★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その95)日本のファンは、ビートルズをどう受け入れたか?(その2)

武道館公演のお話しが途中で終わってました。まだ、続きがあるので忘れずに書いておきます。

1 ギャラの送金(補足)

当時は、海外への送金に上限があったというお話をしました。当時の大蔵省(現財務省)は、8万ドルまでしか許可しませんでした。ギャラは10万ドルですから、オーヴァーしてしまいます。それで、裏ルートを使ったのです。

 ついでに言うと、ブライアンがギャラを格安にしたのは、あまり高いギャラを要求してチケットが高くなってしまうと、肝心のファン層である若者がコンサートに行けず、却ってビートルズの人気を落としてしまうことを懸念したからです。直前に行われたミラノ・コンサートではチケットが高過ぎて、2万人収容のところが7千人しか入らなかったことも念頭にあったようです。

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(A WIDER BRIDGE)

2    なぜ大人は、ビートルズを拒否したか?

(その87)で大人、特に学校の教師が生徒たちに絶対にビートルズのコンサートへは行かせないように目を光らせていたというエピソードをお話ししたところ、「なぜ、それ程まで当時の教師は、生徒たちとビートルズを引き離そうとしたのか?」という素朴な疑問を持たれた方がいました。

若者が新たなブームを世の中に持ち込んでくると、大人が拒絶反応を示すという図式は、今も昔も変わりません。これは、日本に限らずビートルズの母国であるイギリスや、ヨーロッパ、アメリカなどどこでも見られた現象です。

大人がまず拒絶反応を示したのは、彼らのヘアスタイルや強烈なサウンドもそうですが、それよりも女の子たちが絶叫する姿が、あまりにも常軌を逸していたように映ったのです。それまでは、プレスリーほどのスーパースターでもそんなことはありませんでしたから。

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(mainichi) 

しかし、こういった現象は、イギリスでは1963年、アメリカでは1964年に既に起こっていたことであり、それらに比べると日本は大分遅れてましたねf^_^;まあ、当時の音楽事情を考えれば致し方なかったと思います。ジャズは市民権を得ていましたが、ロックはまだまだでしたから。テレビやラジオはもちろん広く普及していましたが、現代のネット社会とは格段に情報の伝達するスピードは遅かったですし。

ビートルズが日本に来たのは、1966年でアルバム、リヴォルヴァーをリリースする直前でした。つまり、その頃、彼らは、既にアイドルからアーティストへと変身しつつありました。ですから、非常に芸術性の高い楽曲をもうその頃から作成していたんです。当時の日本の大人は、アイドルの頃のビートルズしか知らず、アーティストへと大きく舵を切った彼らを未だ知らなかったんですね。

もっとも、初期の頃の曲であっても、例えば、オール・マイ・ラヴィングやイエスタデイ等の名曲を聴いて、それを否定する大人は少なかったはずです。しかし、彼らは、そういった名曲を耳にするよりも前に入口の段階でビートルズを拒否してしまっていたのですね。「食わず嫌い」ならぬ「聴かず嫌い」だったと言った方がいいかもしれません。

3 前座のパフォーマンス

会場ではコンサートの模様が、E・H・エリックの司会に始まり、前座の映像も流されたんですが、まあその長いこと。いつまでやるんだって感じですね。それもブルーコメッツなどのロックバンドならまだしも、歌謡曲の歌手まで登場したんですが、あれは場違いも甚だしかったですね。せっかく盛り上がった雰囲気がぶち壊しですよ。残念ながらその動画は見つけられませんでした。

www.youtube.com

ポールは、アンソロジーで「前座のミュージシャンが僕たちの名前を入れて歌ってくれたのは嬉しかったけど、あれはちょっとダサかったな。」と語っています。彼らにしてみれば日本のロックは、まだまだ発展途上だったんでしょうね(^_^;

私は、藤本氏に「ビートルズがライヴを止めたのは、武道館公演で観客が静かだったために久しぶりに自分達の演奏が良く聴こえ、それがあまりに劣化していたことにショックを受けたことも一因だったのではないか?」と質問したところ、それはあったかもしれない、特に初日は時差ボケのせいもあり、リハーサルなしのぶっつけ本番でかなり酷い出来だったからという回答を頂きました。

その時、ホテルをジョンが抜け出した時に誰を連れて行ったのか質問すれば良かったと後悔しました。ジョンは、警察の包囲網を突破して骨董品店に立ち寄ることに成功したのですが、彼が単独行動したのか、誰かを連れて行ったのかが今一つハッキリしないので。後で野口氏にお聞きしたら、ローディーのニール・アスピノールを連れて行ったとのことでした。

岩淵さんという熱烈なファンがいて、その人は、5公演すべてのチケットをありとあらゆるルートを通じてゲットしました。SNSなどが無い時代に必死で情報を集めてチケットをゲットし、ダブったチケットは売ったり、交換したりしたんだそうです。右側に写っている女性が岩淵さんです。

