★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その29) ビートルズを批判した人々(その1)

その20で触れたアメリカのジャーナリストのアレクサンダー・ケンドリックは、1963年にビートルズを批判しましたが、1964年に彼らがアメリカで大成功を収めてもなお、ビートルズを批判した大人たちは沢山いました。それは著名人であると一般市民であるとを問わずです。特に、年配の男性は拒絶反応を示す人が殆どでした。

 

多くの著名人がいましたが、その代表格としてノエル・カワードが挙げられます。彼は、イギリスの俳優、作家、脚本家、演出家、作詞家、作曲家であり、映画監督でもあるという多彩振りであり、1970年に「サー(イギリス国王から与えられる称号)」も与えられたほどの大物です。

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交友関係は広く、チャップリンマレーネ・ディートリッヒ、ジョージ王子らと親交がありました。イギリスの英雄ウィンストン・チャーチル首相とは、彼がイギリスの首相となる前から、しばしば写生に行く絵描き仲間でした。しかし、第2次世界大戦に対しては反戦的な態度を取り、芸術活動を続けていたので、戦争一色だった当時の国民からは批判されていたのです。もっとも、チャーチルは、「あんなヤツ、戦争に行ったって役には立たない。一人ぐらい愛だの恋だの言ってるヤツがいたっていい。」と彼を擁護しました。まあ、なかなかの硬骨漢ではありますね。

 

1965年4月にカワードは、歌手のアルマ・コーガンケンジントンの自宅で開いたパーティに招待されました。そこにはイギリスで活躍した50年代のスター達が招待されていました。彼女は、50年代後半にデビューして既に歌手として成功していて、ビートルズが1964年1月12日の「サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディウム」に出演した時に共演し、彼らと親しくなっていたのです。それがきっかけで、彼女は、ジョンとポールをパーティーに招待していました。その席で、カワードは、彼女からジョンとポールを紹介されました。

 

因みに、彼女は、ジョンの愛人だったと後に元妻のシンシアが打ち明けています(@_@)確たる証拠はなかったのですが、どう見ても愛人だろうとしか思えないような行動をとっていましたから。ただ、そのことでジョンを激しく問い詰めるようなことはしなかったようです。彼女は、ジョンより8歳も年上なんですけどねえ。オノ・ヨーコも年上だし(^_^;)

 

母親のジュリアが夫以外の男性と不倫して育児放棄したため、ミミ伯母さんに引き取られて育てられ、母親の愛情を受けられなかったという複雑な家庭環境で育ちましたから。こういう幼いころの体験はえてしてトラウマになり、その後の人生でマイナスに働きがちですが、ジョンの場合は、むしろそのことが却ってプラスに作用したのだと思います。その心にあいた穴を埋めるかのようにガムシャラに曲を作り、演奏しましたから。

 

ところで、リヴァプールの人って、ユーモアが好きらしいですね。コメディーなんかも人気があったようです。関西人(特に大阪人)と相通じるところがあるのかもしれません。コーガンは、とてもユーモアのセンスに溢れた人で、バラエティー番組にも良く出演していました。ポールは、彼女の自宅へ招待されると何だかリヴァプールの実家に帰ったような気がしたと語っています。

 

もうその頃には、ロンドンはビートルマニアで溢れかえっていましたから、どこへ行っても彼らは気が休まることがありませんでした。ですから、彼女の自宅は、彼らにとって絶好の「隠れ家」みたいなものだったんでしょうね。歌手のサミー・デイヴィス・ジュニア、俳優のケーリー・グラントなどの大物スターも良く出入りしていました。

 

また、ポールがあの名曲「イエスタデイ」を作った時に、どこかで聴いたことがある気がして心配になり、一番最初に彼女に聴かせたところ、こんな曲は聞いたことがないと言われ、盗作ではないと安心したという逸話もあります。彼女はベテラン歌手で沢山の曲を知ってましたから、彼女が知らないといえばそれは新曲だと判断できたわけです。

 

彼女はビートルズの曲をカヴァーし、そのレコーディングにまでジョンとポールは参加していました。それ程親しかった彼らですが、彼女は、1966年に34歳の若さで卵巣がんで亡くなってしまいます。その時、ジョンは相当落ち込んだそうです。その20年後にEMIは彼女のアルバムをリリースし、その解説書をポールが書きました。

 

カワードに話を戻しますが、デイリーメール紙のディヴィッド・ルーウィンの取材に対し、彼は、その時の印象をこう答えています。「彼らは感じがよくて気持ちの良い青年達だったよ。行動もきちんとしていたし、話し方も面白かった。」とここまででやめときゃ良かったんですが、それに続けて「もちろん、彼らに才能はない。騒音以外の何物でもない。私の時代は、ああいう若い連中は、見るのは良いとしても聴くものじゃないと教えられたものだし、そういう教えは悪いことではない。」と酷評しちゃったんです。ご丁寧にルーインは、このコメントをそっくりそのまま記事に載せてしまいました。

