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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その128)ビートルズに影響を与えたアーティストたちーエルヴィス・プレスリー(その4)ー2大スーパースターのセッション!

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エルヴィスについてのお話を続けます。

1 ジョン・レノンの回想

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ジョンは、1976年にこう語っています。「LAの大邸宅で彼と会ったのは、とてもエキサイティングで、僕たちは恐ろしく緊張していた。おそらく僕たちが滞在していたマンションと同じくらい大きかったかもしれないが、『大きな家、大きなエルヴィス』って感じだった。彼は、周囲に大勢のスタッフを従えていた。僕たちは、リヴァプールから来たようなものだった。僕たちが、いつもリヴァプールの人々を何千人も迎えて来た時と彼も同じ状況だったと思う。そして彼は、自宅にビリヤード台を持っていたんだ!たぶん、アメリカの家の多くはそうだったんだろうけど、とても驚いたよ。ナイトクラブみたいだった。」いかにもスーパースターの邸宅という雰囲気ですね。

 

スターは、誰しも憧れのスターがいるもので、それは昔も今も変わりません。その憧れのスターに会うとなると、スターといえども一ファンに戻ってしまうんですね。ビートルズも例外ではありませんでした。

2 対談の様子

対談は、必ずしも友好的な雰囲気で始まったわけではなく、多少ぎごちなく会話も弾みませんでした。ビートルズがずっと黙ったままだったので、痺れを切らしたエルヴィスは彼らにこう言いました。「もし君たちがここに座って一晩中僕を見つめているんなら、僕はもう寝るよ。」流石のビートルズもスーパースターが放つゴージャスなオーラに圧倒されてしまったようです。

トニー・バーロウはこう語っています。「両者が互いに見つめあっていた時、奇妙な沈黙が流れたが、最初に口を開いたのはジョンだった。エルヴィスへ質問を浴びせかけるのではなく、ただなぜ、最近は、映画でソフトなバラードばかり歌うんですか?古くてかっこいいロックンロールはどうしたんですか?とだけ尋ねた。エルヴィスは黙り込み、精一杯微笑んでみんなと握手した。」

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「始めは、互いに打ち解けることはまったくできなかった。ビートルズとエルヴィスは、ツアーの話を色々としたのだが、それでも打ち解けられなかった。」

あちゃ~、またやっちゃった(^_^;)そりゃ、いきなりこんな辛辣な言葉を浴びせたら、空気もおかしくなりますよ。ジョンは、エルヴィスが映画に主演して、大衆に受けるためにロックンロールを捨て、バラードばかり歌っていたことに反発していたんです。あんなのはオレが大好きだったエルヴィスじゃないって。

ジョンも緊張のあまり、却って失礼なことを口走ってしまったのかもしれません。もっとも、エルヴィスもあえて反論しなかったのは、ジョンの言い分が図星だったところもあったからでしょう。しかし、その場は凍り付いたでしょうね。ブライアンは、生きた心地がしなかったでしょう。

3 2大スーパースターのセッション

ジョンに批判されたエルヴィスでしたが、彼も本音ではロックンロールをやりたかったんです。しかし、周囲のスタッフが大衆に受け入れられるためには、もっとソフトな路線にした方が良いとアドヴァイスしたんです。

ジョンは、そのことを指摘したのですが、何とも気まずい雰囲気になってしまいました。そこでエルヴィスは、そのイヤな雰囲気を変えようとジョン、ポール、ジョージに楽器を渡すよう側近に命じ、ピアノも交えて即興でセッションが行われました。

どうやらこれが功を奏したようで、固かった雰囲気もようやく和らいだのです。やはり、お互いミュージシャンですから、話すより演奏した方が分かりあえたというわけです。

演奏された曲の中には、1964年にシラ・ブラックがレコーディングしたバラード、「ユア・マイ・ワールド」が含まれていました。それがこの曲です。これは1964年5月に放映されたテレビ番組にビートルズが出演した時のものですが、珍しく彼らが聴衆として彼女の歌を聴いていました。

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バーロウはこう語っています。「彼らが何を演奏したかをすべては覚えていないが、『アイ・フィール・ファイン』を演奏したことは覚えている。そして、リンゴは、もちろん楽器を持っていなかったから、近くにあった木製の家具を指で軽く叩いてバックビートを刻んでいた。」

「みんなが歌っていた。エルヴィスは、ポールにいくつかベースのコードを弾いてみせ、『見なよ。オレは練習してるんだぜ。』と言った。ポールは、エルヴィスに『僕たちに気を遣わないで下さい。僕とブライアン・エプスタインとであなたをスターとして扱いますから。』と冗談めかして話した。」

