★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(172)ビートルズへのメンバー加入を断った男〜ロイ・ヤング(その1)

ロイ・ヤング…。もし、あなたがこの名前を知っているとしたら、ビートルズ・フリークを自称して良いでしょう。かなりのビートルズ・ファンですら、彼の名前を知らないと思いますが、実は、彼は、ビートルズの一員になっていた可能性が最も高かった人物なのです。

つまり、ビートルズは、FAB4ではなくFAB5となった可能性があるのです。今回は、このことについてお話しします。

1 隠れた「5人目のビートル」

(1)「5人目のビートル」は誰か?

ビートルズは、ジョン・レノンポール・マッカートニージョージ・ハリスンリンゴ・スターの4人がメンバーでした。

しかし、ファンの間では、50年以上の長きに亘り「5人目のビートルは誰か?」という議論が続けられています。ちなみにマスコミなどでは、「5人目のビートルズ」と表現したりしますが、それは良く知らない人が犯しがちなミスです。

ビートルズは、4人が揃って初めてビートル「ズ」という複数形で呼ばれるのであり、一人一人は、ビートルと単数形で呼ぶのがファンの間でのお約束です。

 

それはともかく、5人目のビートルにも二種類の意味があります。一つは「実際にメンバーだった人」という意味です。

この意味では、元ベーシストのスチュアート・サトクリフ、元ドラマーのピート・ベストらが挙げられます。

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スチュアートは元々画家志望であり、ビートルズハンブルクへ巡業に行った際に現地の女性と恋に落ち、そこに留まることを決意してメンバーを脱退しました。

ピートは、その後もドラマーを続けていましたが、ビートルズのメジャーデビュー直前で解雇されてしまいました。

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もう一つの意味は、「メンバーではないけれど、ビートルズに多大な貢献をした人」という意味です。マネージャーだったブライアン・エプスタイン、プロデューサーだったジョージ・マーティンらが挙げられます。

世界中でこの議論が未だに続けられていますが、おそらくその中でロイ・ヤングの名前が挙げられることは、殆ど無いといっても良いのではないでしょうか?

(2)5人目のビートルになった可能性が最も高かった

しかし、実は、ヤングこそが本当に5人目のビートルとしてメジャーデビューしていた可能性が最も高かった人物だったのです。なぜなら、彼は、ピアノの演奏に優れていただけでなくヴォーカルも巧みで、その上、作詞作曲の能力にも優れていたからです。左端でピアノを弾いている人物です。

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ジョンとポールの二人は、後にキーボードも担当するようになりましたが、メジャーデビュー当時は、ギター、ベースとヴォーカルがメインでした。ヤングは、ビートルズと同じイギリス出身で、ハンブルクのクラブで一緒にライヴを演奏していたのです。

2 ロイ・ヤングとは何者なのか?

ヤングは、1934年10月20日、ロンドンのタワー・ハムレット自治区で生まれましたが、彼が7歳のときに家族はオックスフォードへ移住しました。

彼は、リトル・リチャードに憧れ、1958年のテレビ・オーディションでピアノでリチャードの「Long Tall Sally」を演奏し、プロデューサーの目にとまりました。彼は、「Drumbeat」という音楽番組のレギュラーミュージシャンとなり、すぐに成功しました。数多くのテレビ番組に出演する一方、クリフ・リチャードやシャドウズのツアーにも参加しました。

「I Go Ape」はニール・セダカ、「She Said Yeah」はラリー・ウィリアムズがオリジナルを歌っていましたが、ヤングは、これらの曲を巧みにカヴァーしました。しかし、レコード会社は、当時のリスナーがアメリカのオリジナル曲を好んでいたので、彼がヒットするシングル曲を作るのは難しいだろうと考えていました。

 

彼は、1959年に「Big Fat Mama」というリチャードを彷彿とさせるオリジナル曲をリリースした程優秀なシンガーソングライターだったのですが、ヒットするには至りませんでした。この頃のイギリスのポピュラー・ミュージック界は、みんなアメリカを向いていて、イギリス人のロックンローラーが活躍できる状況ではなかったのでしょう。

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ヤングは、歌手のアダム・フェイスと仲良くなり、彼の持ち歌である「What Do You Want」という曲の歌い方に対してアドヴァイスしました。そのおかげもあり、この曲は、フェイスにとって初めてとなるチャートNo.1を獲得しました。

