★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その88)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その1)

Larry Kane on the fab four life - touring with The Beatles | Stuff.co.nz

1    映画のレポート及びレヴュー

元々ドキュメンタリー映画ですし、既にファンの方もかなり観たでしょうから、もうネタばらししても大丈夫と思うので、内容と感想を報告します。先行上映も含め3回観たのですが、記憶に頼って書いてますので記憶違いがあったり、話が前後すると思いますが、その点はご容赦ください(^_^;)

 

100 Fab Beatles Facts | NME 

2    始まり

映画は、ビートルズのコンサートの開始直前の楽屋における彼らの会話らしきシーンからスタートします。動画ではないのですが、何故か音声だけは録音されていたんですね。誰が録音したんでしょうか?

ビートルズは、普段着で楽屋に入ると舞台衣装であるスーツに着替え、ビートルブーツに履き替えて、お互いにチェックしました。ポール「緊張するな。」ジョン「大丈夫さ、マッカ。」などと話し合っていましたが、何気ない会話からでも彼らのコンサート直前の、「さあ、やるぞ!」という戦闘意欲に満ち溢れたワクワクした気分が伝わってきます。 

コンサートの場面は、現代の技術を尽くして映像が美しく処理され、サウンドもクリアになっているため、まるで当時にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。ビートルズが「シー・ラヴズ・ユー」を歌いながら「Hooow!」と激しく髪を振り乱してシャウトすると、女の子たちが絶叫するのです(動画は映画のシーンのものではありません。)。

 

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3    「ビートルマニア」現象の発生

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映画は、1962年にデビューして、特に1963年以降、彼らが国内でブレイクしてからのツアーの模様を中心に構成されています。いわゆる「ビートルマニア」現象が起きて以降ですね。

彼らに関するイベントがある場所は、どこでも想像を絶する程の群衆が集まり、まるで暴動が起こったかのような騒ぎでした。いや、人の数は、暴動よりもっと多かったでしょうね。恐らく何万人もの人々が街頭に集結して、街中が満員のエレベーター状態でしたから。 

以前にこのブログでもご紹介しましたが、アメリカのニュースキャスターが、テレビのニュース番組で「イギリスはビートルマニアの国になった」とこき下ろしていました。コンサートのチケットを求めて何kmにも及ぶファンの列ができ、売り切れたと知ると多くの女性ファンが号泣していました。 

現代では考えらえませんが、リンゴが自宅(当時はまだ一軒家ではなく共同住宅)のドアから外出しようとすると、既に外には大勢のファンが待ち構えていてリンゴは、その群衆をかき分け、ジョージが待つ乗用車に乗り込み走り去っていきました。映画では描かれていませんでしたが、近所からは苦情が殺到してたでしょうね(^_^;)早くどこかへ引っ越してくれって。

ビートルズの下積み時代のことについても描かれていました。ポールが「僕たちは、突然売れたように思われているが違う。何年もやって来たんだ。」とインタヴューに答えていました。 

ドイツのハンブルクへ巡業した時には狭い部屋で一緒に寝泊まりし、みんなが煮詰まってくるとジョンが「オレたちはどこへ向かおうとしてるんだ?」と叫びました。すると、それに応えてジョージが「トップさ、ジョニー。」「トップってどこだ?」「トップのそのまた上さ。」「そうだ。やってやろうぜ。」こうやってお互いに励まし合っていたんですね。やがて、彼らはイギリスを制覇し、ヨーロッパでの人気も不動のものとなりました。

 

4    全米制覇へ

The Beatles Arrive in New York - HISTORY

ビートルズは、満を持してアメリカへ進出しました。60年代のアメリカは、ケネディ大統領の暗殺、ビキニ環礁の核実験、アフリカ系アメリカ人の暴動、銃の乱射事件、ベトナム戦争など暗いニュースが続き、人々は、解決策の見つからない社会に不安を覚えていました。そんな時に、ラジオから初めて彼らの「抱きしめたい」が放送されました。社会の不安を吹き飛ばすかのような明るいラヴソングは、たちまち若者たちのハートを鷲掴みにし、これで人気に一気に火が付いたのです。 

そして、とうとう全米チャート№1を獲得し、彼らは喜びのあまりホテルの部屋でロード・マネージャーのマル・エヴァンスの背中に飛び乗ったり、ベッドの上で枕を投げたりして子どものようにはしゃぎ回りました。その勲章を引っ提げてアメリカへ渡り、ワシントン・コロシアムでアメリカ初のコンサートを開きました。ところが、何とリンゴのドラムが反対向きになっていたのです。ドラマーが後ろを向いていたんじゃサマになりません。ジョンが舞台脇に控えていたマルに「ドラムの位置を変えてくれ」と指示し、マルが大慌てで向きを修正しました。まあ、この頃の舞台設営はこのぐらいアバウトだったんです(動画は映画のシーンのものではありません。)。

