★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(165)ビートルズにまつわる数々のコレクターズ・アイテム(その1)

Original de que los Beatles imprimir: En vivo en el salón isabelino, Nottingham, 1963. Se trata de un original diseño inspirado en las clásicas actuaciones de artistas legendarios. Este llamativo cartel estilo vintage grabado sería un gran regalo para cualquier fan de The Beatles. Celebra los 1963 funcionamientos legendario de cantantes en el el salón isabelino, Nottingham. ESTAS IMPRESIONES PUEDEN SER PERSONALIZADAS A OTRA FECHA, ÃNTREME EN CONTACTO CON PARA MÃS DETALLES. Todas nuestras ...

1 ボブ・ディランとの出会い

(1)ディランの影響

ビートルズは、初めてアメリカツアーを行い、そこでボブ・ディランと出会いました。もちろん、それ以前から彼らはディランの曲をよく知っていて、とても刺激を受けていました。

特にジョンは、ディランの反体制的なそして言葉の裏を読まないと理解できない深い歌詞に感銘を受けました。そこから彼の作風が大きく変貌したのです。

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(2)ディランの手書きの歌詞

これは、1965年にリリースされた「Gates of Eden」という曲の手書きの歌詞です。もっとも、展示されているアルバムは「Bob Dylan」でこの曲が収録されたアルバムではありません。

隣の説明書を読めばわかるんですが、ちょっと紛らわしい展示の仕方ですね。うるさいファンだとクレームをつけるかもしれません💦もちろん、私はそんなことはしませんが (笑)

2 キャバーン・クラブの会員カード 1961~1963

(1)キャバーンが発行した会員カード

これは、1961~1963年の3年間だけ発行されたキャバーン・クラブの会員カードです。

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クラブの入口でこのカードを提示すれば、格安の入場料でビートルズや他のグループのショーを観ることができました。

展示されている実物を見ると一枚物のカードのように見えますが、実はブックレットのようになっていて、開くことができました。中に会員の住所・氏名・サインを書き込むようになっています。会員番号が印刷され、手書きで発行日も書き込まれています。

ページをめくると発行した年のカレンダーがついています。ファンは、ここにビートルズが出演する日に印を付けられたんですね。もっとも、彼らは、殆ど毎日のように出演していましたが(笑)

そして、付近の略地図が印刷されてあり、クラブまでの道をお友達に教えてあげてくださいと印刷されています。

(2)注意事項の記載

一番最後のページには注意事項が書かれています。スタッフから求められたらいつでもこの会員カードを見せること、メンバー以外の同伴者を連れてくることはできないこと、他人に譲り渡すことはできないこと、会員カードを持っていても満席などの理由により入場できない場合があることです。

 

面白いのは、「重要」とアンダーラインが引かれた注意事項です。「ハンドバッグ、コート、靴、傘、その他」と印刷されていますが、これって何のことだかわかりますか?

すぐにピンと来ると思いますが、「座席の下にこれらのものをお忘れにならないようにご注意ください」「トイレの中であろうとどこであろうと忘れ物をしないよう気をつけてください」と印刷されています。つまり、ファンに注意を喚起しているんですね。

ビートルズのパフォーマンスで散々絶叫して、放心状態になって帰るファンですから、忘れ物も大量にあったのでしょう。毎日のように発生する大量の忘れ物の始末に、クラブが悩まされていた事情が窺えて何だか微笑ましくなりますね。

(3)気になる現在のお値段は?

別に通販番組じゃありませんが、この会員カード、今、手に入れるとするとおいくらぐらいでしょう?状態にもよりますが、200~400ドル位で取引されているようです。

ちなみに、オークションサイトのeBayでは、1963年に発行されたものに480ポンド(約73,000円)という値段が付けられています。結構高いですね(^_^;)私は、こういうコレクターズ・アイテムには疎いのですが、例えば会員番号1番とか印刷されたカードがあったら、とんでもない値段が付きそうな気がします。

 

