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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの足跡を訪ねて~リヴァプールとロンドン一人旅日記~ (その13) ヒット連発!

From Me To You - Amazon.co.jp

1 From Me To Youのレコーディング開始

ビートルズは、3番枚目のシングルとなる「From Me To You (フロム・ミー・トゥ・ユー)」のレコーディングを開始しました。これは、プリーズ・プリーズ・ミーがヒットする前からもう次の曲を作るようリクエストされてたんです。また、ブライアンとマーティンは、毎年4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースすることで合意していました。

簡単に書きましたけど、これって物凄いキツいノルマですよね⁉︎シングルはもちろん全部オリジナルじゃなきゃいけないし、アルバムはカヴァー曲で埋めるとしても、独自のアレンジで演奏してクオリティーも高めないといけない。ところが、そのキツいノルマをちゃんとこなしてしまうんだから、ビートルズってすごいですね、だって、毎日寝る暇も無いほど忙しい合間を縫って曲を作って、レコーディングしたんですから。

この作品は、ジョンとポールの共作です。ポールは、この曲を古いラグタイムのような感じに作ったと言っています。特に、「ミドル・エイト」の部分がそうだと言っています。ミドル・エイトとは、ビートルズが好んで使った音楽用語で、英語圏の国では「ブリッジ」日本では「Cメロ」と呼ばれています。そこで曲調が変わるんですよね。ラグタイムとは、19世紀末から20世紀初頭に掛けてアメリカで流行した音楽です。  

 

2 バスの中で作曲

1963年2月28日にビートルズは、イギリスの歌手ヘレン・シャピロの前座としてツアーに同行しますが、そのヨークからショールズベリーへと向かうバスの中でジョンとポールが共同でこの曲を作成しました。彼女は、既に1961年に「Don't Treat Me Like A Child(邦題:子供じゃないの )」という曲をヒットさせ、ポップ・シンガーとしての地位を築いていました。日本では弘田三枝子が日本語でカヴァーしてヒットしました。今聴いても懐かしい感じがするポップな曲ですね。なお、彼女は、最近、日本語の曲を盛んにカヴァーしています。例えば、沢田知可子の「会いたい」、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」などですね。
彼らは、ギターをかき鳴らしながらバカ騒ぎをしているうちに、素晴らしいメロディーラインを思いついたので、そこから真剣に曲作りを始め,、ツアーが終わるまでの間に彼らは曲を完成させました。っていうかですね、何でそんなガサガサした落ち着かない場所で全英チャート№1に輝く曲なんて書けるんですかね?「彼らが天才だから。」はい、その通りです(^_^;)
曲想を思い付いたのはジョンでしたが、そこからポールと二人で作り込みました。二人はバスの後部座席で曲を書いていました。同行していた自称ソングライターのケニー・リンチは、後部座席まで移動して彼らが曲を書くのを手伝おうとしました。
30分程経つと、ケニーはバスの正面に移動して、叫びました。「これだよ、これ。あんな連中とこれ以上曲なんか書けるかい!彼らは、後ろであの曲がどんな風に聴こえるか知らなかったんだよ。手伝うなんてとてもムリだよ!」彼らが余りに凄すぎて、とても彼の手には負えなかったんですね(笑)    

3 タイトルをどうやって思いついたのか?

曲が出来上がってから彼らを悩ませたのは、「フロム・ミー・トゥ・ユー」と言う曲のタイトルをどうやって思いついたかが思い出せなかったことです。ジョンは、この曲のチャートがどうなっているか知りたくて、NMEレコード店を訪れましたが、その時にハッと思い当たったんです。バス車内のコピーに「フロム・ミー・トゥ・アス」とあったのをポールと話し合ってたことを思い出したんです。それを無意識に覚えてたんですね。
始め、彼らは、「サンキュー・ガール」という曲を3曲目のシングルとしてリリースするつもりでした。「サンキュー・ガール」」をA面、「フロム・ミー・トゥ・ユー」はB面にするつもりだったんです。ジョンとポールはヘレン・シャピロに、彼らが作った2曲のうちどちらを次のシングルにしたらいいか聴き比べて欲しいと頼みました。
それで、3人でピアノを囲み、彼らが演奏してシャピロが聴き比べました。そして、彼女は、「フロム・ミー・トゥ・ユー」の方を選びました。そこで、彼らは頭をさっさと切り替え、「フロム・ミー・トゥ・ユー」の方をA面にすることにしました。