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このライヴの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」の演奏のシーンが登場しますが、圧巻だったのはリンゴのドラムです。左利きの彼が反対の右手で高速でシンバルを叩き続けていました。まるで神が舞い降りたかのようです。それまでのドラマーは、ロックンロールでさえこんな激しいプレイはしませんでした。彼がロック・ドラムの新しい扉を開いたのです。

そして、ビートルズは、1964年2月9日の伝説の人気番組「エドサリヴァン・ショー」への出演でアメリカ全土を制覇したのです。多くのアメリカ人が舞台あるいはテレビで初めて彼らの姿を見て熱狂しました。彼らは、その後全米各地を回りコンサートを開いて、アメリカというエンタテイメントの本場を手中に入れたのです。

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 同年4月4日には全米チャートの1位から5位までを独占するという快挙を達成しました。ビートルズが打ち立てた記録で、後のアーティストによって塗り替えられたものは数多くありますが、この記録だけは50年以上が経過した今に至っても未だ破られていません。

5    アメリカン・ツアー同行記

On Tour With The Beatles | Here & Now

ジャーナリストのラリー・ケインは、マネージャーのブライアンに取材を申し入れました。するとブライアンは「ツアーに同行しないか?」と誘ってきたのです。ケインは、それに応じてまるでヴェトナム戦争の従軍記者のように、彼らに同行したのです。そして、ファンの常軌を逸した凄まじさに「これは現実か?」と驚愕しました。劇場では50枚の窓ガラスが叩き割られ、列車で移動中、ケインは、顔面をファンの女の子に鷲掴みにされたのです。 

彼は、「コンサートの時は、ドアの付近にいてはいけない。間違いなく潰されるから。」と語っていました。また、「誰かが失敗すると誰かがかばおうとした。4人の結束はとても強固だった。」とも語っていました。やはり、下積み時代の辛い経験が彼らの結束を強くしたんでしょうね。 ケインは、ビートルズに同行している間に母親を亡くしました。ビートルズは、自分のことのように悲しみ、彼を慰めました。特に、ジョンとポールは、若い頃に同じように母親を亡くしていたので、彼の心中をよく理解してくれたのです。 

アメリカでは、アフリカ系アメリカ人による暴動が各地で頻発していたため、警察も暴徒の鎮圧には慣れてはいましたが、ファンの熱狂ぶりは彼らの想像を遥かに超えていました。 カナダのバンクーバーでは7,000人の観客が殺到し、240人がケガをしたり失神したりで病院へ担ぎ込まれました。ファンの女の子は、「105歳のおばあさんになっても彼らのファンでい続けるわ。」と答えていました。今なら70歳をいくつか過ぎた頃かな?きっと、まだファンなんでしょうね。

 

6    ビートルズを観た多くの著名人たち

Sister act - I will follow him (HD) (with lyric) - YouTube

そして、その観客の中には後に著名人となった人も大勢いました。例えば、「エイリアン」「ゴーストバスターズ」「アバター」等に出演した女優のシガニー・ウィーバーは、何と14歳の頃にビートルズに熱狂している彼女の姿が映像で残っていたのです。当時の映像からロン・ハワードが少女時代の彼女を見つけたんですが、それにしてもあの大勢の観客の中からたった一人の少女を良く見つけましたね(^_^;) 

彼女は、「精一杯ドレスアップして行ったの。だって、ジョンが見てくれるかもしれないから。15,000人もファンがいて分かるわけないのにね。」と笑いながら語っていました。また、「ゴースト」「天使にラブソングを…」に出演したウーピー・ゴールドバーグもその一人です。 

彼女は、「ビートルズが白人だから好きなんじゃない。肌の色なんか関係ない。彼らはとにかく素敵だった。」貧しい少女時代を過ごした彼女は、ビートルズが来ることを知り、コンサートに行きたいと母親にせがみました。しかし、お金がないからダメだと断られ、諦めたのです。 

ところが、ある日、母親が彼女に「出かけるわよ。」と話しかけ、彼女を連れ出しました。彼女が「どこへ行くの?」と尋ねると母親は、「行けば分かるわ。」と答え、そのまま列車に乗せられ、ある駅で降りました。やがて、シェイスタジアムのコンサート会場の入口に到着すると、母親は、おもむろに2枚のチケットを取り出して見せました。彼女は、苦しい生活の中で何とかお金を工面してチケットを買ってくれていたのです。そして、それを見た瞬間、ゴールドバーグの頭はバ~ンと爆発したそうです。  

リヴァプール出身のアーティスト、エルヴィス・コステロにとってビートルズは地元の英雄でした。彼は、正にビートルズ世代のど真ん中にいたのです。彼もまたビートルズに熱狂していましたが、初めてアルバム「ラバー・ソウル」を聴いた時に、そのアコースティックなサウンドへの変貌振りに戸惑いました。しかし、何度も聴いているうちに、次第に新たな魅力に取り憑かれていったのです。

(続く)

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