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(その155)アルバム「ビートルズ・フォー・セール」リリース(その1)

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1 アルバム「ビートルズ・フォー・セール(Beatles For Sale)」リリース

ビートルズは、絶頂期に4枚目となるアルバム「ビートルズ・フォー・セール(Beatles For Sale)」をリリースしました。 

1964年に彼らは、2枚のアルバムと3枚のシングルをリリースし、その他数え切れないほどのインタヴューとラジオ、テレビへの出演風景をフィーチャーした初めてのフィルムを発表し、注目を浴びました。

「beatles tired」の画像検索結果

ジョージ・マーティンは、こう語っています。「このアルバムの制作中、ビートルズは、戦争に疲れたかのようだった。彼らは、1963年の大半と1964年を通じ、凄まじい程働いた。成功するのは素晴らしいことだ。しかし、それはとても疲れることなんだ。彼らは、いつも走り続けていた。『ビートルズ・フォー・セール』は、今となっては私にはそれほど印象的でも記憶に残るアルバムでもない。しかし、このアルバムを制作した後、彼らは再び元気になった。」 

2 レコーディング

(1)ハードスケジュールの合間を縫って制作

このアルバムのレコーディングは、「ア・ハード・デイズ・ナイト」のリリースのちょうど2ヶ月後の1964年8月11日から始まりました。このアルバムは、12月まではリリースされないはずでしたが、ハードスケジュールの合間を縫って制作されました。

「ア・ハード・デイズ・ナイト」の映画とアルバムの制作で、ビートルズは、持てるものを全て出し尽くしてしまい、消耗し切っていました。そんな中でもしっかりとしたクオリティーのあるアルバムを制作したのですから、やはり只者ではありませんね。

「beatles for sale recording emi 1964」の画像検索結果

やはり、ジョン・レノンポール・マッカートニーという2つの強力なジェットエンジンを搭載していたことが大きな力になったといえるでしょう。いずれもが作詞も作曲もこなせ、互いに協力し合えましたから。そして、ジョージ・ハリスンというギタリスト兼ヴォーカリストリンゴ・スターというドラマーの確かなテクニックがそれを支えたのです。

前作程の創造的な演奏はありませんでしたが、ビートルズは、キャヴァーン時代の音楽を掘り起こし、古いカヴァー曲や初期の頃のレノン・マッカートニーの曲、それに新曲を6曲加えました。 

「beatles  recording emi 1964」の画像検索結果

ジョンは、こう語っています。「僕たちは、新しいアルバムができたことをとても喜んだ。その頃は、アルバムやシングルにできる素材は1曲もないという酷い時期だったんだ。でも、僕たちは問題を解決し、期限までに間に合わせたのでホッとしたよ。」

 

何しろビートルズは、年間4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースすることをEMIと契約していたのです。寝る暇の無いほどの忙しさの中で、良くこれだけリリースできたものだと感心しますね。

「Everybody’s Trying To Be My Baby」「Rock And Roll Music」「Words Of Love」これらの3つのカヴァー曲は、1964年10月18日の一日で全部でたった5テイクでレコーディングされました。

(2)ポールがコンポーザーとして頭角を現す

「プリーズ・プリーズ ・ミー」や「ウィズ・ザ・ビートルズ」のように、このアルバムも6つのカヴァー曲が入っています。「ア・ハード・デイズ・ナイト」のときは、ジョンがオリジナル曲のすべてを作りました。しかし、「ビートルズ・フォー・セール」では、ポールもかなり協力しました。

「Baby's In Black」「Eight Days A Week」「What You're Doing」「I Don't Want To Spoil The Party」これらの曲はジョンとポールの共作でした。また、「Every Little Thing」「I'll Follow The Sun」はポールが制作しました。 

