【3】しっとりとしたバラード部門(続)
1 ガール(続)
(1)スタートはジョンのアカペラから
プロデューサーのジョージ・マーティンは、ヴォーカルをコンプレッサーで圧縮し、ジョンは、ヴォーカルをダビングしました。
ポールは、こう語っています。「ジョンは、レコーディング・エンジニアのノーマン・スミスにブレス音を入れて聴いてみたいと言っていた。それで、彼は、席を外してどうやれば良いか考えていた。僕たちは、彼は若いけど本物のプロだと感じたよ。」
アーティストの要求に必死に応えようとするエンジニア。これは今も変わりませんね。
ジョンは、コーラスとBメロの部分だけをダブルトラックしました。また、ブレス音のコーラスもダブルトラックしましたが、これは、この作品がこれで完結したぞという宣言でもあったのです。
ビートルズは、最初からこの曲にはイントロは必要ない、ジョンのアカペラでいくと決めていました。これは重要なことで、彼らは、しばしばこの手法を採用しました、例えば、「イット・ウォント・ビー・ロング」「オール・マイ・ラヴィング」などがそうです。
イントロなしでいきなりヴォーカルから入るというスタイルは、必ずしも彼らが初めてではありませんが、この当時では珍しかったと思います。まず、イントロでリスナーの感情を十分に盛り上げておいて、おもむろにシンガーが登場するというのが一般的なスタイルでしたから。
(2)ワザとテンポを遅らせた
ジョンは、リードヴォーカルで♫I tried so hard~のところも、実際のテンポよりタイミングを僅かに遅らせ、♫to leave her~で元のテンポに戻しています。このテクニックで曲全体にやるせない情感を漂わせています。彼は、こういうことをやらせると本当に上手いですね。取り立ててズバ抜けたテクニックというわけではないのですが、隠し味的な感じでちょいちょいこういうのを挟んでるんです。
しかも、歌詞と上手くリンクさせてるんですよ。つまり、主人公は、付き合っている彼女と別れようと何度も別れ話を切り出すんですが、その度に彼女が捨てないでくれと泣きついてくる。自分ではどうしようもできないもどかしさをヴォーカルのテクニックで巧みに表現しているんです。
この部分は、彼の声の魅力を引き出すためにシングルトラックにしています。この美しい声を聴いただけでも、ジョンが自分の声を嫌いだったなんて話が信じられません。
サビのところのジョンのリードヴォーカルは、例によってダブルトラッキングされていますが、彼にしては珍しくほとんどズレていません(笑)おそらくADTを使ったからでしょう。
(3)コーラスも抜群!
相変わらずこの曲もコーラスが素晴らしいですね。♫Girl〜と3人がハモるところは、ウットリさせられてしまいます。前にもお話ししたように3人ともヴィブラートはかけていませんが、フェイクを入れて変化をつけています。何度も言いますが、ビートルズって、一般のリスナーが気付かないところに様々なテクニックをちりばめているんです。
例えば、コーラスの1回目のGirは、♫Gir~har~har~lと、2回目は、 ♫Gir~Ghar~har~lとここも変化を付けています。聴いているだけでは気が付きにくいですが、実は、コーラスを部分的に何か所もオーバーダブで細かく重ねているので、ライヴで演奏するとレコードやCDの通りに再現することはできません。もちろん、他にヴォーカルを増やせば別ですが。
ヴォーカルは3人で担当していましたが、この曲では、コーラスのところの編集で別のテイクを重ねています。ですから、レコードと同じサウンドをライヴで再現することは、この時点でもうできなくなっていたのです。
しかも、同じメロディーでもコーラスを微妙に変えているんです。同じ♫Gir~Ghar~har~lのハーモニーでも、メロディの最後のところとサビの最後のところでは、後者の方が前者より3度高い音が入っています。そのため、とてもゴージャスなサウンドに聴こえます。
このコーラスは、ずっと同じテンポでキープしなければいけないので集中力が必要です。聴いているだけだと簡単そうに思えますが、やってみると難しいですよ。同じコーラスを何度も繰り返しているように聴こえますが、最後の箇所はピッチを段階的に上げていってますからね。このタイミングが少しでもズレると、美しいハーモニーが崩れてしまいます。
