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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その35)アマチュア時代のジョンのギターについて

ストーリーからちょっと外れますが、私が参加しているFacebookのグループで話題になったので、アマチュア時代のジョンのギターについて書いてみます。なお、ビートルズが使用した楽器については、改めて別のブログで解説するつもりです。

 
 
彼が1番最初に購入したギターは、「Gallotone Champion(ギャロトーン・チャンピオン)」というアコースティック・ギターです。

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彼は、このギターを1957年に雑誌の広告を見て通信販売で約10ポンドで購入しました。これは、普通のギターの4分の3のサイズで、ギャロという南アフリカの会社が製作していたもので、初心者向けのモデルです。「割れない保証付き」でしたが、割れないでしょ、ギターってフツー(笑)
 
 
(その0)にも書きましたが、バンジョーをプレイしていたジョンの母のジュリアも、ジョンが音楽をやることについては理解を示していて、新しいギターが自宅に送られてきた時も特に反対しませんでした。皮肉なことに彼の育児を放棄した実母のジュリアは彼が音楽に傾倒することを認め、彼を育ててくれた叔母のミミは音楽が嫌いだったのです。
 
 
ジョンは、友人のピート・ショットンと「ブラック・ジャックス」というバンドを組みました。ジュリアは、ジョンに5弦のバンジョーのコードのいくつかを教えました。でも、ギターは6弦なので、ジョンは適当に弾いていました。こういうアバウトなところがジョンの魅力であり、凄いところですね。普通ならちゃんとギターのコードを覚えようとするんですが。それで大勢の人前で平気で演奏したんですから大した度胸です。
 
 
このギターは、長い間行方不明になっていましたが、チューンアップされ、サザビーズのオークションに出品されました。サザビーズは、このギターが本物であるということを証明してもらうため、クオリーメンのオリジナルメンバーであったロッド・デイヴィスを呼びました。彼は、ジョンと共にクオリーメンのメンバーとして、リヴァプールのウールトンにあるセントピーターズ教会で1957年7月6日に開催されたフェスティバルにバンドとして演奏しました。ジョンがポールと初めて出会ったのはこの時です。
 
 
彼は、ジョンがギターをかき鳴らして人差し指の端の皮がめくれたので、ジョンのギターの弦の1本を張り替えてやり、その時にギターの内部に血痕が付いたのに気付いたことを覚えていました。そこで、彼は、サザビーズに対し、ギターの内部を確認するようアドヴァイスしたのでサザビーズが確認してみると、微かではありましたが血痕が残っていたのです。これにより本物であることが証明されました。
 
 
では、一体、このギターは何年もの間、どこにあったのでしょう?タイムズ紙は、こう書いています。「ビートルズが成功すると、ジョン・レノンは、これを叔母のミミ・スミスに預けていた。彼が殺害された後、彼女は、このギターを家族ぐるみで付き合いがあり、身体障がい者の息子を持つ友人に贈与した。その息子が亡くなると、さらに友人の20歳の身体障がい者の女性に譲られた。彼女の義父は、彼女の将来の保険のためにそれを売却した。」
 
 
サザビーズのカタログには、さらにこう付け加えられていました。「この売り上げの1%は、オリーブ・マウント・ラーニング・ディサビリティ・ディレクトリー・リヴァプール(学習障がい者を支援する団体)に寄付されます。」面白いことに、この文章は、ミミが寄付した時に添えられていた日付の無い手紙の文章の一部を引用していたのです。
 
 
彼女は、タイプライターで手紙を書き、自筆でサインしていました。その手紙にはこう書いてありました。「身体障害者のミュージシャンのために寄付を求めるあなたの要請をお受けすることにしました。大抵このような要請はお断りしてきたのですが、今回は例外だと感じました。私がこの貧弱なギターを見つけたときはボロボロの状態でした。それでプロにお願いして手入れしてもらいました。私は、ジョンの持ち物が人々に幸福を与えることを望みます。」
 
 
このギターは、何年もの間、トランクの上に置かれていましたが、それと一緒にオークションに掛けられました。これには、ミミが、初めてギターを手にして喜んでいるジョンに対し忠告したことを想い出にしておくために、真鍮製の支持台が付けられていました。彼女は、ジョンにこう忠告したのです。「それで食っていくことなんかできないわよ。」と。
 
 
この神話ともなったギターがどこから出品されたのかは謎です。出品当時は匿名で、後にアダム・センサーと名乗った個人収集家が 155,000ポンド(約250,000ドル)で落札しました。これは、2000年の秋にボストンの美術館に展示されました。
 
 
ジョンが、初めて正式に手に入れたエレキギターは、RICKENBACKERリッケンバッカー) 325c58 です。
 
 
しかし、その前に彼が手に入れたエレキギターがありました。それが、Dallas Tuxedo(ダラス・タキシード)です。

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1958年11月24日に彼は、自分がリーダーになっていたジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグズを連れて、ポールやジョージと一緒にマンチェスターで開催されたキャロル・リーヴァイス・タレント・オーディションというスキッフルバンドの競技会に参加しました。そのイベントはまだ終わっておらず、彼らは審査の結果も聞かずに、リヴァプール行きの終電に乗り込むためにダッシュしなければなりませんでした。

 

彼らがそんなに急いでいたのには、実はもう一つ理由があったからなんです。ジョンは、競技会に来る時に肝心の自分のギターを忘れてきてたんですが、競技会の時にはちゃんと持っていました。え?どういうこと?それって、ひょっとして誰かからパクったんじゃないの?事実、ポールとジョージは、ジョンがその夜に誰かのギターを盗んだと語っています。ヤレヤレ、破天荒にも程があるぜ、ジョン(^_^;)

