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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その90)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その3)

1    マスコミとの関係の悪化

しかし、この頃から彼らのツアーに暗雲が垂れ込めるようになりました。追い打ちをかけたのがジョンの発言です。ジョンがイギリスで1966年3月4日のオフの時に取材に答えたのですが、ビートルズは、キリストより人気がある。」というものです。彼は、当時教会へ人々があまり足を運ばなくなっていたのに対し、コンサートには大勢のファンが来ている事実を語っただけで、軽いジョークのつもりでキリストを冒涜するつもりは全くなかったのです。

 

イギリスでは全く問題になりませんでした。しかし、アメリカの新聞がこれを転載し、ずっと後の8月に入ってビートルズのツアーに合わせ、大々的に彼らがあたかもキリストを冒涜したかのような記事でキャンペーンを張ったため、全米で大規模な排斥運動が起こりました。ラジオのDJがリスナーに呼びかけ、レコードやグッズが集められ、焼却処分されるという事件が各地で発生しました。特に信仰心の熱い南部では激しかったのです。f:id:abbeyroad0310:20161006140019j:image

(sociatyofrock)

この事件に驚愕した彼らは、慌てて記者会見を開き、ジョンが「キリストを冒涜するつもりは全くなかった」と釈明せざるを得なくなりました。ポールは、「ジョンはユーモアで済まそうとしたけど、それはムリだったよ。」と語っています。f:id:abbeyroad0310:20161014132937j:image

(beatlesinterview)

60年代は、欧米を中心として世界の若者が大人に対して怒りを爆発させた時期であり、それまでの権威が失墜した時期でした。若者は髪を伸ばし、マリファナを吸い、大学で紛争を起こし、デモに参加しました。既成概念が疑問を投げかけられて揺らぎ、キリスト教もその例外ではありませんでした。

 

ポールも当時は教会へ足を運ぶ人が少なくなっていたのは事実だと、映画のインタヴューで語っていました。ジョンは、それを率直に語っただけなのですが、アメリカのマスコミが悪意を持ってそれを格好のビートルズ批判の材料に変えたのです。

 

ポールは、子どもの頃から教会へ通い、讃美歌の合唱隊へも参加していました。彼らは、キリスト教の信者として育てられてきたのです。ですから、彼らのバックボーンにはキリスト教がありました。

 

当初はビートルズを礼賛していた記者も、やがて意地の悪い質問を浴びせることが増え、特にメインで答える立場にあったジョンが苛立ちを募らせていました。ある記者会見では、記者がビートルズに対し、「何でいつもそんなに偉そうなの?」と質問しました。これに対し、ポール「別に偉そうになんかしてないよ。」記者「偉そうにしてるじゃない。」ポール「あなたたちが悪意のある質問をしてるだけさ。」こんなやり取りをずっと続けていたら、いい加減ウンザリしますよね。f:id:abbeyroad0310:20161006135342j:image

(musicboxthertre)

マスコミは、センセーショナルな記事を書く程売れますから、刺激的な内容で読者を煽り立てます。ですから、ビートルズに限らず、著名人には最初から悪意のある質問を浴びせて、読者や視聴者に悪い印象を植え付けようとするんですね。

 

ロン・ハワード監督がこういったシーンを描いた真意は分かりませんが、ビートルズがライヴを止めた原因の一つには、こうしたマスコミの悪意に満ちた態度に嫌気がさしたことも影響したのだということを示したかったのかもしれません。

 

こういうマスコミの態度は、現代でも全く変わっていませんね。SNSの普及でマスコミ自身もバッシングの対象になり、放送コードなどが厳しくなり始め、以前に比べれば大分大人しくはなりました。しかし、事実を膨らませてセンセーショナルな印象を国民に与えようとする姿勢は、今も昔も変わらないように思います。

 

2    アメリカの人種差別を止めさせた。

実は、私が今回の映画で一番感激したのがこのシーンでした。彼らは、アメリカ南部をツアーすることになっていましたが、最初の会場は、1964年9月11日、フロリダ州のジャクソンビルのゲイターボウルでした。

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(Florida Memory)

