★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その129)ビートルズに影響を与えたアーティストたちーエルヴィス・プレスリー(その5)ーエルヴィスは来日する予定だった!

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エルヴィスのお話は今回で最後です。

1 妻プリシラプレスリーの回想

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当時の様子を語るプリシラです。ビートルズがまるで子どものようにとても緊張していたことを微笑ましく思ったようですね。エルヴィスがソファーでベースを弾いている写真がチラッと映りますが、これがその時に撮影されたものかどうかは分かりません。

エルヴィスに失礼なことを言ったジョンですが、プリシラによれば、ビートルズを送って行ったジェリー(エルヴィスの友人であるシーリングのことだと思います)に、エルヴィスが自分の目の前にいたなんて信じられない、彼がエルヴィスでなければここには来なかったと語ったのです。

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エルヴィスの妻であったプリシラは、次のように語っています。「スターは、他のスターに会いたがるものよ。でも、エルヴィスは違った。彼が誰か他の有名人との会談をセッティングするよう大佐に命じたことなんてなかった。彼は、ハリウッドをインチキな連中のたまり場だと考えていたわ。あそこに自分の居場所はない、だから彼は映画界から遠ざかったの。」

「ある思い出深い夕刻、大佐は、エルヴィスと4人の有名人との会談をセッティングしたの。私は、それがビートルズだと確信していたわ。だって、エルヴィスが彼らに会いたがったのではなくて、彼らがエルヴィスに会いたがっていたんだから。実際、ジョン、ポール、リンゴ、ジョージが家に入ってきた時、彼は、ソファーにリラックスして座り、音を消してテレビを見ていたの。」

「彼は、わざわざ立ち上がったわ。彼は、ビートルズにとても関心を抱いていたから当然ね。特に、彼は、ビートルズが自由なやり方で音楽を制作していたことを尊敬していたわ。彼は、ビートルズがどんな風に作品を制作したり、演奏したりしているかに注目していたの。」

おそらく、エルヴィスは、スタッフの方針に縛られて自分が本当にやりたいことをできなかったのではないでしょうか?それに比べ、ビートルズは、自分たちの思うがままにやっていると彼の目には写ったのでしょう。それがうらやましかったのかもしれません。

彼は、彼らの曲、特に映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』が好きで、その独創性や人の興味をそそるセンスを高く評価していたの。『ヘルプ』は近いうちに公開される予定だった。彼は、ボブ・ディランも高く評価していて、彼の真剣な楽曲制作に対する姿勢も賞賛していたわ。」

何とエルヴィスは、ビートルズもディランも高く評価していたんですね。ディランは反体制派の旗手でしたから、どちらかといえば体制派であったエルヴィスとは対極に位置していたアーティストです。それでも、エルヴィスは、ディランを認めていた。やはり、スーパースターは、本物を見抜く力を持っていたんですね。

 

「でも、エルヴィスは、他のスターと同じようにライヴァルには神経を使っていたの。彼は、新しいアイドルが登場しては消えていくことも分かっていて、この新しい世代、ビートルズが新しいアイドルだということも分かっていたわ。」

「彼は、イギリスからやってきた音楽の世界、ビートルズストーンズ、そしてデイヴ・クラーク・ファイヴたちにとても関心を抱くとともに、脅威を覚えていたと思うわ。彼は、彼らの才能とエネルギーを理解していて、そのことを良く話していたの。でも、彼は、自分の人気が無くなることを恐れていたわ。そして、1965年には、ビートルズより人気があるスターはもういなかったの。」

エルヴィスは、もう自分の時代は終わり、この若い連中の時代になりつつあるんだなと自覚していたんでしょうね。でも、当時ではそれは別に不自然な考えではなく、アイドルなんて泡のように生まれては消えていく。そんな存在だと思われていましたし、実際に殆どがそうでしたから。

エルヴィスやビートルズのように後世にまで語り継がれるアイドルなど考えられなかったのです。他ならぬビートルズ自身もそう考えていました。実際、エルヴィスは、ビートルズと入れ替わるように、華やかなショービジネスの表舞台から消えていきました。

しかし、本当に惜しいことをしました。ビートルズが一切のライヴを止めて、人気が少し落ち着いてきた頃なら、あんなにピリピリした雰囲気にはならなかったでしょう。

他方、エルヴィスもビートルズの存在を脅威に感じ、アプローチしなくなったのです。それでも、ビートルズの曲をカヴァーするようになるなど、お互いに影響を及ぼし続けていました。もっとも、彼は、ジョンがメインヴォーカルの曲はカヴァーしませんでした。やっぱり、あの時のことが引っ掛かってたのかな?

エスタデイを歌うエルヴィスです。いや、流石、素晴らしい!

