★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(181)ビートルズの躍進に大きく貢献したマージー・ビート紙(その2)

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1 他のバンドからクレームを付けられた!

マージー・ビート紙の創刊者、ビル・ハリーのお話を続けます。

ビートルズは私の仲間だし、マージー・ビートは私が出版している新聞だったので、私は、彼らに関する記事を他のどんな記事よりも優先して掲載していた。」

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「するとある日、ボブ・ウーラーがオフィスを訪れ、マージー・ビートがビートルズに関する記事ばかり優先して掲載しているので、他のバンドが『新聞の名前をマージービートルズに変えろ!』と文句を言っていると言ってきた。それで、私は、『Mersey Beatle』と題したページを別に設けて定期的に記事を書くことにした。」

そりゃ、当時のマージー川周辺には400ものバンドがあったのですから、ビートルズの記事ばかり優先して書いていたら、他のバンドから文句が出るのも当然でしょう(笑)ハリーは、やむなくビートルズに関する記事を別枠で掲載することにしました。

2 ビートルズとの運命的な出会いを作り上げたブライアン

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「ブライアン・エプスタインは、彼が見つけたこの新しい音楽シーンに興奮し、それについて議論するため、2回私を昼食に招待した。彼は、ビートルズを自分自身の目で観てみたいと、昼食時にキャヴァーン・クラブに行けるよう手配してくれと依頼してきた。私は、キャヴァーン経営者のレイ・マクフォールに電話をかけて手配した。」

 

「当然のことながら、私は、何故、ブライアンが10月28日にある青年が彼の店に来てビートルズのレコードを買い求めるまで、ビートルズを聴いたことがなかったと彼の本の『A Cellarful of Noise』で書いたのかは分からない。私はマージー・ビートの紙面で彼らのレコードの宣伝をしたが、その白黒のコピーを見れば彼が嘘をついていたのが分かる。」

この証言で「ブライアンがビートルズとの運命的な出会いを演出するために作り話をした」という疑惑は事実であることが判明しました(笑)

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「私は、ブライアンとビートルズについて何度も話し合ったことに加え、彼は、キャヴァーンでのランチタイム・セッションの数か月間に、彼のNEMSレコード店にメンバーが立ち寄ったことに気づいていた。」

ビートルズは、試聴ブースのレコードのB面を聞くために、NEMSに良く足を運んでたんだ。ピート・ベストは、エピー(ブライアンのニックネーム)が黒の革ジャンで現れた青年たちを見て、店の女性店員に彼らが誰なのか尋ねていたことを覚えている。」

ブライアンは、ビートルズがしょっちゅうNEMSに立ち寄るので、女性店員に「彼らは良く来るけど一体誰なんだ?」と尋ねていたんです。そりゃ、黒の革ジャンで4人も来れば目立ちますよね(笑)そして、彼が尋ねているところをピートが見ていました。

何だか不良っぽい連中だなと内心は思ってたんでしょうね。でも、お客さんだし、レコードを試聴して気に入ったものは買ってくれるので、身なりだけで入店を拒否するわけにはいきませんでした。

3 ビートルズはB面ばかりを探していた

ここで面白いことに気がつきませんか?ビートルズは、もっぱらシングル・レコードのB面ばかりを聴いていたんです。普通は、A面を聴きますよね?でも、彼らは、ヒットを狙ったA面には目もくれず、B面にこそお宝があると聴きまくっていたんです。

やはり、目の付け所が違いますね。B面は、どちらかといえばコアなファンやプロが好むような渋い曲が多かったのですが、ビートルズは、アレンジ次第でそれらが光り輝く素晴らしい曲に生まれ変わると感づいていたんです。そのうちで彼らが気に入ったいくつかの曲をカヴァーしました。そして、彼らの考えは的中しました。

「レイモンド・ジョーンズ(初めて店にビートルズのレコードを買いに来た青年で、後に、ブライアンは、彼がきっかけでビートルズを知ったという話になりました)が店を訪れる前に、ブライアンは、タワー・ボールルームで、『オペレーション・ビッグ・ビート』と銘打ったライヴのプロモーションのためのポスターを持ち、そのライヴのチケットをビートルズが一番売れるように販売した。」

 

はい、これでレイモンド・ジョーンズという一人のファンがレコードを買いに来たのをきっかけにブライアンが彼らの存在を知ったという話は、彼による完全な作り話だったことが確定しました。ギルティ(有罪)です(笑)

彼は、ジョーンズが来店する前に、ビートルズがちょくちょく店を訪れていたことも知っていましたし、彼らのことについてハリーと何度も話し、キャヴァーンクラブのランチタイムショーにも行き、彼らのライヴのPRポスターを店内に堂々と張り出し、せっせとビートルズのライヴのチケットを販売していたんですから。

多分、もっと後になってブライアンが生きていたら、いつかこの事実を明らかにしたでしょう。追求されたら「完落ち」したでしょうね。頭を掻きながら「いや、あの当時はビートルズを売り込むために何でもやったんだよ、ごめんね💦」ってな感じで。

4 リヴァプールのトップ・グループを決める人気投票

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「私がリヴァプールでトップのグループを読者の数で決めると公表すると、リヴァプール中のグループが色めきたった。私は、グループのメンバーが投票で自分のポジションを上げるために、新聞を買い漁っていたことを新聞販売の業者が教えてくれた。」

いわゆる「組織票」というヤツですね。これは今でもありますが、当時はバンド自身が当たり前にやってたんですね(^_^;)とすると、ビートルズのデビュー曲、「LOVE ME DO」のシングル盤をブライアンがチャートを吊り上げるために大量に買い込んだという噂も、案外事実だったのかもしれません。

「そして、ヴァージニアと私が票を集計したとき、ローリー・ストーム・&・ザ・ハリケーンズ(リンゴがドラマーだった頃)がトップになった。しかし、マージー・ビートの当時の音楽シーンからして、もう彼らはピークを過ぎていて、ビートルズが上回っていることに間違いないと確信したので、再び集計し直した。」

この二つのバンドは、マイナー・デヴューした頃には良い勝負をしていましたが、ビートルズハンブルクから帰ってきた頃になると、その実力差は歴然としていました。彼らの持って生まれた才能と、ハンブルクでの過酷な経験、売れたいというハングリー精神、全てについて圧倒的な差が付いていたのです。

 

「私は、ハリケーンズの票が緑色のインクで書かれていることに気付いた。それは明らかに同じ筆跡であり、ローリーが指示したとの疑いがある40票程を無効にした。私は、ローリーがやったことと似たようなことをビートルズや他のバンドがやっていたことも知っていたが、それらの票については無効にしなかった。いくつかはポールも認めていた。」

そりゃ、緑のペンで同じ筆跡で書いたら、誰でも同一人物だと気が付きますよ💦ただ、ビートルズも同じことをやっていたというのは微笑ましいですね。

「そして、マージー・ビートの最初の年は、ブライアン・エプスタインがマネージャーになることを申し出ていたビートルズが、『マージー・ビート・ポール・コンサート」の投票結果で、順当にイギリス北西部のナンバーワングループに選出された。」

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(参照文献)The Internet Beatles Album

(続く)

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