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(The Japan Times)

彼女のおじいさんがお医者さんだったのでお母さんが一計を案じ、彼女が学校を休んで武道館へ行く口実になるよう、彼女が病気だという診断書を書いてもらったとか。それで、彼女は、お母さんにとても感謝しているそうです。古いニュース映像にヒルトンホテルに向かって彼女が手を振っているところが映っているそうです。因みに、彼女は、まだご健在でポールの来日公演は皆勤賞なんだとか。

当時、特に女性ファンは、カメラを向けられると顔が映るのを嫌がって、扇子などで隠したりする人が多かったそうです。特に中学生、高校生なんかは、親や教師に知られるととてもまずかったからでしょうね。逆にマスコミは彼らを取ると撮れ高が上がるので、盛んに撮りたがったようです。

4 通訳をした会田公(あいだきみ)さん

松竹セントラルの支配人だった下山鉄三郎は、通訳ができる女性を探していました。会田さんは、映画関係の仕事をしている外国人経営の小さな商社に勤めていましたが、その関連で下山から通訳を依頼されました。しかも、依頼されたのがビートルズに会う前日といういかにも急な話です。それで急いで日本風の柄の入ったドレスを着て行きました。ポールの隣の女性です。ジョージを挟んで隣が下山です。手にしているのは、ビートルズが宿泊中に描いた絵ですね。

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(THE JAPAN TIMES)
ジョージが彼女の肩を触ってきて「珍しい洋服だね」と言ったんだそうです。後に彼女は、その衣装を細かく切って、ティーパーティーを開いたときに参加者にプレゼントしました。「これはジョージが触った部分の布地かもしれません。」などと言いながら渡したそうです。もらった人は「ええ〜、すごいですね!」と喜んだのですが、多分、殆どは違ったはずです(笑) 

彼女は、ジョージからサインをもらいました。通訳をしたおかげですっかり有名人になり、街を歩いているとファンから「ビートルズと会った人ですよね?」と握手を求められたとか。上の写真がファンクラブで配布されてみんな顔を知ってたんですね。 

でも、面白いことに彼女自身は、それまでは全然ビートルズのファンじゃなかったそうです。しかし、仕事の関係で、当時、有名な政治テレビ番組だった「時事放談」にファンの代表として出演して、政治評論家の小汀利得(おばまとしえ、おばまりとく)が「ビートルズは下等だから、下等なファンが集まるんだ」などとこき下ろすのに対して反論してたんです。いわゆる「サクラ」というヤツですな(笑)まさか、その彼女が通訳をすることになるとは。 

まあ、これが当時の一般的な大人の反応だったんですね。もちろん、放送直後からテレビ局へはファンからの猛烈な抗議の電話や手紙が殺到しました。でも、この放送は1回だけじゃなく、懲りずにまた批判したものだから、再び抗議が殺到しました。ディレクターもさぞ頭を抱えたでしょうねf^_^; 

5 ビートルズの来日に反対した人々

ビートルズの来日に反対していたのは高齢の政治家や財界人、そして右翼でした。佐藤栄作総理大臣も武道館でのコンサートには懸念を示していました。特に読売新聞社の社長、正力松太郎はその急先鋒でした。しかし、彼が一転、受入れを表明し、逆に反対派を説得して来日が決定したんです。彼は、一新聞社の社長とはいえ、当時の政財界に睨みの効く超大物でしたから、彼の一声で騒動は一気に収束に向かいました。 

一体、誰が彼を説得したんでしょうか?外務省、英国大使館辺りでしょうかね?武道館へは英国政府から直々に要請がありました。ビートルズエリザベス女王からMBE勲章を授与されていたことも、プラスに働いたのでしょう。 

ここまでされて断ったら、日本と英国との外交問題に発展しかねません。まあ、英国側からの公式な要請があったため止むを得ず許可したといった形式を取ったことで、日本側のメンツも立ったというところでしょうね。ホントに今も昔も建て前を重んずる国ですなあ~。 

しかし、反対派の人々は、「イエスタデイ」を一度でも聴いたことがあったんでしょうか?恐らく無かったでしょうね。その頃、ビートルズを批判していた著名人が、その後彼らについて何を語ったのかは知りません。 

6 当時のニュース映像

当時のファンの熱狂ぶりとまるで戒厳令でも敷かれたかのような警察の厳重な警備体制、そして、最後は日本に対する印象を語るビートルズの映像です。ポールが「最高だった。」そして、ジョージが「日本は素敵だった。日本人は最高だね。」と言ってくれたのが嬉しいですね。これは、彼らが帰国後にイギリスのインタヴュアーに応えたものですから、リップサービスではなく本心だと思います。

www.youtube.com

(続く)

 




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