これ以上言葉で説明するのは不可能なので、後は、皆さんご自身の耳で聴いて確かめて下さい。
サビでポールとジョージが♫tit,tit,tit,tit…とバック・コーラスを入れていますが、これは、当時、ビートルズと良きライヴァル関係にあったビーチ・ボーイズが良くla,la,la,laなどとコーラスを入れていたのを参考にしたのです。
でも、これって俗語で「おっぱい」のことなんですよ(^_^;)このことは、ビートルズが後日談としてネタバラシしてますけどね。こんな名曲でも、そんな下ネタ的なことを平気でやるんですから、彼らはホントにぶっ飛んでますね。それもまだ、前期のアイドル時代ですよ。
最初は、普通にda,da,da,daとしていましたが、こっちの方が面白いから変えてやれというイタズラでレコーディングして、みんなで爆笑していたそうです。もちろん、誰もそんなことには気がつきませんでしたが。まあ、そんなことでストレスを発散していたのかもしれませんね。
2 イン・マイ・ライフ
(1)ガールと並ぶ名曲
この部門では、ガールと人気を二分するほどの名曲です。ジョンのヴォーカルももちろん素晴らしいのですが、それに加えて歌詞もまたしみじみとした味わい深い作品です。
ただ、この曲に関してはファンの間でも有名な逸話があり、この作品を主に制作したのはジョンなのかポールなのかという議論があるんです。ジョンは、殆どを自分が作り、ミドルエイト(Bメロ)をポールが手伝ったと語っています。
これに対しポールは、ジョンの歌詞は初めの部分しかできていなくて、後を引き継いで自分が大部分を作ったと語っています。つまり、両者の主張は真っ向から対立しているのです。真実は一つしかありませんから、どちらかが記憶違いしていることは明らかです。
ただ、ジョンが亡くなった今となっては、どちらの主張が正しいのか証明することはできません。もちろん、それを証明する資料が新たに発見されれば別ですが。
(2)ジョンの様々なテクニック
ジョンは、エンディングの♫I love you moreの部分をピタリと一致させる必要があったため、どうやら最初にレコーディングをしたリズムトラックでリードヴォーカルもレコーディングしたようです。その後それをダブルトラックしました。
彼は、冒頭の♫There are places I remember~の箇所をとても力強く歌っています。しっとりとした美しいバラードなんですが、ここは、力強く声を張ってスタートを切っています。おや、バラードなのにこんなに力強く歌うんだ、とリスナーを一瞬戸惑わせておいて、続く♫All my life~では、一転してソフトな甘い歌声に切り替えています。もちろん、ジョンが意識的にやってるんですが、こんなテクニックをサラリと使ってるんですね。
僕にとって絶対忘れられない場所があるんだと冒頭で力強く宣言し、その後一転して具体的な場所についてはソフトな歌声で紹介していく。この変化のつけ方が本当に彼らしいというか、力強く出ておいて後で優しくするツンデレみたいな感じでしょうか?
リスナーが心を奪われてしまうのは、こういったジョンがヴォーカルを局面で見事に使い分けるテクニックに、知らないうちに惹き付けられているからではないかと思います。他の作品でもそうなんですが、ヴォーカル一つをとってもテクニックをテクニックと感じさせない位、自然な形でサラリとちりばめているんです。
ビートルズをよく理解していない人からは「ビートルズなんて大したことない」と特に演奏のテクニック面について批判されがちなんですが、こういうところに気がつかなければ彼らを理解することはできないでしょう。
♫All these places had their moments~の箇所も単に譜面をなぞるのではなく、細く階段を昇り降りするようにフェイクを入れて、美しい響きにしているんです。これをフラットに歌ってしまうと、全然情感が伝わってこなくなってしまいます💦
本当にヴォーカルって奥が深いなと思うし、ビートルズの凄さがこの部分だけでも理解できます。ジョンのスゴいところは、誰に教えてもらうわけでもなく、彼自身が自分でこうした方が一番リスナーにこの曲が持っている情感が伝わると、天性のひらめきで理解し、なおかつサラリとそれをやってしまうことですね。
(参照文献)BEATLES MUSIC HISTORY, 真実のビートルズ・サウンド[完全版]
(続く)