★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その156)アルバム「ビートルズ・フォー・セール」リリース(その2)

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 1 レコーディング開始

(1)アルバム未収録曲

1964年10月9日から開始した国内ツアーの前に、レノン=マッカートニーのオリジナル7曲が収録されました。同時にレコーディングされたカヴァー曲の「Leave My Kitten Alone」という曲はできの良い曲にもかかわらず、採用されませんでした。これは後にアンソロジー1に収録されました。

 

この曲のオリジナルは、リトル・ウィリー・ジョンが1959年に、キングレコードからリリースし、ビルボード・チャートの13位まで到達しました。ビートルズが強く影響を受けたブラックミュージックに先祖返りした感じですね。こちらがオリジナルです。

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ただ、オリジナルが典型的なリズム・アンド・ブルースなのに対し、ビートルズは、ロックンロールに巧みにアレンジしています。オリジナルもなかなか洒落た出来栄えだと思いますが、やはり、ビートルズのアレンジ能力の高さは素晴らしいと思います。

歌詞は、「オレの女に手を出したら、お前の脳天をぶん殴るぞ」という怖い内容なんですが、オリジナルがちょっとのんびりした感じなのに、ジョンが歌うとドスが効いてて本当に殴られそうです(^_^;) 

私は、良いアレンジだと思うのですが、ビートルズ自身は気に入らなかったみたいですね。

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(2)アルバム収録曲

オリジナルの「I'll Follow The Sun」のみが他のカヴァー曲と共に、2回目のレコーディング・セッションでレコーディングされました。

サビでジョンとハモっているポールのキーは、相変わらず高いですね~。バンドでポールを担当している皆さん、ご苦労お察しします(^_^;)

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(3)他の作品のレコーディングも同時に

レコーディングは、アビイ・ロード第2スタジオで行われました。このレコーディングと共にシングル「I Feel Fine/She's A Woman」と、公式ファンクラブ会員のためのクリスマス・レコードのレコーディングも行いました。

あの名曲を手がけながらこのアルバムを制作していたのですから、この事実だけを見てもやっつけ仕事でないことが良く分かります。

あ、そうそう、ビートルズは、1963年から1969年まで公式ファンクラブ会員のために、毎年クリスマス・レコードを制作していたんです。このことは意外と知られていないと思います。何しろ公式のアルバム・リストには出てきませんから。

このことについては、改めて別稿で触れたいと思います。 

(4)燦然(さんぜん)と輝くカヴァー曲の数々

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「Rock And Roll Music」「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」は、ビートルズが60年代の初めに何度も演奏した曲です。しかし、改めて聴いてみると、素晴らしいアレンジだということが良く分かります。

「Mr Moonlight」は、ビートルズにしては珍しく古風なアレンジですが、イントロ無しでいきなり「♫ミスターアアアア〜、ムーンライト」で始まるジョンのヴォーカルが心に染み入ります。

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「Words Of Love」は、彼らがこよなく愛したバディ・ホリーの曲で、唯一、公式にアルバムに収録した曲です。「Everybody's Trying To Be My Baby」は、ジョージがこよなく愛するカール・パーキンスへの尊敬の念を込めてレコーディングしました。

 

これまでの国内アルバムと同じように、このアルバムもシングルカットされた曲はありません。「Eight Day's A Week」は、アルバムからシングルカットされたのではなく、あくまでもシングル曲としてアルバムの1週間前にリリースされました。

この当時は、「シングルとアルバムは全く別の作品」というのが一般的な認識だったのです。

2 派手さはないものの、変貌の予兆を感じさせるアルバム

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(1)さなぎの時期

前回にも触れましたが、ビートルズは、アイドルとして明るく楽しい恋愛をテーマにした楽曲を中心に制作していましたが、この頃からディランの影響を受け、より内省的で悲しみのこもった歌詞やメロディーラインを好んで作るようになったのです。

ビートルズは、この後にリリースしたアルバム「ラバー・ソウル」で大きく軸足をアーティストへと移したのですが、既にこの頃からその兆しが見えていたんですね。

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(2)「句読点としてのアルバム」

ビートルズの数あるアルバムの中でも、とかく地味なものとして位置付けられがちな作品ですが、彼らがアイドルからアーティストへと変貌する予兆を感じさせるアルバムといえるのではないでしょうか?  

ルポライターの小松成美氏が、このアルバムの持つ意味について、アストリッド・キルヒャーにインタヴューしました。彼女は、ビートルズが下積み時代のハンブルクで、当時メンバーだったスチュアート・サトクリフの恋人だった女性です。彼女は、「このアルバムがビートルズが次のステップに進むための句読点になったのではないか」と語りました。

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過酷なスケジュールに追われて大変だった時期に、もう一度ハンブルク時代に盛んに演奏した曲を振り返って自分たちを見つめ直し、次のステップへ進もうと考えたのではないかということです。「ターニングポイントという程ではないが、句読点ではあった」という趣旨の表現が正に的確ですね。

 

ビートルズのローディーだったニール・アスピノールも「ツアーの合間を縫ってアルバムを完成させて、クリスマス時期に間に合わせて出すバンドなんて今はいないだろう。でも、ビートルズは、1964年の終わりにそれをやっていた。そういうものだと思っていたんだ。」と語っています。

この事実を具体的に示すのが、限られた時間しかスタジオに詰められなかったにもかかわらず、ビートルズこのアルバムでいくつかの革新的なレコーディング・テクニックを開発したことです。彼らは、スタジオでヴォーカル、ハーモニー、イントロなどにおいて、数々の実験的なレコーディングを行いました。

3 革新的なレコーディング・テクニックの採用

(1)フェイド・イン・イントロを始めて導入した

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最も注目すべきなのは、シングルカットされた「Eight Days A Week」のフェイド・イン・イントロです。つまり、イントロが小さな音からだんだん大きな音になる仕掛けです。それは、ポピュラー・ミュージックでは初めて用いられた手法でした。

ただ、セッションテープを聴く限り、最初から計画していたものではなかったようです。どのテイクでも、フェイド・イン・イントロは登場しません。最終的には、リミックス段階で採用されることになりました。これはセッション・ヴァージョンです。

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今となっては、別にどうってことないと思われるでしょうが、そもそもあの時代にこういう発想ができたことが彼らの非凡なところです。シングルA面のヒットを狙う大切な曲でも、こんな試みに果敢にチャレンジしたのです。「ビートルズの辞書に平凡はない」ということです。

(2)初期のマルチトラック・ベースの採用

Every Little Thing」は、当時としてはまだ目新しかったマルチトラック・ベースを採用した曲です。ステレオ・ヴァージョンだとはっきり分かるのですが、左右のチャンネルでベースのサウンドが異なります。リードギターのソロ・パートの時だけ、オーヴァー・ダビングしたベースが聞こえます。 

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(3)テープに重厚なエコーを掛け、ヴォーカルにディレイをかけた

ジョージの「Everybody's Trying To Be My Baby(みんないい娘)」は、テープに重厚なエコーをかけ、ヴォーカルにディレイをかけるという革新的な手法を採用しました。
ディレイというのは、サウンドを遅らせることにより、その一つ一つが元のサウンドと区別できる、いわばやまびこのように遅れて聴こえてくる効果です。これで、サウンドに立体感というか、厚みが出るんですね。

 

(参照文献)THE BEATLES BIBLE, ザ・ビートルズ・アルバム・バイブル

(続く)

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