1 人気はイギリス全土に広がった
2 ビートルズが主役になった
ビートルズは、1963年〜1965年に6回のツアーで126回のナイト・コンサートをやりました。始めの頃はヘレン・シャピロなどの売れっ子の歌手が主役でしたが、そのうちビートルズが売れてくると、当然のようにプロモーターは彼らを主役に据えました。
もうビートルズ以外の歌手たちは、出演していたことすら忘れ去られてしまいました。ビートルズという新参者が彼らの名声を吹き飛ばしてしまったんです。彼らは絶滅を待つ恐竜のように、それを受け入れるか、悲しむか、辞めていくかしかありませんでした。
ツアーの間には色んな事件が起こりました。今程警備が厳重ではなかったため、ファンに楽器を盗まれたり、車を壊されたり、怪我をさせられたりしましたが、こんなことは日常茶飯事でした。
3 ギターを盗まれた!
(1)ジョンのお気に入りのギターだった
楽器を盗まれたといえば、ジョンがデビュー直前の1962年9月10日にジョージと一緒に、リヴァプールにあったラッシュワース楽器店で£161で購入したアコースティック・ギター、ギブソンJ-160Eが1963年12月にフィンスベリーパークのアストリア劇場で行ったクリスマスショーの時に盗まれてしまいました💦このギターは、記念すべきデビュ―シングル「Love Me Do」や大ヒットした「She Loves You」「I Want To Hold Your Hand」などビートルズ初期の数多くの名曲を作曲したり、演奏したりした貴重なものなんです。
ジョンは、売れない頃は安物のギターを使っていましたが、売れるようになってやっと高級なギターを買ったのに、それを1年ちょっとで盗まれてしまうなんて…。これは彼のお気に入りのギターの一つで、良く嘆いていたそうです。ビートルズのロード・マネージャーだったマル・エヴァンズが、うっかりバックステージに置いたままにしておいた間に盗まれたので、ジョンが「マル、早くオレのギターを取り戻して来いよ。」といつも嫌味を言ってたそうです。
(2)オークションに出品された
それが様々な人の手を渡り歩いて、2015年11月にアメリカのカリフォルニアでオークションに出品され、何と当時の日本円に換算すると約3億円!(◎_◎;)で落札されました。ビートルズの楽器について詳しいアンディ・バビュイックの鑑定の結果、ギターのシリアルナンバー、木目、サウンドホール近くのキズやピックガード等の写真やビデオから見た特徴から本物であることは間違いないと判断されました。
ジョンの使った楽器は他にもあるんですが、所有者が手放さないため、市場に出ることは滅多にないそうです。これを手に入れた人は、アメリカの骨董店で中古のギターとして購入したそうですが、その人も友人に指摘されて初めて気づいたそうです。世の中、お宝は探せばあるもんなんですね(^_^;)
4 キャヴァーン・クラブを卒業
(1)メジャーになった
国内ツアーが大成功を収め、ビートルズはスターの仲間入りを果たし、とうとう1963年8月3日、約2年半の間300回近く出演したキャヴァーン・クラブでの公演を終えることになりました。そうです、もはや彼らはリヴァプールの小さなクラブに収まるようなバンドではなく、メジャー・バンドになったのです。
彼らが公式にここを去ると宣言したわけではありませんが、スターの仲間入りを果たし、国内ツアーで大きな劇場を満杯にするようになった彼らが、二度とここへ戻ってくるはずがないということは、地元のファンも分かっていました。最終公演のチケットは7月21日の午後1時30分に発売され、30分で売り切れました。
「プリーズ・プリーズ・ミー」が大ヒットした時、地元の女性ファンが「私のビートルズが遠い所へ行っちゃう」と泣き叫んだそうです。そして、実際にその通りになりました。下積み時代から応援していたアーティストがメジャーになると、嬉しい反面、寂しくなるファン心理ですね。
(2)地元のファンにもみくちゃにされた
久々の里帰りが彼らを観られる最後の公演を迎えるという話になると、リヴァプールのファンはそれを察知し、クラブに押し寄せました。彼らはクラブを取り囲み、ビートルズに殺到し、ジョンが女の子たちの群れの中を通り抜けようとすると、彼のジャケットは袖から引きちぎられてしまったので、スタッフが必死でそれを取り返し、後で縫い付けました。
もはや押しも押されもせぬ大スターとなり、キャヴァーンで演奏していた頃のスタイルとは様変わりした彼らでしたが、キャヴァーンでは昔のままのビートルズを演じました。ジョンは、昔のように皮肉たっぷりに「オーケー、頭が空っぽの君たちのために演奏するよ。」と語って演奏を始めました。
5 他のクラブにも出演した
(1)グラフトン・ボールルームズ
実は、前日の8月2日に同じリヴァプールのクラブ、グラフトン・ボールルームズに彼らは出演したんです。そこはまだ彼らが「クオリーメン」と名乗っていた頃、初めて出演したクラブでした。既に1963年1月14日に£100で出演する契約を結んでいたのですが、その後、彼らが「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」と立て続けにヒットを飛ばしたため、ギャラが跳ね上がったのです。
そこに出演する前には、リヴァプールの他のクラブには出演しないという契約条項がありました。まさか彼らがこんなに売れるとはマネージャーのブライアンも予想していなかったので、本当は、この日に想い出のキャヴァーンにビートルズを出演させてリヴァプールを去りたかったのですが、グラフトンのオーナーに契約を盾に断られてしまったのです。ブライアンは怒りましたが、契約してしまったものはどうしようもありません。
(2)強引にキャヴァーンに出演
(3)もう二度と戻らない
6 新人アーティストの登竜門となった
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