★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その44)スチュアート・ケンドールさんのことについて(お詫びと訂正)

このブログを読んでいただいている皆さんにお詫び申し上げます。というのは、(その41)でご紹介したスチュアート・ケンドールさんが、かつてビートルズのローディー(スタッフ)とご紹介していたのですが、ご本人がファンだったと訂正してこられました。私の早とちりで皆さんをミスリーディングしてしまい、申し訳ありませんm(__)m

 

以下に、ケンドールさんからのメッセージを掲載します(フェイスブックビートルズ・ファンのグループの方に翻訳していただきました)。

 

「喜んでお答えしますよ。でも私のことで、最初に訂正しなくちゃいけないことがあります。私はビートルズのローディではないんです。私は若きアートカレッジの学生で、彼らとー特にジョンとー会いたいと思っていたのです。そして当時を支配していた文化的な影響に関し、議論していたのです。そう、ビートルズ音楽に与えた偉大なる影響です。」


「その影響は当時の英国にとって全く革新的なもので、それは仏教の禅の精神、東洋哲学のようなものです。そしてストックハウゼンのような新しい音楽、ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグらが生み出す現代アメリカ文学、エドワルド・パオロッツイ、ルネ・マグリッドのような絵画・芸術の新潮流といったものがありました。そしてもちろん、LSDに代表される思考を拡大させるドラッグ文化への関心、ティモシー・リアリやアレン・ワッツの著作にも興味がありました。このような新たな潮流は、60年代半ばにロンドンを中心に突如出現し、とまどいがありつつも大変心躍らさせるものでした。ロンドンの「スゥインギング・シックスティーズ」の時代には、すべてに新たな考え方や影響が及んだのです。そして英国が、国としてのアイデンティティを再考する時代になったのです。」


「ジョンはみんながそうであるようにあれこれと頭を悩ませていましたが、あらゆる新しものがり屋が尊敬し、また彼の答えを知りたくなるようなビートルだったのです。とにもかくにも、まずは私がローディではなかったことをご理解ください。」


「でも私は、ローディみんなーアレフ・ビックネル、ニール・アスピノール、あの大きなマル・エバンズーと会っています。(マルの娘さんとは今でも連絡を取り合っています)初期に事務所の広報担当だったトニー・バーロウ、その後アップル時代の広報責任者となったデレク・クーパーがいます。そしてテリー・ドラン(彼はフェイスブックに載せたソファーに座った4人の写真を撮った人物)もいつも周辺にいました。テリーはブライアン・エプスタインの友人で、ビートルズの車を手配しました。(ジョンとポールのミニクーパー、ジョンのポルシェとメルセデスSEL、ポールのアストンマーチン、ジョージの大型メルセデスジャガーEタイプ、リンゴのファセルベガなど)」

「この時期私は、スピークイージークラブとバッグオネイルズクラブなどで何度かビートルズと会って、酒を酌み交わし交流を深めました。それは素晴らしい時代で、このあと、また詳しい話をしていきたいと思います。では、また。スチュアート」

 

以上の通りです。ホントにすいません。正確な情報をお伝えすることを信条としていたのに、とんでもない間違いをやらかしてしまいました。ただ、ケンドールさんがビートルズやその周辺の人々と交流があったことは間違いないので、これまでの著作物には掲載されていないような裏話的なものは期待できるかもしれません。

 

次回は、リンゴのドラミングについての続編をお届けします。あ、前回(その43)はとても好評で、色んな方々から賛辞をいただきました。また、PV件数も大幅にアップしました。ありがとうございます。

(続く)