でも、ありました、ありました、すごいお宝の会員カードが!1963年発行のビートルズ4人全員の直筆のサインが入った貴重なものです。ジョンだけが黒のボールペンを使い、他の3人は青のボールペンを使ってますね。これは2011年1月29日にボーナムに出品され、3,600ポンド(約542,000円)で落札されました。

f:id:abbeyroad0310:20180407121726p:plainカードの余白のページにサインしてあるのですが、ここはクラブの使用欄でホントはファンは書き込んじゃいけないことになってたんですけどね。ファンにすればビートルズのサインを貰えるんですから、そんなこと知ったこっちゃありません(笑)サインの偽物は腐るほどありますが、流石にこれは本物でしょう。

BBCテレビのブロードキャスターだったデヴィッド・ジェイコブスのサインもこの後ろのページにあります。どういう経緯で彼がサインしたのか分かりませんが、当時、彼がキャバーンにいたとは思えないので、おそらく後年になってこのカードを持っていたファンがもらったものだと思います。

このカードを見ると、できることならその当時にタイムスリップして、ビートルズのショーを観たいという気持ちにかられます。これはファンなら誰しもが思うことでしょう。

3 ビートルズの名刺

(1)初代のマネージャーが配って歩いた

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ビートルズの初代マネージャーだったアラン・ウィリアムズが作成したビートルズの名刺です。彼は、これをあちらこちらで配って歩き、下積み時代のビートルズの仕事を取って来たんですね。

彼は、デッカレコードと並んで「ビートルズを逃した男」というありがたくない形容詞を付けられていますが、プロとして駆け出しの頃の彼らを一生懸命支えたのは事実です。

少なくとも、彼らが音楽一本で食えたのもウィリアムズのおかげです。彼の後を継いだブライアン・エプスタインがあまりにも偉大な功績を挙げたため、どうしてもマイナス・イメージで見られがちですが、ビートルズリヴァプールで一、二を争うバンドになるまで面倒を見たのは確かです。その成功がなければブライアンとの出会いもなかったのですから。

 

あくまでも結果論ですが、ビートルズの実力を養ったという意味で重要なドイツ、ハンブルクでの仕事を取って来たのも彼です。惜しむらくは、彼に「ビートルズの才能を見抜く目とそれに掛ける情熱」が欠けていたことでした。

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しかし、まあ、何とも地味な名刺ですね(^_^;)ビートルズと小さな字で印刷されているだけですが、これもコレクターにとってはお宝でしょう。

左下には唯一のディレクター、アラン・ウィリアムズ、そして電話番号が書かれています。右下にはビジネスと書かれてやはり電話番号が書いてあるので、こちらが仕事先ということでしょうか?

(2)クオリーメンの名刺もあった!

ビートルズは、プロになってから、つまりビートルズと名乗るようになってから名刺を作ったのかと思うとさにあらず。マチュア時代のクオリーメンの時にも名刺を作っていたんです。それがこれです。

これまた中央に小さな文字でクオリーメンと印刷してあります。

ビートルズの歴史家、マーク・ルイソンは、著書「Tune in」の中で「バンド名がクオリーメンだったのかクオリー・メンだったのかはっきりしない」と書いていますが、この名刺を見る限り「ザ・クオリー・メン」が正確なのかもしれません。

(3)クオリーメンにはマネージャーがいた

クオリーメンのメンバーに茶箱ベースを担当していたナイジェル・ウェイリーがいました。やがて彼は、演奏を止めバンドのマネージャーとなりました。

音楽の才能には恵まれていませんでしたが、交渉は上手かったのでジョンに頼まれてマネージャーを引き受けることになったのです。彼は、ジョンが自分を頼ってくれたことをとても嬉しく思いました。彼は、後に重要な役割を担うことになるのですが、そのことについては改めてお話しします。

John Lennon and Nigel Walley in 1958

クオリーメンは、アマチュアバンドだったとはいうものの、ウェイリーはマネージャーとして活発に活動し、仕事を取ってきたのです。もっとも、その殆どはノーギャラでした。まあ、高校生のアマチュアバンドにギャラを払ってくれる人はいませんよね(^_^;) 

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地元の劇場やダンスホールにチラシを送ったり、ジョンが描いたポスターを置いたり、リヴァプールエコーやリヴァプールデイリーポストなどの地元紙に広告費を出して小さな広告を出したりしていました。

マチュアとはいえ人前で演奏するのですから、それなりのテクニックと度胸が要ります。ジョンもポールも、すでにヴォーカルではもう十分なものを持っていました。

長くなるのでこの続きは次回で。 

 

(続く)