3 ビートルズとの出会い

(1)ハンブルク巡業

1961年、ヤングもビートルズと同じ時期に、ドイツのハンブルクへ巡業しました。そこで彼らと出会ったのです。

ヤングは、1961年からドイツ、ハンブルグのトップテン・クラブで働き始めました。そして、彼は、スター・コンボというユニットを結成し、1962年の春、同じハンブルクのスター・クラブでビートルズとともに演奏しました。これがその時の写真です。

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ピアノに大きく「ロイ・ヤング」と名前を表示しているのですぐに分かります。後にビートルズが、リンゴのバスドラムにあの有名なドロップTのロゴを目立つように表示しましたが、ひょっとするとヤングからヒントを得たのかもしれません。

これは、「Rip It Up」というリトル・リチャードのヒット曲のカヴァーですが、ヤングのパワフルなヴォーカルと華麗なピアノプレイが圧巻です。

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(2)楽しかったビートルズとのセッション

ヤングは、当時を回想してこう語っています。「ビートルズとのセッションは、とても楽しかったよ。ジョンは、ガムを噛みながら歌えたんだ。彼がある夜、ガムを吐き出したら、そいつが私の鼻にくっついた。私は、ピノキオみたいになったんで、彼は、床に転げ回って大笑いしてたよ。」

いやはや、いかにもジョンらしいエピソードですね(^_^;)ブライアン・エプスタインと契約する前のビートルズは、こんな感じでステージでガムを噛んだりするのは普通でした。

4 「ポリドール・セッション」に参加

(1)トニー・シェリダンのバックバンドとして

やがて、ヤングは、ポリドールレコードで、トニー・シェリダンのバックバンドとして、「ビート・ブラザーズ」とともに「ポリドール・セッション」と後に呼ばれるセッションを行いました。

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このセッションは、全部で3回行われましたが、ヤングが参加したのは2回目の1962年5月24日で、「Sweet Georgia Brown」「Swanee River」という曲をビート・ブラザーズとともに演奏しました。この時も彼はピアノを担当しました。

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このピアノの演奏を聴けば分かりますが、既にこの時点でヤングは、あの天才ロックンローラージェリー・リー・ルイスばりの華麗なテクニックを披露しています。

ヤングは、レコーディングに参加したのですが、その名はビート・ブラザーズとは異なり、なぜかレコードにはクレジットされませんでした。あるいは、ビート・ブラザーズのメンバーの一員とみなされたのかもしれません。

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彼は、これらの曲をステージでも演奏していたので、ビート・ブラザーズとライヴを演奏したときもこの曲を演奏したと思われます。

(2)ビート・ブラザーズとは?

ところで、ビート・ブラザーズというのは、実はビートルズのことなんです。なぜ名前を変えたかというと、このレコードはドイツで発売されたんですが、当時のドイツ人は、BをPに近い音で発音したので、「ビートル」が「ピーデル」のように聴こえたのです。

 

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ドイツ語でピーデルというと男性器の幼児語になってしまうため、そのまま使うのはまずいというレコード会社の判断で、クレジットを変更したのです。もっとも、現在では、この言葉はもう使われておらず辞書にも載っていないようです。

このセッションの中で最も有名な曲は「マイ・ボニー」ですね。

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(3)リンゴも参加していた

実は、リンゴもビート・ブラザーズに加わっていたことがあるのです。彼はロリーストーム・&・ザ・ハリケーンズのメンバーでしたが、1961年12月30日、高いギャラ、宿泊施設、車が手配されていたことに魅力を感じて、トップテンクラブへ出演しました。

しかし、シェリダンは、バッキングバンドに何も言わずに、演奏の途中で曲を頻繁に変えてしまうほど気まぐれで対応するのが難しく、リンゴはハリケーンズに戻ってしまいました。

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リンゴは、1962年3月、この時にも再びトップテン・クラブでシェリダンのバックバンドを務めましたが、やはり、リハーサルもせずに本番をやってしまうシェリダンの勝手気まま振りに嫌気がさし、数週間で辞めてしまい元のハリケーンズに戻りました。

ここでも後ろ姿ですが、ヤングがピアノを弾いています。シェリダンがギターとヴォーカル、そしてリンゴがドラムです。 

 

(参照文献)Songs We Were Singing, fyi music news, INDEPENDENT, THE LEGENDARY ROY YOUNG

(続く)