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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その76)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その1)

1 世界的に有名な「THE BEATLESのロゴ

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でっかいBの文字とTの文字の縦の棒が下に長く伸びたあまりに有名なこのロゴ。リンゴのバスドラムにバッチリ表示されているので、ファンでなくても見たことがあるという方は、多いのではないでしょうか?何の装飾もない極めてシンプルながら、大変すばらしいデザインだと思います。

 

さて、ここで疑問が一つあります。あのロゴをデザインしたのは一体誰なのでしょうか?メンバーか、それともプロのアーティストか?今回は、これについて研究してみたいと思います。

 

2 あのロゴが使用されるまで
あのロゴは、「ドロップーT」ロゴと呼ばれています。文字通りTの文字の縦棒の末端が普通より下がっているところから付いた名前ですね。

 

イギリスで発売されたオリジナルのアルバムには、このロゴは使用されていませんでしたが、それでも比較的早い時期から使用されるようになりました。そして、1963年からリンゴのバスドラムに表示されるようになり、それ以来公式のロゴとして使用され、1990年からアップルが公式のロゴとして商標登録しました。って、ちょっと遅すぎません?それまでに誰かが勝手に商標登録しちゃったらエラいことになってたところですよね?

 

リンゴのバスドラムの変遷を追ってみるとなかなか面白いです。下の写真を見て下さい。1960年は何と紙に手書きして貼り付けてたんです!1963年になってやっとあのお馴染みのロゴが登場しました。

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(Magdalena Toruń)

3 誰があのロゴを考えた?
じゃあ、一体誰があれを考えたんでしょうか?THE BEATLES」というバンド名は、ジョン・レノンスチュアート・サトクリフが考案したというお話は既にしました。しかし、このロゴを考えたのは彼らではありません。

 

実は、このロゴを最初に考案したのはポール・マッカートニーだったんです。彼は、バンド名を表す色々なデザインを考え紙に書き出していました。こんな感じです。Bの所は、カブトムシの触覚をイメージしたんでしょうね。

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(We Heart In)
しかし、見ればわかる通り、まだほんの下書き程度で本格的なデザインではなく、ドロップーTには程遠い代物ですね。辛うじてBを強調しているところだけが共通してます。つまり、あのロゴが完成するにはもっと手を加える必要があったのです。ここでまた別の人物が登場することになります。

 

4 リンゴ、ドラムを買い替える
アイヴァー・アービターは、1929年にロンドン南部のバラムで生まれました。彼は、パートタイム・ドラマーとして働いていましたが、1950年代後半にシャフツベリー ・ アベニュー沿いに「Drum City」という楽器店をオープンしました。それは、ロンドンで最初のドラム専門店でした。

 

その店は、アメリカのアウトレットショップをモデルにし、ドラムの専門店としてジャズドラマーの間で広く知られるようになりました。彼は、また、「Sound City」という名のギター店を開き、ビートルズは、1963年からそこで多くの機材を買いました。

 

実は、あの「ドロップーT」ロゴが誕生したのは一つの偶然だったんです。それは、1963年4月のことでした。リンゴ・スターとブライアン・エプスタインは、リンゴがそれまで使っていた「スターズ・プレミア・キット」と呼ばれていたドラムキットに代わる新しいドラムを探しに店にやってきました。

 

それまで使っていたキットがこれです。1960年9月にハンブルクの巡業から帰国する際に購入したんです。彼がビートルズの正式なメンバーになってからも、ライヴやレコーディングの時にはこれを使用していました。例えば、「I Saw Her Standing There」などはこのドラムキットでレコーディングし、1963年5月12日までこれを使用していました。

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(mikedolbear.com)
アービターはこう語っています。「ブライアン・エプスタインとかいうお客とドラマーが店に来てると店員から電話があったんだ。 そのドラマーがリンゴだったんだが、名前ははっきり覚えていなかった。私は、その時ビートルズの名前すら知らなかったんだ。その当時のバンドは、みんなビッグになりたいと思ってたもんさ。」

 

いや、ちょっと待って下さいよ。ビートルズはもうこの頃にはセカンド・シングルの「プリーズ・プリーズ・ミー」がチャートNo.1を獲得して、もうビッグになってたんですけどねえf^_^;それを楽器店のオーナーが知らないなんて…。まあ、どうでも良いことですが。

 

最初、彼らは、黒一色のキットがないか尋ねました。しかし、リンゴは、ラドウィッグの新しいオイスター・ブラック・パール仕上げの見本がアービターの机の上にあるのを見つけると気が変わりました。それはラドウィッグのキットで唯一手に入る物だったのです。それでリンゴは決心しました。「あれを買うよ。」とリンゴはアービターに告げました。238ポンドでしたが、ラドウィッグ・ダウンビート・キットの完成品で唯一在庫があったんです。

 

でも、ブライアンは買おうとはしませんでした。多分、高いと思ったんでしょうね。しかし、アービターは、客を手ぶらで帰らせるわけにはいかないと考えたのです。それで交渉の結果、何と彼は、リンゴの古いプレミア・キットと引き換えに新品のラドウィッグを引き渡したのです(@_@)!

 

ブライアンの巧みな交渉術もあったのでしょうが、それにしてもタダでくれてやったも同然の驚きの行動です。だって、238ポンドですよ!当時の為替レートは1ポンド=1008円の固定レートでした。それで計算すると239,904円。今の貨幣価値に換算すると何と約120万円!アービターがガラクタ同然の中古のドラムと引き換えに、何故そんな気前よく新品を渡したのかは謎です。ひょっとして、これから先も良いお得意様になるかもしれないと見込んだからでしょうか?だとしたら大した商売人です。

 

でも、もうメジャーになっていたビートルズだと分かっていたら、もっと高い値段で売っていたでしょうね。アービターが後悔したのかどうかは知りません。

 

ただ、アービターは、ラドウィッグの社名をバスドラムに表示するようブライアンに頼みました。というのも、彼はラドウィッグと取引を始めたばかりなので、少しでもその社名を宣伝したかったのです。その戦略があったからタダ同然で引き渡したのかな?ブライアンはそれを了承しましたが、同時に「THE BEATLES」と表示することも求めたのです。しかも、ラドウィツグのロゴよりもっと大きく描くように注文を付けました。この辺り、流石、抜け目がありませんね。だって、バンド名をアピールするのにあんな目立つ場所ありませんから。



結果的にアービターの目論見は大当たりしました。ビートルズが世界中で大ブレイクし、そのおかげでラドウィッグは一躍世界的なドラムメーカーになったからです。

(参照文献)THE BEATLES BIBLE

(続く)