★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その157)アルバム「ビートルズ・フォー・セール」リリース(その3)

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1 普通にレコーディングした曲もあった

(1)ジョージの工夫

前回の記事で、このアルバムではいくつかの作品で革新的な手法でレコーディングしたとご紹介しましたが、もちろん、普通にレコーディングした作品もあります。

「ベイビーズ・イン・ブラック」におけるジョージのギター・イントロは、おそらくそれ程革新的な手法ではなかったようです。

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彼は、グレッチのビブラート・アームを使って、オープニング・ソロを変える様々なヴァリエーションをテストしました。マーティンがジョージの隣に座り、様々なアドヴァイスをしました。マーティンもアドヴァイスするのが楽しかったようです。

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(2)マーティンの立場の変化

勘のいい方は、もうお気づきになっているかもしれませんが、いつのまにかマーティンがあれこれとビートルズに指示を出す立場から、彼らがしたいと考えることをサポートする立場に変わっています。

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つまり、ビートルズが自分の考えで曲作りを主導するように成長していたんですね。彼らの歴史の中で見ればほんの僅かな変化かもしれませんが、実は、既に大きな一歩を踏み出していたのです。

(3)ジョージの回想

ジョージは、この頃のことをこう語っています。

「僕たちのレコードは進歩していた。初めてスタジオに入ったときは、他のみんなと同じように時間を過ごした-神経質でナイーヴで、そして成功を追い求めていたんだ。」

でも、この頃になるといくつかのヒット曲を生み、ツアーもいくつか経験し、よりリラックスできるようになっていた。スタジオにいることが快適になり、音楽も良くなっていった。」

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「リハーサルは、新しく作った曲だけにした。カヴァー曲は何度も演奏したことがあったからね。『ベイビーズ・イン・ブラック』は何度も練習して、リハーサルしないといけなかったな。僕たちは、ちょっとオーヴァーダビングもやってみた。多分、4トラックだったと思う。マーティンは、いくつか変更するようアドヴァイスしてくれた。でも、決して過剰にはしなかった。彼のアドヴァイスは、曲の重要な部分を構成していたよ。』

2 新しく導入した楽器

このアルバムでビートルズは、いくつか新しい楽器を導入しました。例えば、「エヴリ・リトル・スイング」でリンゴはティンパニ、「ミスター・ムーンライト」でジョージはアフリカのドラム、ポールはハモンド・オルガンを演奏しました。

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彼らは、4トラックのレコーディング技術に挑戦していましたが、「ロックンロール・ミュージック」「エヴリバディズ・トライン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー」「カンサスシティー/ヘイ・ヘイ・ヘイ」は1発録りでレコーディングされました。カンサスシティだけは、2回テイクしたんですが、1回目の方が良いと判断されたのです。

これまた世に名高い「ビートルズの一発録り」というやつですね。

なお、細かい話で恐縮ですが、「Kansas City-Hey, Hey, Hey, Hey」の邦題は、原曲のタイトルそのままに「カンサス・シティ~ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」とされています。しかし、実際の発音はカン「ザ」スシティなんですけどね(^_^;)

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確かに、スペルを見るとSでZじゃないから、濁音じゃないように思うのも無理はありませんが、固有名詞だからしょうがないんですよ。ポールもそう発音しているように聴こえます。まあ、細かいことなのでどっちでもいいっちゃいいんですが。

3 ビートルズが初めてミキシングに立ち会った!

