの存在自体が、普段クラシックをあまり聞かない若者たちにも広く知られるようになりました。

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ビートルズは、カーネギーホールで34分のコンサートを2回行い、舞台裏でスワンレコードから「シー・ラヴズ・ユー」がミリオンセールを記録したことで、ゴールドディスクを授与されました。

 

しかし、ゴールドディスクを何のセレモニーもなく、舞台裏で渡すなんてあまりにも地味すぎますよね?この当時は、これが普通だったんでしょうか?それとも、ビートルズがあまりにも過密スケジュールだったからですかね。いや、007のテーマ曲「Gold Finger」を歌ったシャーリー・バッシーも同じように舞台裏でもらってますからね。スワンレコードがマイナーレーベルだったからかもしれません。

 

それにしても、相変わらずコンサートの時間が短いですね〜f^_^;はるばるアメリカまで来て、たった34分ですよ⁉︎初期の頃の曲は3分以内のものが殆どでしたが、それにしてもねえ。ただ、この頃の状況を考えると、やむを得なかったのかもしれません。何しろ凄まじい絶叫の中での演奏ですから、ビートルズの消耗も激しかったでしょう。

 

カーネギーホールには2回で2,900人の観客が集まりました。このコンサートのプロモーターは、シド・バーンスタインでした。彼は、このコンサートを企画しただけでなく、1965年のシェイ・スタジアムでのコンサートも企画しましたが、これは史上初の球場での音楽コンサート開催となりました。 

 

彼は、後にこう語っています。「カーネギーホールは、神聖な財産や壁画があるが、それらを心配する必要はなかった。でも、ビートルズは2度とここには戻って来たくないって言ったよ。」流石の彼らもこのホールの荘厳な雰囲気に気押されたようです。

 

プロデューサーのジョージ・マーティンは、このコンサートをレコードにしたいと考えていました。キャピトルは承諾したのですが、AFM(American Federation of Musicians アメリカ音楽家協会)の許可が下りませんでした。なぜだと思いますか?答えをすぐ書いてもいいんですが、せっかくなのでちょっと考えてみてください。

 

ジョンは、こう語っています。「カーネギーホールは恐ろしかったよ。観客が怖かった。みんな僕達と同じステージで座ってたんだけど、まるでロックフェラー(アメリカを支配するユダヤ人資本家の一族)の子ども達がバックステージにいるみたいだった。そいつはどうにもならなかったよ。あんなのロックショーじゃないよ。僕達は、檻に入れられてサーカスに連れ出されたみたいだった。バックステージでもステージでも、触られ、叩かれた。まるで動物扱いだった。」

 

確かに、写真を見てみると、ビートルズの舞台の上にも観客が上がっていて、彼らをグルリと取り囲んでいましたね。これも今のコンサートでは考えられません(笑)

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二度目のコンサートが終わると、バーンスタインは、ブライアンを会場の外へ連れ出し、イギリスがん基金へ3万ドルを寄付するよう勧め、それを追い風にしてマジソンスクエアガーデンでの追加コンサートを開催することを提案しました。チケットの印刷なんか直ぐに出来るし、あっという間に売り切れるだろうからということでしたが、ブライアンは回答を保留しました。

 

そんなことを急に言われてもねえ。しかし、なぜ、バーンスタインは、寄付をするように勧めたのでしょうか?追加公演をやるなら、その手配をすれば良いだけだったはずです。何だか怪しい匂いがしますね。もしかして基金の関係者と何らかの関係があったんでしょうか?

 

しかし、結局、ビートルズは、二度とカーネギーホールには戻って来ませんでしたし、マジソンスクエアガーデンにも行きませんでした。ブライアンも流石に怪しいと警戒したのかもしれません。でも、バーンスタインは、先ほども書いた通り、翌年のシェイ・スタジアムでのコンサートもプロモートしていますから、ブライアンの信頼を失ったというわけではなさそうです。

 

ビートルズは、2月13日に飛行機でニューヨークからマイアミへ向かいました。ローカル・ラジオ局が予告していたので、7,000人のファンが出迎えていました。

 

彼らは、飛行機を降りると3台のリムジンに乗り込み、マイアミビーチのドゥーヴィルホテルまで、13kmの道程を車に先導されながら向かいました。沿道には多くのファンが彼らを一目見ようと並んでいました。

 

ポールは、こう語っています「マイアミは天国だったよ。至るところにヤシの木があった。僕たちは本当の旅行者だった。ペンタックスカメラを持って、写真を一杯撮った。拳銃を携帯したバイクに乗った警官の写真もたくさん撮ったよ。拳銃を携帯した警官を見たのはそれが初めでだった。マイアミの警官はみんなカッコよかった。とっても素敵な時間を過ごせたよ。」