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3 アルバムの特色

(1)アコースティックなサウンドを数多く取り入れた

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2年間スポットライトを浴び続け、働き続けて消耗したビートルズは、いくつかの曲でビートを抑え気味にしました。前作「ア・ハード・デイズ・ナイト」では、彼らのアイドル的な要素を前面に打ち出していたのに対し、「ビートルズ・フォー・セール」では、様々な方法でそれとは対照的な面を見せたのです。 

 

「ノー・リプライ」で始まる3曲は、メランコリックでアコースティックなサウンドで、ロマンティックで個人的な失恋のことを歌った曲です。

(2)ボブ・ディランの強い影響

1964年の中頃までにビートルズ、特にジョンは、ボブ・ディランの熱烈なファンになっていて、歌詞やコード、アレンジなどにその影響が現れていました。

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「アイム・ア・ルーザー」は、ジョンが初めてディランに影響を受けた制作した楽曲です。

ジョンはこう語っています。「ディランに影響を受けていた時期に書いたんだ。『 clown(道化)』という言葉がその中に含まれているからね。僕は、その言葉を敢えて使おうとした。ディランは良くそれを使っていたから、僕も使って構わないと思ったし、何をしようとする時も韻を踏んだ。」「自分は、ある時は負け犬だと思っていたし、またある時は全能の神だとも思っていたよ(笑)」

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彼は、コンプレックスにさいなまれていた時もあれば、逆に何でもできるという自信満々の時もあったのでしょう。つくづく人間というのは複雑な生き物ですね(^_^;)

同じくメランコリックな「ノー・リプライ」について、ビートルズの楽曲を管理していたノーザン・ソングス社のディック・ジェイムズは、ジョンに対し「この曲は、問題をこの曲自身で解決するという君が初めて書いた曲だ。」と述べました。この発言の解釈はちょっと難しいですが、ジョンが自分自身を深く考察した結果、失恋した自分を冷静に見つめ向き合うという、完成度の高い歌詞になったということでしょうか。

確かに、主人公は失恋はしたものの、自暴自棄に陥ることなく冷静に状況を分析しています。

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恐らく、彼が初めて歌詞にストーリー性を込めようとした曲であり、アルバムのオープニングの曲としては珍しくビートを抑えめにした、ジョンにとってもコンポーザーとしての一つの壁を打ち破った曲です。

レコーディングの前にビートルズは、オリジナル曲をリハーサルしただけでした。カヴァー曲は、ステージで何度も演奏していましたから。

とはいえ、ぶっつけ本番でレコーディングなんて、とても怖くてできませんけどね、フツー(^_^;)

(2)光速のレコーディング

このアルバムは、1964年8月〜9月に制作されましたが、レコーディングにはたった7日(!)を要しただけでした。いくらカヴァー曲が入っているとはいえ、たった1週間でこれだけ売れるアルバムを完成させるなんて考えられません(^_^;)

 

当時は、現代と違ってスタジオであれこれ編集を加えることは少なかったとはいえ、光速のレコーディングだったことには違いありません。ビートルズは、レコーディングを開始し一旦中断してからアメリカとカナダでツアーを行い、9月29日にレコーディングを再開しました。

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ポールは、こう語っています。「レコーディングにはそれ程時間は掛からなかった。多くは、今までステージでやってた曲だし、新曲は少なかったから。」

誤解のないように申し添えておきますが、ビートルズは、決して「やっつけ仕事」をやったわけではありません。リハーサルをやらなくても良いくらい、彼らの演奏テクニックは確かだったのです。そうでなければ、マーティンがリリースを許可するはずはありませんし、EMIやキャピトルにしてもそうです。

カヴァー曲は、下積み時代から何百回も演奏してきた曲ですし、キャリアを重ねていくうちにテクニックが向上していたことも事実です。そんな実績と自信の裏付けがあったからこそのレコーディングだったのでしょう。

考えてみれば記念すべきファースト・アルバムの「プリーズ・プリーズ・ミー」もたった一日の「一発撮り」でしたからね。

 

(参照文献)THE BEATLES BIBLE

(続く)

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