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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その91)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その4)

1 過酷なツアーは続いた

過酷なツアーはまだ続きました。1964年夏に再びアメリカを訪れたビートルズに久しぶりに再会したエド・サリヴァンに、リンゴが「30日で25都市もコンサートをやるんだ。参るよ。」とボヤきました。日程が過酷なだけではなく、どのコンサートでも観客は絶叫し、暴れまわります。ステージへは、石、ジェリー・ビーンズ、肌着などが雨のように投げ込まれるのは日常茶飯事でした。

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ある野外コンサートでは雨に見舞われましたが、それでも演奏は中断しませんでした。しかし、当時の機材は、水でショートすると感電する危険があったのです。それで、アメリカン・ツアーのローディーとして雇われたフォーク・シンガーは、コンサートの間中ずっとステージの上で機材のプラグを握っていました。もし、メンバーの誰かが感電して倒れたら、即座にプラグを抜くためです。もはや、命がけですね。

 

これもアメリカ・ツアーの時ですが、観客が少しでもステージに近づこうとして前へ前へと移動し、将棋倒しになりそうな危険な状況になりました。それで、広報担当のデレク・テイラーがマイクで「皆さん、危険ですから後ろへ下がって下さい。下がらないとコンサートを中止しますよ。特に前の方が危険です。」と警告しました。この写真は映画でも使用されていましたが、左右反転してたんじゃないですかね?

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(foliowerkly) 

2 大人へ成長していったビートルズ

ジョージは、「自分たちは促成栽培され、急に大人にさせられたような気がした。」と語っていましたが、自分たちの中ではまだ子どもだと感じているのに、周囲の大人たちが無理矢理成長させたと感じたのでしょう。本当は普通の人のように時間を掛けて大人になりたかったんでしょうね。

 

しかし、そんな子どもだった彼らも次第に大人に成長していきました。固い絆で結ばれていた4人でしたが、やがて結婚し、子どもが生まれ、自分の家族を持つようになると、自然に距離を置くようになったのです。そう、他に守らなければならない存在ができたんですね。ビートルズだけに集中していた彼らの関心は、次第に外へと向けられるようになりました。 

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(hubpages)

3 ビートルズ、遂にライヴを止める

ビートルズは、もちろんレコードも爆発的に売れてはいましたが、そもそもライヴバンドであり、ライヴこそが彼らの音楽活動の原点でした。彼らは、ライヴが終わると、前座を務めたバンドのメンバーに、必ず自分たちのパフォーマンスが良かったかどうかを確認していたのです。あれ程絶叫で聴こえていなかったにも関わらず、やはり、観客に最高のパフォーマンスを観せるというプロ意識の高さがあったんですね。

 

しかし、それ程ライヴを重視していた彼らも次第に疲れ始めていました。どのコンサートでも観客は絶叫するばかりで、彼らの演奏は全く聴いていません。当時は、自分の出したサウンドを返すシステムが無かったため、彼らは自分たちの演奏も聴こえない状態でした。ジョン「俺たちはコンサートをやりに来たんだ。これじゃあ、まるで檻の中の動物じゃないか。サーカスを見せに来たんじゃない。」彼らの中でコンサートを続けることに対して、次第に疑問と不満が膨らんでいきました。

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(solobeatlesforum)

そして、警察の扱いも次第にぞんざいになっていきました。彼らも政府要人ならともかく、何でミュージシャンのコンサートの度に駆り出されなければならないのか、不満に思い始めていたのでしょう。ビートルズは、厄介者のような扱いを受け、ついには囚人を護送する車で送って行かれたこともありました。窓も椅子もない床だけの車に乗せられ、車がカーヴを曲がる度に荷物のように右へ左へゴロゴロ転がったのです。もはや人間扱いすらされませんでした。

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(Meet the Beatles for Real)

最初に口火を切ったのはジョージでした。「もう嫌だ。ライヴなんかやりたくない。」みんな思いは同じでした。ポールも「僕たちはもう飽き飽きしていた。」と語っていました。そして、誰が言うでもなく「もうこれで終わりにしよう。」と全員が自然に合意したのです。ポールは、「僕たちは何でも全員で決めた。1人でも反対したらダメだ。皆が納得しなければやらなかった。」と語りました。

 