 

このギターは、イギリスで初めて開発されたエレキギターですが、もし、これが伝説のリヴァプールの謎のギター」であったとしたら、どうやらジョンは、それをコッソリ自宅の屋根裏部屋に隠しておいたようです。そして、それを持っている写真は絶対に撮影しませんでした。そりゃ、そうでしょうよ。盗品を堂々と人目に晒す訳にはいきませんから。

 

このギターの存在は、1996年にある職人が屋根裏部屋で、バンジョーの雑誌と一緒に発見するまでは、一般には知られていませんでした。どうやら、雑誌は、母親のジュリアが購入したようです。

 

このギターが発見された家は、アーネスト・バーキーが、ジョンが子どもの頃に住んでいた自宅であるとは知らずに、1960年代後半に自宅として購入したのです。彼自身はビートルズのファンではなく、屋根裏部屋の存在にも気が付いていませんでした。もちろん、ギターがあるなどとは夢にも思っていませんでした。

 

そして、自宅がファンから注目を受けていることを彼が不快に感じていることが、地元のマスメディアによってしばしば取り上げられていました。彼は、ツアー会社によってジョンの家を巡るツアーに組み込まれることも拒否していました。ヨーコですら、入ることは許されず、彼の家を通りから見ることしかできなかったのです。

 

ただ、バーキーは、前妻のシンシアが訪れた時は、ジョンと彼の義理の姉妹とによって絶縁された彼女に同情し、特別に自宅へ招き入れました。

 

ギタリストのジョニー・バーンは、バーキーの甥であるアラン・ストラットンに友人のラリー・ワスグレンと共に、バーキーの自宅に入らせてくれと頼みました。ワスグレンは、アメリカ人でビートルズの専門家であり、初期のビートルズにまつわる品々の収集家でした。ストラットンは、バーキーに対し、自宅を二人に見せるよう頼み、こうして特権を与えられた二人にドアが開かれたのです。

 

ワスグレンは、バーキーが「君はビートルズが好きなんだろ?だったら、これを上げるよ。」と言いつつ、ギターと2冊のバンジョーの雑誌をくれた時には自分の幸運が信じられませんでした。ワスグレンは、とんでもない、それはストラットンが持つべきですと応えました。

 

その歴史的な日以来、ストラットンとワスグレンは、このギターがジョンの物であることを証明しようと、多方面に呼びかけて証拠を集めにかかりました。しかし、残念ながら、それを証明する写真や記録はありませんでした。ただ、ある1人の訪問者が台所でちらっと見かけたことがあるという証言と、もう1人の地元の人が、ジョンがそのケースを探しているところを目撃したという証言があっただけです。

 

しかしながら、ジョンの小学校の同級生でもあったストラットンは、このギターがジョンの物に違いないと確信しました。その理由は、上記の証言に加え、誰も他に子どもが住んでいなかったこと、それとそのギターが彼が18〜19歳の頃に製作されたことです。ただ、いずれも決定的な証拠とは言い難いものでした。

 

彼は、アメリカでワスグレンと再会した時に、こう言いました。「このダラス・タキシードは、イギリスで初めて製作されたエレキギターだ。私は、リヴァプールの人々や世界中のファンにこれを還すことができることをとても誇りに思う。なぜなら、これは、ビートルズの歴史の重要な一部分であるからだ。ジョンもヨーコも喜んでくれるだろう。私の台所に置いておくより、ビートルズ・ストーリーに展示した方が良いに決まっている。」

 

ビートルズ・ストーリーの学芸員であるサンドラ・クエールも、この謎に興味をそそられ、研究の幅を広げたいと思いました。「ギターを公開することにより、我々は、これがジョンのギターかどうかという疑問に応えるための新たな道が開かれることを願います。」

 

2003年5月16日からこのギターは、リヴァプールビートルズ・ストーリーに展示されました。そして、2012年の始め頃までは展示されていたのです。しかし、どういう経緯でそうなったのかはわかりませんが、2012年7月12日にオークションにかけられました。その時にワスグレンは、ストラットンのためにギターを丁寧に手入れしたそうです。

 

一旦博物館に所蔵されたものが、なぜオークションに出品されたのでしょうか?その経緯を調べたのですが、残念ながら資料が見当たりませんでした。

 

これは、あくまでも私の勝手な憶測ですが、ビートルズ・ストーリーが公開で情報提供を求めたものの、これがジョンのギターであるという有力な証拠を発見することができなかった。それで、これ以上疑わしいものを展示することはできないと判断し、手放すことにしたのではないかと考えます。

 

それに、若気のいたりとはいえ、ジョンが誰かのギターを盗んだ疑いが強いわけですから、流石に盗品を堂々と展示することはいかがなものか、と考えたのかもしれません。本来なら元の所有者に返還すべきところですから。

 

ビートルズの分析家であるマーク・ルイソンは、このギターがジョンの所有であったことは疑わしいとしています。バンドの友人の1人がその競技会に彼らと同行し、ジョンがギターを持っているところを見ましたが、それは「完全なゴミだった」とルイソンに話しました。そんなこともあって、今でもあまり高い評価は受けていません。

 

オークションでの落札価格も日本円で約73万円と、ビートルズの使用した楽器にしては低いものに留まりました。

 

(参照文献)thecanteen.com, ECOH

(続く)