4 ファンへの感謝を込めた

このタイトルを訳すと「僕から君へ」という意味で、恋人に対して「僕は君がして欲しいことは何でもしてあげるよ。」というようなことを歌った曲です。これは、恋人に対するメッセージの形を採っていますが、実は彼らを応援してくれているファン達に対する感謝を込めたものなんです。だから、彼らは最初、この曲を「フロム・アス・トゥー・ユー」という曲名にするつもりでいましたし、実際、「ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC」の放送ではそう歌詞を変えて歌いました。
彼らは、デビューして間もない頃、曲にちょっとした仕掛けをしていました。「Love Me Do 」「Please Please Me 」「From Me To You 」と続くんですが、これらの歌詞でI,me,youという一人称とか二人称と呼ばれる言葉のうち二つを使ってるんです。他の曲にも沢山出てきますが、これは少しでも曲に親しみを持ってもらって、ファンを増やそうという考えからきた工夫です。
「From Me To You 」を作ったことで、彼らの作詞作曲能力が確実に上がりました。彼らは、数多くのミュージシャンと出会い、彼らの曲作りを参考にしました。その後、彼らは、ロイ・オービソンのツアーに参加し、バスに同乗しました。そこで、彼らは、バスの後方でオービソンが「オー・プリティー・ウーマン」を作曲するところを見ました。
なんと、あの名曲を作曲する場面に彼らは立ち会っていたんです。大物同士が同じバスの中で競い合い、しかも歴史に残る名曲を作ってたと思うとちょっと感動しますね。ビートルズとオービソンはお互いに影響しあい、曲作りに生かしました。ポールは、これが本当のスタートだったと言っています。
 
 

5 ユニークなコード進行

この曲は、ミドル・エイトのコード進行がユニークな点に特徴があります。キーがCの場合、コードはCからAm、そしてFからG7へと進行するのが良くあるパターンの一つです。しかし、彼らはそうせずに、転調してGmからCへと進行させました。元々キーがCというメジャーで普通ならG7が来るはずなんですが、それがマイナーのGmだと少し暗い曲調になります。でも、むしろそれが却って新鮮な印象を与えます。
そして、C、F、D7、G、G+を経てCへ戻ってヤレヤレとなります。この斬新なコード進行で全く新たな世界が開いたのです。どんな曲でもそうですが、コード進行には一定のお約束のパターンがあって、普通はそれに従って曲を作ります。しかし、ビートルズは敢えてそのお約束を破って、斬新なコード進行をやった点に革新的なところがあります。既にデビュー3曲目にしてもうこれですから、革命家の片鱗を見せてますね。
これ以降、盛んにメジャーとマイナーを行ったり来たりする曲を作るようになります。ポールもこのコード進行を思いついたことが大きな転換点だったと言っています。
それとサビの最後に「フゥーーー!」とファルセットでコーラスが入ります。ライブだと頭を激しく振るところですね。これも彼らの十八番になりました。「トゥイスト・アンド・シャウト」やLP盤の「プリーズ・リーズ・ミー」では既にこれを使っていたのですが、シングルで使ったのはこの曲が初めてです。この次にリリースしてビートルズ初のミリオン・セラーとなった「シー・ ラヴズ ・ユー」でもこれを使っています。
彼らは、レコーディングの5日前にこの曲を完成させました。レコーディングの時に彼らは、イントロをギターソロだけでやろうと考えていました。しかし、プロデューサーのジョージ・マーティンは、ハーモニカとヴォーカルも入れた方がより効果的になると提案しました。ジョンは、「最初、この曲はちょっとブルースっぽ過ぎるので、レコーディングは保留してたんだ。でも、マーティンがハーモニカを使うってアイディアを出してきて、それで上手くいった。」と言っています。
   

6 再びチャート1位に

この曲は、1963年4月11日にリリースされました。 9日後にチャートインするとそれから21週間チャートに残り続けました。月4日にチャート1位になり、7週連続で1位に君臨し続けましたその前にUKシングルチャート1位だったのは、何とジェリー&ペースメーカーズの「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」です。そう、ビートルズがレコード・デビューの際にマーティンから勧められ、オリジナルで行きたいからと言って断ったあの曲です。自分達が断った曲を自分達の手で引きずり降ろしたわけです。 
この曲で全てのUKチャートで初めて1位になりました。そして、これ以降にリリースしたシングルは、11曲連続でチャート1位を獲得しました。いやはや、とてつもない記録です。

ポールはこう語っています。「クラブでの演奏を終えてベッドに潜り込んだ。朝になると牛乳配達員がこの曲を口笛を吹きながら牛乳を配達してたんだ。その時、これだ‼︎って思ったよ。僕たちの作った曲をとうとうファンでもない人までが歌うようになってくれたんだって。」 この曲の辺りから、彼らを熱狂的に追いかけるファン、いわゆる「ビートルマニア」が次第に増えていきます。

 (続く)