★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その49)リンゴのドラミングの凄さについて(その3)

Q&A: Ringo Starr - Rolling Stone

1 リンゴのインタヴュー

ここでリンゴ本人の意見も聞いてみましょう。このインタビューは、雑誌モダンドラマーの1997年7月号からの抜粋です。

記者「ビートルズのレコーディング・セッションでは、ジョージ・マーティンは、あなたが極めてミスが少なかったと語ったと伝えられています(マーク・ルイソンの伝記より)。」

リンゴ「レコーディングしていたとき、私は、殆どミスしなかった。メンバーがヴォーカルを間違えたらミスだよね。ジョンは、その度に間違えたメンバーを指さしてレコーディングを止めたんだ。私の場合、滅多にそんなことは無かった。アンソロジーをリリースするために、すべてのテープを再生したとき、人々はそれが分かったんだ。私は、責任の一部を取るつもりはあったけどね(笑)」
記者「あなたは、ドラムに熱中すると良く失神したと聞いていますが。」
リンゴ「いつもそうさ。良くそう言ってたね。我々は、リズム・パターンのブーム・チックや4/4をやる方法を知っていた。私は、ドラマーは、アーティストとして全身全霊を込める立場だと思っていた。その時が来たら、全身全霊を込めてやらないと、同じことをを二度繰り返すことはとても難しいことなんだ。」
記者「ライヴの時はどうでしたか?」
リンゴ「初期のビートルズのレコードのドラム・パートは、終わりまでずっと一定のリズム・パターンを続けていた。それは難しくなかった。それに、障碍もそれほど無かったしね。」「曲の長さは僅か2分10秒だった。我々は30分ショーをやった。シングル曲は、一定のハッキリしたパターンがあった。初期のレコードを聴けば分かるけど、そんなに目一杯やる程じゃなかった。『Rubber Soul』辺りから難しくなり始めた。それから、少し肩の力を抜くようにしたんだ。」 
記者「レコーディング・セッションを解説した資料によると、あなたにはバンドで最も困難な役割を与えられていたとあります。」
リンゴ「私が3人の他のドラマー、本業はギターやベースをやってるメンバーに囲まれてたなんてのは、ドラマーとしてのジョークさ。ドラマーが何をしなければならないか、皆んな分かってるからね(笑)そして、何かステージでうまくいかないことがあると、前の連中は自動的にドラマーを見るんだ。」
「ジョン、ポールとジョージが言うことが本当に役に立つと分かったよ。『それはどうやるの?こうやる?ああやる?』でも、ジョンは、クラシックなモータウンの曲を持ってきてこう言ったんだ。『こんな感じでやってくれ。』そして、私はこう言った。『何だか2人のドラマーがいるみたいだな。』でも、ジョンは、『ああ、そうさ、そうやってくれ。』って言ったよ。 

「結局、それで私は、最高のプレイができたし、我々は、多くの素晴らしいサウンドを手に入れた。私がすべてを発明したわけじゃない。私は、シナリオライターから他の方法も同じように強制されたけど、クレージーなアイデアまで強制されたわけじゃない。」

 

「これはホントのことなんだけど、より良いサウンドやアクセントを得ようとして、タンバリンでスネアを叩きながら、マラカスを振ってたんだ。」
記者「記録によると、メンバーの中ではあなたの仕事が最もキツかったとされています。何度も何度も演奏しなければならなかったせいで。」
リンゴ「彼らがミスをした時だね。私は、1つのルールを作っていたんだ。我々がプレイしている間、私は、決してプレイを止めなかった。たとえ何が起こっても、それがそのまま曲の一部に変わることがあるからさ。それがよほどのミスでもない限りね。」
「ジョンが演奏を止めても、我々3人は演奏を続けたかもしれない。ビートルズの初期の頃は、我々全員が2台のマイクしか使わなかったので、そうすることはできなかった。でも、その後、たとえ誰かがミスをしても、他のメンバーは演奏を続けるようになった。その演奏に価値があるかどうかを見極めるためにね。そして、時々、そういうこともあったのさ。」
記者「それぞれの楽曲について、あなたが果たした役割を教えてください。」
リンゴ「私にとっては、誰もが考えるような 役割じゃなかった。『君はこうしてくれ、ああしてくれ。』その役割は、我々が互いを支えたということだったんだ。誰かが何かをやろうとしたら、それを他の誰かが懸命に支えた。我々は、本当に売れたかったんだ。レコードを出したかった。我々は、ミュージシャンとして、より多くの人々のためにプレイし続け、もうできないというまでやり続けるのさ。」
 (以下略)

2 TOMORROW NEVER KNOWS (REVOLVER, 1966)

では、具体的な作品で彼の優れたテクニックを検証してみましょう。 

 