 

このマイアミ行きは、イギリス国内では寝る間もない位忙しい彼らに、せめて海外ツアーに出た時位は羽根を伸ばさせてやろうという、ブライアンのせめてもの思いやりだったのでしょう。彼らは、オフにプール、釣り、映画、水上スキーやショーを存分に楽しみましたから。 

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彼らにはニューヨークのラジオDJ、マレー・ザ・Kが同行していました。っていうか、どこにでも付いて行ってたんですね。彼は、上手いことやってジョージと同じ部屋に宿泊しました。ジョージは、こう語っています。「マレーが何で僕達の部屋に入り込んで来て、ずっと一緒に行動できたのか、いつも不思議に思ってたんだ。未だに良く分からないよ。」

 

どこにでもいるんですよね、こういうお調子者がf^_^;彼は、その夜、ショーを観せるためにビートルズを連れ出しました。

 

リンゴは、こう語っています。「その夜は、ガッカリしたことがあった。僕達は、コースターズのショーを観に行ったんだ。コースターズといえば、僕らのヒーローだったんだ。ロックンロールの神様さ。それが、なんで彼の歌でみんなが踊っているのか理解できなかった。ガッカリしたよ。

でも、コースターズは偉大だったし、アメリカのアーティストに会えたことは、とてもスリリングだった。アメリカで初めて本物の彼らに会えたんだからね。」

 

コースターズは、50年代に活躍したアメリカのロックンロールバンドです。1987年にロックの殿堂入りを果たしている程の大物なんですが、もうこの頃にはヒットが出なくなっていました。日本で知ってる人は当時の洋楽によほど詳しい人でしょうね。

 

ビートルズは、15日に滞在するマイアミで翌日のエド・サリヴァン・ショーのためのリハーサルを、午後2時に2,500人の観衆が見守る中、ドゥーヴィルホテルのナポレオンルームで行いました。観衆の殆どは、ホテルの外で朝早くから列を作って待っていたのです。リハーサルを完璧に仕上げると、彼らは釣りに出かけました。

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ポールは、こう語っています。「僕達は、マフィアに目を付けられたんだ。僕達が、新聞に厳しく批判されてた頃だよ。そのことについてジョージ・マーティンとブライアン・エプスタインが話し合ってた時に、ガタイのいい男が来て『エプスタインさん、こいつらを懲らしめてやった方がいいのかい?』と話しかけてきた。『ああ、いや、それはご遠慮させていただきます』。

そういう類の連中の中に僕たちはいたんだ。そうだ、マフィアだ。でも、僕たちはそのことを知らなかった。僕たちが見たのは、ただ格好いい男がプールとヨットに乗っていることだけだった。正直な話、彼よりヨットの方に興味があったんだけどね。

この頃から、新聞や映画でしか見たことのないような人物と会うようになり、彼らに肩を叩かれるようになった。」

 

ヒョエ~、恐っそろし~((((((´Д`))))))))))何とマフィアにまで目を付けられてたんですね。マフィアは、ビートルズのことが気に入らなかったんでしょうか?連れて行かれたらどんな目に遭っていたか。想像するだけでもゾッとします。

 

ビートルズは、翌日の16日にはマイアミのドゥーヴィルホテルからの生放送で再び「エド・サリヴァン・ショー」に出演しました。本番前のリハーサルは収録されましたが、放映はされませんでした。

 

この番組の冒頭で司会のサリヴァンは、「さあ、また素敵なショーが始まります。先週の日曜日にビートルズは、アメリカのテレビ史上類を見ない素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。今夜、彼らは、このマイアミビーチで記録破りの大勢の観衆の前にいます。皆さん、このステージに再び4人の素晴らしい若いスター達が登場します。ご紹介しましょう、ザ・ビートルズです!」

 

ショーが終わると、サリヴァンは、ビートルズリチャード・ロジャースに引き合わせました。彼は、作曲家であの有名なサウンド・オブ・ミュージック」「南太平洋」「王様と私などの数々のミュージカル中の楽曲を作曲しました。彼は、ビートルズの熱烈なファンで、サリヴァンに是非会わせて欲しいと頼んでいたのです。でも、初めは、彼もビートルズの音楽をくだらないって批判してたんですよ(笑)ところが、初めてエド・サリヴァン・ショーを観たとたんに彼らの魅力に憑りつかれたんです。

 

(参照文献)

THE BEATLES BIBLE, Abbeyrd’s Beatles Page Message Board Ⅱ

Carnegiehall, Morrison Hotel Gallery, The Saturday Evening Post

(続く)