 

やれやれ、相変わらず歯に衣着せぬ発言をするジョン、それでおかしくなった場の空気を何とか取りつくろおうとするポールとブライアン、これまで何度も繰り返された光景ですね(^_^;)

バーロウはこう語っています。

「写真も録音もあればすばらしかっただろう。録音されていれば非常に貴重だった。数百万ドルのテープになっただろう。しかし、それは存在しない。耳を傾けるべき素晴らしいセッションだった。」

20世紀を代表する2大スーパースターの豪華セッションですよ?それなのに音源はおろか、写真すら残っていないとは。返す返すも惜しいことをしました。

この写真の人物がパーカーですが、マフィアにしか見えませんね(^_^;)彼の前では、やり手のブライアンもライオンを目の前にしたウサギみたいなものだったでしょう。

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バーロウは続けてこう語っています。「パーカーとブライアンは、程なくセッションに興味を失った。パーカーは、ブライアンの肩に逞しい腕を乗せ、彼を静かな部屋の片隅に連れて行った。この時、ブライアンの頭の中には秘密の計画があり、それをパーカーに打ち明ける機会をつかんだ。彼は、パーカーに対し、エルヴィスをイギリスのコンサートに出演させるよう申し入れたのだ。」

「その当時の状況ではとても実現不可能なプロジェクトではあったが、パーカーは、一応検討してみると社交辞令で答えた。」

エルヴィスがイギリスでコンサートに出演する。しかも、ビートルズとの共演で!もし、実現していれば、歴史に残る素晴らしいライヴになったに違いありません。しかし、それが実現することはありませんでした。あれ程のスーパースターでありながら、彼は、殆ど海外ツアーをやらなかったのです。

実は、エルヴィス自身は、ヨーロッパ・ツアーをやりたいと何度もパーカーに申し入れていたのですが、何故か彼は首を縦に振りませんでした。もちろん、ブライアンの申し入れを受け入れる気などサラサラ無かったのです。

4 対談を終えて

対談は約3時間続きました。バーロウは続けます。

「パーカー大佐がそろそろこの辺でと対談をお開きにし、彼は、大急ぎでビートルズにお土産を持ってきた。エルヴィスのアルバムが殆どだった。」他には、金色の革のベルトの付いた銃を納めるホルスターと、ワゴンを形どったテーブル・ランプでした。

ビートルズが帰る時、ジョンは、みんなに「エルヴィスはどこにいたんだ?」と尋ねました。ジョンは、後にエルヴィスに会った時の印象を「エンゲルベルト・フンパーディンク(イギリスのポップス歌手)に会ったみたいだった。」と語りました。

「キング・オヴ・ロックンロール」に会うつもりだったのに、バラード歌手に会ったような気がした。何となく彼のガッカリ感が伝わってきますね。あまりに理想が高過ぎ、それとのギャップが大きかったのでしょうか。

「我々がリムジンに向かっていると、ジョンは、エルヴィスを振り返り、アドルフ・ヒトラーの口調を真似て『ロング・リヴ・ゼ・キング(キング万歳)!』と叫んだ。」

つまり、エルヴィスに向かって、ハイル・ヒトラーナチス・ドイツヒトラーを礼賛した言葉)と叫んだようなものです。いやいや、ジョン、それは流石にマズいだろヽ(´o`;

 

「我々がリムジンに乗った時、ジョンは『エルヴィスは興奮してた。」と言った。それに対し、ジョージは、とても静かに答えた。『それはオレたちもだろ?』」

ビートルズは、エルヴィスをアイドルと崇拝などしていないかのような素振りを見せた。しかし、エルヴィスは、ビートルズにとって間違いなくアイドルであり、彼らの音楽に主要な影響を与えた一人であったのだ。」

どうやらビートルズは、粋がってはいたものの、憧れのエルヴィスを目の前にして舞い上がってしまい、言葉が出てこなかったというのが真相のようですね(笑)リーダーのジョンが一番緊張していたんですから、他の3人にはどうしようもできませんでした。

思っていることあるいはそれと真逆の言葉がつい口を突いて出てしまう。良くも悪くもこれがジョンという人なんです。ジョージが一番冷静だったようですね。ポールは素直に喜び、リンゴはドラムを叩けず、ちょっと寂しい思いをしたというところでしょうか。

すいません。今回でこのシリーズを終了する予定でしたが、後もう1回続けます。

(参照文献)BBC NEWS, THE BEATLES BIBLE

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(続く)