そして、1969年8月29日、アメリカ、カリフォルニア州のキャンドルスティックパークを最後に、彼らは一切のライヴを止め、スタジオ活動に専念することになりました。なお、最後の曲であった「ロング・トール・サリー」は、テープの長さが足りなかったため収録が途中で終わってしまっています。

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初めて映画を観た時、ここで終わりなのかなと思ったのですが、ライヴを止めた後のビートルズについても描かれていたのです。

 

4    スタジオ・ミュージシャンへ

スタジオでの楽曲制作に専念することとなった彼らは、次々と実験的な作品を発表しました。最初は、アルバム「リヴォルヴァー」に収録された「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」です。

 

オープン・リール・テープ、といっても若い人は知らないと思いますが、当時、録音するためには、磁気テープを巻いたリールと空のリールの2個を手作業でデッキにセットして、左側のリールからテープを引っ張り出してヘッドに差し込み、右側のリールに巻き取りながら、ヘッドで電気信号を磁気に換えてテープに記録したんです。こんな機材です。

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(museum of magnetic sound recording) 

音楽の天才ジョンが、実は、メカオンチだったというエピソードには笑っちゃいましたね(*^◯^*)彼は、間違えてテープをセットしたために逆再生してしまったのです。当然、スピーカーからは「〇▲✕△※?!~」と意味不明なサウンドが飛び出しました。凡人ならブツブツボヤキながらテープを掛け直すところですが、ジョンは、「お~い、みんな、これを聴いてみろよ!面白いぜ!」とメンバーを呼んで聴かせました。

 

これは面白いということで、早速これを効果音に使って楽曲を制作したのです。そうすると、正に「サイケデリック」なサウンドがって、ああ、これも説明しないと分かんないな、ドラッグを摂取した時に起きる原色がチカチカ光ったり、グルグル回ったりして見える幻覚症状を表現した言葉で、当時流行したんです。これをサウンドで表現することに成功したのです。つまり、あの名曲はジョンのミスと、それを聴き逃さなかった彼の才能によって生まれたのです。

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YouTube) 

5 新たな境地へ

ジョンは、トゥモロー・ネヴァー・ノウズの曲想をひらめいて、ジョージ・マーティンとブライアンの前でギターで演奏してみせました。2人は顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべたのです。そりゃ、そうでしょう、コードが1つしかなかったんですから。

 

どんな簡単な曲でも3コードと言って、基本の3つのコードは使うんです。それをたった1つのコードで通すというんですから、音楽の常識からは完全に外れています。もっとコードを加えた方が良いとアドヴァイスしましたが、結局、ジョンのアイデアが採用され、後世に残る名曲が誕生しました(オリジナルはCだけでしたが、後にB♭が加えられました)。

 

冒頭でカモメが鳴いているようなサウンドが聴こえますが、その部分がテープを逆再生して得られたものです。

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映画では何台ものデッキと、それに何本ものテープが交差するという、それまでのスタジオではあり得なかった不思議な光景が映し出されていました。現代ならコンピュータで行う作業を当時は手作業でやっていたのです。このシーンでは「レイン」という楽曲のMVが使用されていましたが、ここに登場する彼らは、もはや「アイドル」ではなく「アーティスト」の風格を漂わせていました。

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ビートルズは、スタジオでサウンドに様々な編集を加えたり、電子音楽を取り入れたりと、実験的で大胆な取り組みをことごとく成功させ、そうやって生み出された作品は現在でも燦然と輝き続けています。

 

6 世界初のMV及びPVの制作

映画では触れられていませんが、実は、このMV(ミュージック・ビデオ)あるいはPV(プロモーション・ビデオ)を世界で初めて制作したのもビートルズなんです。というのも一切のライヴを止めてしまったので、ファンは彼らが演奏する姿を観ることはできなくなりました。それで、ファンに彼らが演奏する姿を観てもらうために、MVやPVを制作したのです。

 

それまでは、音楽といえばレコードでサウンドだけを楽しむものだという常識を覆し、それとともに映像を楽しむことでより具体的なイメージが広がることになりました。これ以降現在に至るまで、アーティストがMVやPVを制作することは常識になったのです。

 

7    おまけ

ボブ・ディランノーベル文学賞受賞に因んで、彼とビートルズとの関係について「スタジオラグへおこしやす-バンド・音楽・楽器のWebマガジン」に記事を寄稿しました。こちらもよろしくお願いします。

https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/about-beatles-bobdylan

(続く)

 




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