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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その69)ビートルズの名を生み出した夭折の天才アーティスト、スチュアート・サトクリフについて(その1)

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(AlohaCriticon)

1 ビートルズの元ベーシスト

ポールのベース・テクニックについてお話をしてきましたが、元々のビートルズのベーシストだったスチュアート・サトクリフ(ニックネーム、スチュ)についてほとんど触れていなかったことに気がつきました。それで、またデビュー前に戻ってしまいますが、彼について解説したいと思います。

 

ビートルズのベーシストは彼だったんです。しかし、彼はデビュー前にビートルズを脱退し、絵画の世界へ行ってしまいました。彼の画家としての才能は、若い頃から高く評価されていました。ビートルズファンの間では、良く「5人目のビートルは誰か?」という話題が上りますが、彼を挙げる人も多いです。
 

 

 
1961年7月6日のマージービート紙で、ジョンはこう語っています。「4人目を探していた時だ。スチュアート・サトクリフという名の小柄な男を見つけた。それでみんながこういったんだ『坊や、ベースを持っているだけでいいから』。それであいつはそうした、ベースを弾けなかったからね。あいつがベースを弾けるようになるまでみんなでサポートしたんだ。」
 
 

2 生い立ちとジョンとの出会い

スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフは、1940年6月23日、スコットランドエディンバラで生まれ、リヴァプールで育ちました。彼は、若い頃から芸術的才能に恵まれ、それを伸ばしてきました。リヴァプール・アートカレッジに通いつつ、清掃作業のアルバイトをしながら、学費や生活費を稼いでいました。彼は、クラスで最も才能のあるアーティストとみなされ、殊に抽象画が得意でした。
 
 
彼は、同じ大学の学生仲間のジョンと知りあい、同居することになりました。その頃、スチュの描いた絵が合計すると£65で売れたんです。 そして、ジョンは、その金でベースかドラムを購入するよう説得しました。その頃、ビートルズにはベーシストもドラマーもいなかったからです。それで、スチュは、ベースを購入しました。もっとも、殆ど弾けなかったんですけどねf^_^;それで、ジョンの友人であるポールとジョージが参加しているビートルズに彼も参加することになりました。これは、ハンブルクのトップ・テン・クラブで演奏していた彼です。ポールがピアノを弾いてますね。

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Pinterest
 

3 ビートルズの名付け親

ビートルズというバンド名を思い付いたのも彼とジョンです。バンド名は、何度も変わりました。結成した時にスチュとジョンがバディ ・ ホリー・アンド・ザ・クリケッツ(クリケットとはコオロギのことです)にあやかって、同じ昆虫の「カブトムシ」からビートルズという名前を思い付きました。
 

 

 
スチュは、マーロン・ブランドが主演した「The Wild One」という映画の中で、リー・マーヴィンがバイクに乗る女の子達のことを「beetles」と呼んでいたことにヒントを得たと語っています。この映画の中でリー・マーヴィンマーロン・ブランドに突き飛ばされ後に女の子達を「beetles」と呼んでいます。​
彼らのバンドは、数か月の間に名前をどんどん変えていきました。「the Silver Beatles」「Silver Beats」「Silver Beetles」などと目まぐるしく変え、1960年8月に「The Beatles」にしました。結局、これがバンド名として定着することになります。
 

 

 
この頃のバンド名って、例えばかつてリンゴが所属していた「Rory Storm and the Hurricanes」みたいな感じで「~アンド~ズ」って長ったらしい名前がやたら多かったですね。多分ですけど、その頃のバンドってリードヴォーカルが一人いて、彼を中心に結成したので自然にそんな名前にしたんじゃないでしょうか?それに比べてビートルズという名の何とシンプルなこと。しかし、このシンプルで覚えやすいネーミングも彼らが世界的なバンドになった一因だと思います。それはまた同時に一人のバンドではなく、4人で一つのバンドだということを意味したのかもしれません。
 
 
ジョージは、スチュのことをこう語っています。「彼は、そんなに優れたミュージシャンではなかった。我々が彼にベースをやるように勧めたので、彼は、少しばかり勉強し、練習するようになったが、そんなに上手くはならなかった。でも、そんなことはどうでも良かったんだ。イケメンだったからね。」なるほど写真を見てもかなりのイケメンですね。
 
 

4 ドイツのハンブルク

ビートルズは、ドイツのハンブルクのクラブからのオファーで演奏することになり、急遽ドラマーとしてピート ・ ベストをメンバーに加え、スチュと共に自分達のスキルを磨くためにドイツへ旅立ちました。ところが、スチュは、ハンブルクでアストリッド・キルヒャーという女性カメラマンと恋に落ち、わずか 2 ヶ月後に二人は婚約しました。ビートルズにモップトップヘアにするよう勧めたのは彼女です。

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(History Timeline Of The Beatles
彼女は、こう語っています。「私の通っていた芸術学校の友人達は、みんないわゆるビートルズのヘアカットが好きだったの。特に、スチュは、とっても気に入っていたわ。ポマードで固めた髪が嫌で、早くカットしてくれって頼んだのは彼が最初だったわ。」
 

 

 
ビートルズで最も早くモップトップヘアにしたのはスチュだったんです。でも、ジョンは、初めてスチュのヘアスタイルを見た時は大笑いしたんです。ところが、すぐにジョージも同じヘアスタイルにしました。結局、ピート以外は全員同じヘアスタイルにしたんです。
 
 

5 ジョンはスチュを尊敬していた

ジョンは、こう語っています。「オレは、スチュを尊敬してた。思っていることを何でも話してくれるあいつを頼りにしてた。あいつは何か良いアイデアを思いつくとオレに話してくれたから、オレはあいつを信頼してた。オレ達は時々あいつに脅威さえ感じた程だ。ポールは、特に脅威を感じてたから、良くいじめてたけどね。だから、後になってオレ達があいつのことを嫌っていたわけじゃないと説明しなきゃならなかったんだ。」
 
 
ジョンは、彼のことを尊敬し、脅威を感じていたとまで言っています。音楽の才能には恵まれてはいませんでしたが、画家としての才能には恵まれていたんです。 
(参照文献)mashable.com, THE BEATLES BIBLE
(続く)