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2 エルヴィス復活!

しかし、そんな彼もテレビでの成功をきっかけに、ようやく中止していたツアーを再開しました。そして、ビートルズが解散した1970年に制作されたドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ」が劇場公開されると、再び脚光を浴びることとなったのです。あのセクシーで甘い歌声のエルヴィスが帰ってきた!観客は熱狂しました。

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3 エルヴィスは来日する予定だった!

エルヴィスの親友のチャーリー・ホッジは、エルヴィスがヨーロッパかオーストラリアあるいは日本(!)で海外ツアーを行うかもしれないが、それがいつになるかは分からないと公表しました。残念ながらこのツアーが実現することはありませんでした。もし、彼が日本に来ていたら、とんでもない騒ぎになっていたでしょう。

パーカーは、エルヴィスにとって右腕でしたが、ギャラを相当ピンハネしていたのも事実だったようです。また、過密スケジュールでエルヴィスを疲労困憊(ひろうこんぱい)させるなど、様々なことで度々揉めていました。

 

海外ツアーにずっと反対していたのも彼ですが、この辺りの事情も絡んでいたのかもしれません。憶測ですが、海外ツアーとなるとギャラがエルヴィスにオープンになってしまい、今までピンハネしていたことがバレるのを恐れたのかもしれません。

少なくともエルヴィスは、ヨーロッパ・ツアーだけはやりたいと切望していたのは事実です。そして、彼は、亡くなる1年前にイギリスと日本へ旅行する計画を立てていて、プライヴェート・ジェットの手配までしていたのです!そのことは、彼が亡くなった後にその手続きを記した書類が発見されて明らかになりました。

下の書類は、生命保険会社へ提出する質問票です。7番目の項目を見て下さい。渡航先に日本とイギリスと明記してあります。また、9番目には渡航目的として休暇と仕事と記載してあります。日付は1976年8月11日とあります。最後にエルヴィスのサインがあります。この計画が実現しなかった理由はわかりません。実現していたら、どれほど素晴らしかったでしょう。

彼は、この1年後の1977年8月16日に亡くなりました。

Question 7 of the questionnaire asks if Elvis had any plans to travel outside the United States, to which he replies England and Japan

そして、彼が搭乗する予定だったプライヴェート・ジェットがこれです。

The Lisa Marie, a Convair 880 jet owned by entertainer Elvis Presley

詳細はわかりませんが、パーカーには内緒でおそらく休暇も含んだツアーを計画していたと思われます。エルヴィスが、イギリスだけではなく日本も選んでくれたことをとても嬉しく思います。日本にも大勢のファンがいることを彼は知っていたのです。ただ、それが実現しなかったことが本当に残念です( ノД`)

4 スーパースターの寂しい最後

エルヴィスは、復活は果たしたものの、その後の彼の人生は決して順調ではなく、1973年には妻のプリシアと離婚し、精神的に追い込まれてしまいました。

彼は、酒もタバコもたしなみませんでしたが、ストレスが原因で医師から処方された薬を乱用していたようです。周囲の人々は何とか止めさせようとしましたがムダでした。そして、エルヴィスは、1977年8月16日に42歳の若さでこの世を去ったのです。

本当に惜しまれます。節制していれば、もっと長生きしてパフォーマンスを続けられたでしょうに。

 

後年、ポールは、あるテレビ番組でだと思いますが、エルヴィスと初期にバンドを組み、ベースを担当していたビル・ブラックのアップライトベースを持ち出してきました。白い縁取りがされた特徴のあるベースです。

「僕は、良く好んで妄想するんだけど、ビルがここにいてすぐそこにエルヴィスが立っていたんだよ。」と暫く話した後、このベースを弾きながら「ハートブレイク・ホテル」を歌いました。歌い方がエルヴィスそっくりじゃないですか!どれほど彼を愛していたかが分かりますね。

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エルヴィスの墓に彼が天国でもギターを弾けるようにと、自分のピックを捧げるポールです。何だか泣けてきますね( ノД`)ジョンも生きていれば、同じようなことをしたかもしれません。

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天国に行ったジョンは、真っ先にエルヴィスに詫びを入れに行ったかもしれませんね。

ジョン「あの時は、若気の至りで生意気なことを言っちゃってすいませんm(__)m」

エルヴィス「そんな昔のことなんて覚えちゃいないよ(笑)それより、セッションしようぜ!1,2,3,4,Well since my baby left me…♪」

さて、随分長くなってしまいましたが、エルヴィスについてのお話はここまでです。次回以降もビートルズが影響を与えたアーティストたちについてのシリーズを続けるか、他のテーマにするか考え中です。

(参照文献)ELVIS AUSTRALIA, AXS, Mirror

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(続く)