 

1965年6月27日にカワードは、ビートルズのコンサートをローマで初めて観ました。ビートルズは、デイリーメール紙の記事を読んで頭に来ていたので、このコンサートの後に彼が舞台裏へ挨拶に来た時も面会を拒絶しました。彼らは、そうすることで彼を見返してやったつもりだったのです。今度も断りに行く役目はブライアンでした(ホント、マネージャーって大変ですね)。

 

ブライアンは、カワードに飲み物を進め、おずおずと、彼がデイリーメールのインタビューに答えた記事に不快感を抱いているので、ビートルズは、彼に会いたくないと言っていますと伝えました。彼はそっくり返って言いました。「何と無礼な奴らだ。しかし、私も譲る気はない。」彼は、ブライアンの個人秘書に彼らを連れてくるよう求めました。そうして、やっと彼女がポールを連れてやってきました。そこで、カワードは、新聞記事などに一々気を取られるべきではないと丁寧に説明しました。

 

これで少し両者の険悪な関係が和んだようです。「その貧しい青年は、とても愛想がよかった。私は、彼の仲間達の成功を称えた。しかし、本当は、お前たちは、礼儀知らずのクソガキどもだと言いたかったんだがね。」それにしても、板挟みになったブライアンは気の毒でしたね(^_^;)片やチャーチルとの親交も深い超VIP、こっちは売れたとはいえ、まだまだ若造です。格の違いは明らかですから、頼むから挨拶ぐらいはしてくれよと祈るような気持だったでしょう。何とかポールが会ってくれたのでホッとしたでしょうね。

 

カワードは、コンサートの印象を日記にこう書き記しています。「彼らの生演奏を聴いたのはこれが初めてだった。つんざく騒音で耳がおかしくなり、彼らの演奏するメロディーも歌詞も全く聴こえなかった。あれは、コンサートの名を借りた巨大な乱痴気騒ぎだ。全て私にとって不快な現象であった。暴徒の狂乱が商業的に構成されていた。もっとも、どんな方法で構成されようが、私が吐き気を催すことに変わりはない。

最近の青年達の社会における大多数が、あの4人のおかしな恰好をした青年達によって狂るわされていることに気が付けば、思考が停止してしまう。我々が想像する以上に、我々は、彼らによって振り回され、破滅させられてしまう。

個人的には、キーキー金切り声を上げる若者達の何人かの頭をぶっ壊したいと思う。私は、公演中に熱狂して頭がおかしくなっている聴衆の方を、公演後にそうなっている聴衆より応援する。なぜなら、その方が公演を早く終わらせられるからだ。彼らの演奏を聴いて、彼らに才能があるかどうかなんて判断することは未だにできない。彼らはプロであり、ある実直な魅力があるが、幸いなことにそう長くは続かないだろう。」

 

ビートルズがブレイクした頃、彼はもう63歳でしたから、彼らを理解することは不可能だったでしょう。今の時代の日本でいえば、高齢者に「ゲスの極み乙女。」を理解しろというようなものですから。しかし、それならそれで少なくとも批判はすべきでなかったと思います。人の理解できる範囲は限られています。自分が理解できないものについて訳知り顔で批判することは、恥をかく結果を招くことになりかねません。実際、彼がそうでしたから。

 

また後で書きますが、実は、ビートルズは、このコンサートの前の1965年6月12日に、エリザベス女王からMBE勲章を授与されることが発表されていたんです。カワードは、このニュースを聞いて狼狽し、日記に「これは首相がやらかした大ヘマだ。女王陛下が同意されたとは信じられない。彼らには才能がないにもかかわらず、大蔵省に貢献したことに対して(つまり、多額の税金を納めたこと)、褒美をやろうと何らかの虚飾が盛り込まれたに違いない。」と書き記しています。  

 

しかし、そう言いながらわざわざローマまで挨拶しに出向いたところを見ると、流石に「この業界にいる以上、何時までも無視できないな」と思ったんでしょうね(笑)まあ、何かのついでだったのかもしれませんが。やはり、ビートルズがMBE勲章を授与されたのが大きかったと思います。

 

やがて、ビートルズは、アイドルからアーティストへ大変身を遂げるのですが、カワードがそれについてどう語ったのかは分かりません。

(参照文献)

THE BEATLES BIBLE, BBC Radio 4 Extra, MAIL ONLINE, Elizabeth the Queen

(続く)