★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その43)リンゴのドラミングの凄さについて(その1)

1 リンゴ・スターのドラミングに対する誤解 2 グレッグ・コットの見解 3 リンゴは左利きのドラマー 4 リンゴはフィーリングで演奏していた! 1 リンゴ・スターのドラミングに対する誤解 「ア・ハード・デイズ・ナイト」に関する記事を書いている途中で…

(その42)スチュアート・ケンドールさんから新しいメッセージと写真が送られてきました

ビートルズの元スタッフのスチュアート・ケンドールさんから新しいメッセージと写真が送られてきたので、ご紹介します。 この写真は、前回送ってもらったものですが、いつどこでどんな状況で撮影されたのかが分からなかったので問い合わせたところ、以下のよ…

(その41)フェイスブックでジョンとポールの旧友と接触できました!

ジョンとポールの旧友であるMr.Stuart Kendall(スチュアート・ケンドールさん)と、フェイスブックを通じて直接コンタクトを取ることに成功しました。 ポールと、ミック・ジャガー、一人置いてジョンがソファーに座っている写真がネットでアップされていて…

(その40)「ア・ハード・デイズ・ナイト」(シングル盤)リリース!

(その36)で映画のタイトル(曲名)が、元々リンゴの漏らした言葉がきっかけでてきたと書きましたが、普段からリンゴは、ちょっと天然っぽいところがあって、時折無意識に変な言葉を口にして周囲を笑わせていました。 リンゴの天然ぶりを示すエビソードの…

(その39)映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」の未公開シーン

映画のストーリーはこうです(ネタバレありなので、これからDVD等を観るつもりの方は飛ばして下さい!)。 リヴァプールから来た4人のビートルズと名乗る若者達。ビートルマニアに追いかけられる毎日でしたが、何故かメンバーの一人、ポールのおじいちゃん…

(その38)「ア・ハード・デイズ・ナイト」の撮影風景

ビートルズは、1964年3月11日、撮影場所をトゥイッケナム撮影所に移しました。このスタジオは、後に映画ヘルプ、レット・イット・ビーや数多くのPVの撮影やソロ活動にも使われました。 この日は、午前8時から10時までビートルズが「I Should Have Known Bet…

(その37)ジョンのエレキギターの謎について(続報)

話をちょっと中断して、(その35)でジョンが最初に手に入れたDallas Tuxedo(ダラス・タキシード)について続報を書きます。これは、彼が育てられたミミ叔母さんの実家の屋根裏部屋から見つかり、「ビートルズ・ストーリー」というリヴァプールにあるビー…

(その36)初主演映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」撮影開始!

1 初の主演映画 2 奇妙な日本語タイトル 3 映画の撮影 4 サウンドトラック・アルバムも制作 5 タイトルの由来 1 初の主演映画 ビートルズの勢いはとどまるところを知らず、1964年3月2日にいよいよ初主演映画「A Hard Day's Night (ア・ハード・デイズ…

(その35)アマチュア時代のジョンのギターについて

1 最初はアコースティック・ギター (1)Gallotone Champion (2)長い間行方不明になっていた 2 最初のエレキギター~ヘフナークラブ40 3 先に手に入れていたエレキギターがあった? (1)Dallas Tuxedo (2)屋根裏部屋で発見された (3)ビートルズ・…

(その34)ついに不滅の記録を達成!!

おかげさまで、このブログの月間PVが現時点で1,400件を超えました。このペースで行くと、今月の月間PV は1,500件に達しそうです。閲覧して頂いている皆さん、ありがとうございますm(_ _)m このレベルに到達すると上位3割以内にランクインするとのことで、ブ…

(その33)6番目のシングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ」の制作

アメリカで大成功を収めてイギリスへと凱旋した彼らでしたが、早速、新しい楽曲の制作とレコーディングが待ち受けていました。しかも、初の主演映画「A Hard Days Night(ア・ハード・デイズ・ナイト)」の制作も控えていたのです。この映画についてはまた改…

(その32)〜 ビートルズとブライアン・エプスタインとの出会い(その2)

海岸を散歩するレイモンド・ジョーンズ 1 なぜ名乗り出なかったのか? 2 まさかの大どんでん返し 3 過去の歴史が覆ることもある (1)でっち上げ説 (2)スペンサー・リーが裏付けた 4 レイモンド・ジョーンズは本物だ (1)客観的事実に符合する (2)…

(その31)〜 ビートルズとブライアン・エプスタインとの出会い(訂正その1)

ビートルズと敏腕マネージャー、ブライアン・エプスタインとの出会いについては、(その5)で書きました。しかし、その後の調査で、事実が少し異なることが判明しましたので、ここで訂正させていただきます。 ブライアン・エプスタインが、公式にビートルズ…

(その30) ビートルズを批判した人々(その2)

前回書いたノエル・カワードよりもっと辛辣だったのは、イギリスの歴史家であり、ジャーナリストであった「ポール・ジョンソン」です。 彼は、1964年2月28日にロンドンで出版されている政治と文化に関する雑誌「ザ・ニュー・ステイツマン」に、「ビートリズ…

(その29) ビートルズを批判した人々(その1)

その20で触れたアメリカのジャーナリストのアレクサンダー・ケンドリックは、1963年にビートルズを批判しましたが、1964年に彼らがアメリカで大成功を収めてもなお、ビートルズを批判した大人たちは沢山いました。それは著名人であると一般市民であるとを…