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(1)ついにミキシングに立ち会う

このアルバムは、ビートルズが初めてミキシングに立ち会った作品としても重要な意味があります。この数年後、彼らは、ミキシングの過程により深く関わることになりますが、それまでは、マーティンと彼の部下のエンジニアたちだけがミキシングしていて、ビートルズが関わることは無かったんです。

しかし、とうとうこのアルバムから彼らもミキシングに立ち会うことになりました。

 

この事実からしても、ビートルズがアイドルからアーティストへと変貌する予兆を感じさせるアルバムといえます。もっとも、ミキシング自体はエンジニアにより手早く行われ、ステレオ用のミキシングは、10月27日に5曲をたった30分で終わりました。

(2)リンゴの回想

リンゴは、このアルバムについてこう語っています。

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「僕たちは、音楽的に飛躍的に進歩していると感じた。『ビートルズ・フォー・セール』と1965年の『ラバー・ソウル』の中のいくつかの曲は素晴らしかったよ。それまでになかった程だった。」

「僕は、スタジオで本当にエキサイティングになっていた。僕たちは、リハーサル、レコーディングから仕上げまで全部スタジオでやった。多くの曲が未完成だったから、演奏するために別にリハーサル専用の部屋を使うことはなかった。」

「曲のアイデアは、出だしとかコーラスの部分はあったんだけど、最初に作ったメンバーや誰かが良いアイディアを出してきたら、その都度変えていったんだ。」

「僕が新曲を最初に聴く時は、ギターかピアノだった。様々な曲がテイクを撮り続けていくうちに、どんどん進歩していくのを聴くのは素晴らしいことだ。曲が劇的に変化するんだよ。」

「最初に作曲したメンバーがだれであるにせよ、『この曲はこんな風に演奏するんだ。』と他のメンバーに教える。彼は、ギターやピアノでそれを演奏し、毎回歌うんだ。僕たちはみんな、聴いた曲を何度も繰り返して演奏しているうちに覚えていく。」

 

「初期のレコーディングの殆どは3トラックだった。オーヴァーダブのためにトラックを1つ空けていたんだ。だから、僕たちは、バンドとして一体となって何度も何度も演奏した。誰か1人でも歌っていれば、僕たち4人は永遠に演奏できた。『後でベースやギターを追加する』なんてことはしなかった。ヴォーカルも含めて殆どをその場でレコーディングした。そして、曲はどこでも書かれてたよ。」

(3)全員がくたばるまで演奏した

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ビートルズは、短期間にあれほどの名曲を量産した天才でありながら、譜面の読み書きができなかったので、手書きの歌詞にコードを振っていただけでした。それだけではメロディーが分からないので、全ての曲において作詞作曲したメンバーがガイドヴォーカルと演奏をやり、他のメンバーがそれを聴いて覚え、合わせるというスタイルを続けていました。

また、この頃は、まだ音源をオーヴァーダブして後から追加するということはあまりしておらず、4人が一緒に何度も演奏して誰かが止めるまで演奏し続けていました。それだけバンドの結束力が強かったのです。

 

4 ビートルズのお約束の一つ

さて、ビートルズにはいろいろな「お約束」がありましたが、アルバムの中にリンゴのメイン・ヴォーカルの曲を必ず一曲入れるというのもその一つでした。

ビートルズの中でも、リンゴは、他の3人に比べて出せる声域が狭かったので、メイン・ヴォーカルを担当できる曲も限られていました。「ハニー・ドゥント」は、そんな彼に合わせた曲です。

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リンゴは、こう語っています。「『ハニー・ドゥント』は、良く知っていた。その当時のリヴァプールのバンドは、そういった曲はみんな知ってたんだ。僕はカントリー・ミュージックが好きで、ローリー・ストームに所属してたときも5、6曲やってた。だから、歌ったり演奏したりすることは、僕にとって目新しいことじゃなかった。」

「僕は、ビートルズで自分が乗る車を見つけた気がしたよ。このアルバムがまさにそれさ。快適だった。僕も1曲だけヴォーカルをやったよ。ほんのちょっとスポットを当ててもらえたんだ。」

間奏に入る直前にリンゴがジョージに向かって「Ah, Rock on George, one time for me (ロックしてくれ、ジョージ、もう1回僕のために)」間奏に入ると「I feel fine(気持ちいいぜ)」「I say(それっ)」と歌いながらセリフを入れています。大好きなカントリー&ミュージックなのでノリノリだったんでしょうね(笑)

 

(参照文献)THE BEATLES BIBLE

(続く)