彼らは、コンサートに先立って行われた記者会見で、主催者が観客席を白人と有色人種とで左右に隔離する方針であることにはっきりと反対の意思を表明し、「人種差別なんてばかげている。観客席の隔離を止めないのなら、コンサートはやらない。」と宣言したのです。ブライアンは困って俯いていました。「政治と宗教の話はするな」と常日頃から彼らには口止めしていたんです。もっとも、出演契約には明確に「観客席が隔離された観客の前では演奏しない」と記載されていました。f:id:abbeyroad0310:20161008232613j:plain

(SEGREGATION) 

オバマが大統領になっている現代のアメリカでは考えられませんが、当時のアメリカは、南アフリカ政府が長年行っていた悪名高い「アパルトヘイト(人種隔離政策)」と同じことを行っていたのです。例えば、トイレは、「MEN」「WOMEN」「COLORED(有色人種)」に区分されていました。この写真では、トイレの表示で左が白人、右が有色人種とはっきり区分されています。f:id:abbeyroad0310:20161008223322j:image

(emaze)

アメリカ南部は特に保守的で、綿花の産地でアフリカ系アメリカ人を奴隷として働かせてきた長い歴史があり、人種差別は当然と考えられていたのです。ビートルズが訪れる直前の7月には公民権法が成立し、人種差別は法的には禁止されていましたが、慣習としてはまだまだ根強く残っていました。

 

しかし、ビートルズは、単に言葉だけで批判するに留めず、コンサートをやらないとまで宣言したのです。ケネディ大統領が南部のテキサス州ダラスで暗殺されたのは、1963年11月22日でした。それからまだ1年も経っていないんです。アメリカの人種差別を撤廃させようと活動していた運動家が3人遺体で発見されました。明らかに人種差別主義者による犯行です。

 

アメリカにはKKK(クー・クラックス・クラン)という白人至上主義団体が存在し、アフリカ系アメリカ人に暴行を加えたり、殺害したりしていました。しかも、アメリカでは一般市民も数多く銃器を保有しています。ビートルズを暗殺しようと思えば、簡単にできたでしょう。彼らも身の危険は感じていたはずです。

 

しかし、それでも、彼らは勇気を奮って行動で示しました。その結果、ついに主催者も折れ、観客席の隔離を止めたのです。当時、少女だった歴史研究家のキティー・オリヴァーは、コンサート会場が隔離されず、人種に関係なく座席に座れたことが信じられなかったと語っています。「肌の色なんて関係ないんだ。私たちも人間なんだと初めて実感した。」ビートルズがアメリカの人種差別撤廃に大きく貢献した歴史的瞬間でした。これ以降、南部で開催された彼らのコンサート会場では、人種で観客席が隔離されることは無くなったのです。f:id:abbeyroad0310:20161014223039j:plain

(Florida Memory)

ビートルズは、アメリカ大統領ですらできなかったことをやってのけたのです。既に彼らは、音楽により若者文化に革命をもたらしましたが、ついに大人の社会すら変革したのです。

 

これは、映画では出てこないエピソードですが、アメリカの公民権運動の一つである「リトルロック高校事件」というものがありました。当時、学校も白人と有色人種とで隔離されていたのです。そして、裁判所により人種による分離教育が違憲とされた後、差別や脅迫を受けながらも白人の高校へ通ったアフリカ系アメリカ人の生徒がいたのです。後にこのうちの2名がポールと対談しました。f:id:abbeyroad0310:20161009115609j:image

(RollingStone)

イギリスで、このニュースを聞いたポールは、それをヒントに「Blackbird」という楽曲を作りました。タイトルは、黒ツグミという鳥の一種で、ヨーロッパでは美しい声で鳴くことで知られています。

 

「黒ツグミよ。君はただ大空へ飛び出す瞬間を待ち望んでいるんだね。さあ、暗い闇へ差し込む光へ向かって飛んでお行き。」といった歌詞です。直接的に人種差別に反対する言葉はありません。

 

しかし、この楽曲には、人種差別に反対する趣旨が込められているんです。イギリスでは、バードは女性を表す表現でもあることから、アフリカ系アメリカ人の女性を支援する気持ちも込められています。

 

彼は、ソロ活動でビートルズ・ナンバーを演奏する時は、必ずセットリストにこの曲を載せています。それだけ想い入れが深いのでしょう。ジャクソンビルでの人種差別に直面した体験が、彼にこの曲を作らせた下地となったのです。 

(続く)

 




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