(1)「リンゴ語」がタイトル

恐らく、リンゴのドラミングを高く評価している方は、この曲をその代表に上げる方が多いのではないでしょうか?この曲は、LSDで幻覚を起こした無意識を表現したジョンのユニークな作品ですが、リンゴは、この曲に2つの重要な貢献をしました。その一つはこの曲の風変わりなタイトルで、これはリンゴが時々口走った独特の言葉(リンゴイズム)から生まれたものです。 
リンゴはこう語っています。「私は何かを話している途中で他のことを思い付いて、それを口走ってしまうことが良くあったんだ。『Tomorrow Never Knows』も私が言った言葉だ。ジョンはそんな私の言葉を一番好んでいたよ。神様はその言葉がどこから来たかを知っている。今では良い言葉を思い付いてとても良かったと思ってるよ。」 
ビートルズが1964年に訪米した際、英国大使館に招かれた時に、招待客の一人が突然リンゴの髪をハサミで切り取った事件があったんです。その時に彼は周囲の人々を見渡して、「皆さんは何が言えますか?」と口走ったんです。するとジョンが思わず「皆さんは何が言えますかだって?」と聞き返すと、リンゴはこう言いました。「Tomorrow never knows」と。 
ホントに彼は何が言いたかったんでしょうね?(笑)多分、「皆さん、僕が受けたこの仕打ちをどう思いますか?世の中何が起きるか分からないってことですよ。」と言おうとしたんだと思います。それが「Tomorrow never knows」になっちゃったんですね。 

(2)歪んだビート


The Beatles - Tomorrow Never Knows (Isolated Drums)

そして、他の一つは、彼がこの曲のために開発したとされる変わった歪んだビートです。タイトルと共にこの曲を聴いた瞬間の感覚にピッタリとマッチしています。他のメンバーは、レコーディングの際にリンゴのドラムキットから、この曲にマッチした的確なサウンドが生み出されるであろうと確信していました。 
タムの皮は緩く張られ、マーティンのアシスタントだったレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックは、リンゴのドラム・サウンドを減衰させるために、バスドラムの内部にウールのセーターを入れて、ドラムヘッドからちょうど3インチの所にマイクを移動し、フェアチャイルド660コンプレッサー/リミッターを介して信号を重く圧縮することにより、より大きな存在感を出すことに成功しました。 
音楽を専門とする学者であるイアン・マクドナルドは、アビイロードスタジオは、アメリカの多くのスタジオと比較して設備が技術的に劣っていたにもかかわらず、エメリックが、分離して収録されていたリンゴのドラミングのパートをスタジオで結合させることにより、ビートルズによって生み出された革新的なサウンドをアルバムで再現しようとしたとしています。 
東洋に強く影響を受けたジョンが目指していた全体にサイケデリックサウンドに、完全に調和するようリンゴが採用したエキゾチックなテクニック、そしてそれらは、テープ・ループ(オープン・リール・テープを何回も繰り返して再生することです。若い人にはそもそもオープン・リール・テープって何?って言われそうちゃいですね(^_^;)そう、下の写真のようなやつです。これをいじって新たなサウンドを作り出したんですね。)などの他、その場面に適したレコーディングの様々な手法により「TOMORROW」という文字に催眠効果をもたらせました。
 

(3)シンコペーションとドラッグ

 

曲の冒頭から最後まで繰り返されるあの印象的な「ドン、タット、ド、タタン」というリズムパターンは、リンゴがハイハットのフットペダルを2拍踏み、クラッシュシンバルを右手で叩き続け、このサウンドがずっと響いている間にバスドラムを3拍、左手でスネアを1拍、タムを2拍連続して叩くことにより演奏されました(演奏を文字で説明するなんて信じられないくらい難しいですね(^_^;))。ただ、すいません、本人が演奏している映像を見てないので実際には違うかもしれません。 

 

特に最後のタムをドラッグといって、2拍連続で叩いて大きなシンコペーションを作ったこと(タタンの箇所)により、この曲の幻想的な雰囲気を引き出すことに成功しました。そのため「このテクニックには100万ドルの価値がある」と評価する人もいます。彼の凄いところは、彼自身のフィーリングでこのテクニックをここで使うべきだと判断したところです。 
エメリックの功績も大きいです。ジョンのダライ・ラマが山の頂上から説法している感じにしてくれ」なんて訳のわからないリクエストにちゃんと応えたんですから。同様にケン・タウンゼントもADTというダブル・トラッキングを一度でできてしまう機材を持ち込み、ジョンの電話で話しているかのようなヴォーカルを引き出しました。これはフェイジングと呼ばれています。 
リンゴ自身もこのドラミングにはかなり手応えを感じていたようです。その当時、ジョンの独創的な考えを完璧に読んでプレイすることは至難の業だったに違いありません。 
(参照文献)POPSUGAR.COM, The 12 Days Of Beatles, MODERN DRUMMER, DRUM LESSONS.COM, SOMTHING ELSE, RUBBER SOUL REVOLVER, THE BEATLES MUSIC HISTORY
(続く)