★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(号外)スチュアート・ケンドールさんからメッセージを頂きました。

ジョンやポールと親交のあったスチュアート・ケンドールさんからメッセージを頂いたので、ご紹介します。

 

ジョンは、4人の中で最も繊細な人で、それを隠すために自分が嫌いな相手に対しては、ワザと攻撃的な態度を取っていたという話は以前にしました。しかし、親しい人であっても、彼の癇に障るようなことをうっかり言ってしまうと、突然キレて攻撃的になるという話も聞いているのですが、本当ですかと尋ねました。

 

するとケンドールさんはこう答えました。「そうです。彼は、頭の悪い人物、無神経な人物は大嫌いでした。そして、大抵の人は頭が悪く無神経な人物だったので、ジョンは、彼の人生の多くを掛けて攻撃的な姿勢を見せ、そういった人物を排除していたのです。」

 

そして、私は、「あなたは知性があったからジョンと友人になれたんですね。」と話すとケンドールさんは、続けて60年代に彼らと過ごした頃の想い出を語ってくれました。

 

「いいえ、そういうわけではありません。以前にもお話ししましたが、私は、ジョンとちょうど同じ問題について関心を抱いていました。私も彼と同じように芸術大学に通い、その頃、60代半ばのロンドンでは誰も知らなかった、神道大乗仏教のような革命的な、それまでにはなかった東洋の宗教に興味を抱いていただけではなく、エドアルド・パオロッツィ、アルベルト・ジャコッメッティやルネ・マグリットのようなアーティストにも興味を持っていました(ヨガは、当時まだ知られていませんでした!当時の人々は、ヨガや瞑想を行うことをとても気味悪がっていたと思います!)」

「また、アメリカ西海岸の文化が出現してきたのです。アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックのような作家、詩人達と、アラン・ワッツのような哲学者やティモシー・リアリーのような心理学者達はみんな、革命的なことを書いていました。ジョンと私は、ポールの自宅の庭でこれらの『禁じられた』話題について、2人の革命家を気取るどうしようもない男子学生として、マリファナを吸いながら議論していました。」

「そして、Sgt.Pepperがリリースされ、ドカンと大爆発したんです。そのアルバムによって世界は変わり、それまでは受れ入れられなかったものを突然皆が受け入れたいと思うようになり、流行とになって社会に浸透していきました。」

「私は、この頃しばしば思うんですが、人々が『従来のような』『まともな』生活にどのようにして戻ったか、誰も覚えていないでしょう。それから、たとえば、60年代の中頃のロンドン通りの古い写真を見れば、大部分の車が黒か、灰色であったことが分かります。そして、何百人ものビジネスマンがピンストライプのスーツと山高帽で通勤していたのも分かります。ビートルズがイギリス(そして、世界)を退屈から救ったんだと、私はしばしば思います!!」

 

これがアレン・ギンズバーグです。1965年に彼らは、ロンドンで初めて出会いました。妻のシンシアとボブ・ディランも同席していました。ギンズバーグはディランの歌詞を高く評価していました。初対面だったためか、その場の雰囲気は硬かったようです。そこで、ジョンが少し離れてソファーに座ったギンズバーグに対し、沈黙を破って「もう少し近づいたらどうだい、ダーリン?」と言うと、ギンズバーグは大笑いして場の雰囲気が一遍になごみました。ジョンとギンズバーグはその後親交を深めました。

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当時の欧米社会や若者が何を思い、どう行動したかが、ありありと分かる貴重なお話です。そして、多くの思想家や哲学者のような人々が、若者達の思想にかなり大きな影響を与えたことも分かりますね。同様に東洋思想に感化されたことは、ビートルズの影響が相当大きかったでしょう。

 

60年代に入ると、大人が作ったルールに若者達が疑問を抱き、反発するようになりました。そこへビートルズが颯爽と現れ、そういった息苦しい枠組みをぶち壊したのです。大人達が作ったルールなんかに従う必要はない。髪なんか切らなくていい、もっと言いたいことを言え、好きなように行動しろと。

 

彼らの登場がその引金となり、さらにSGT.PEPPRがその動きを加速させました。世界各地でデモや暴動が起き、大学は学生で占拠されました。無秩序で混乱した時代でした。最近、NHKの「映像の世紀」という番組でも、この頃の社会情勢が紹介されました。

 

ケンドールさんもマリファナを吸いながら、ジョンと熱く議論していたんですね。ケンドールさんも振り返ってみて、あの時代がどうやって落ち着きを取り戻したのか、誰も分からないとおっしゃっていますが、それが本当のところでしょう。

 

ただ、あの「混乱の時代」が全く無意味だったのか、というと決してそんなことは無いと思います。あの時代にアメリカでは公民権運動が盛んになり、黒人に対する人種差別が槍玉に上げられました。また、女性の社会的地位の向上にも目が向けられました。ドロ沼化したベトナム戦争も国民の批判を浴び、アメリカは撤退を余儀なくさせられました。

 

同様の動きは、世界中に拡がっていました。日本でも大学紛争や駅での暴動などがありましたね。日本は、高度成長の真っ只中だったんですが、若者達の不満はそれでは解消しませんでした。物質的には満たされていても、精神的には満たされていなかったんですね。それが一気に爆発したんです。

 

それが収束したのは、日本では「オイルショック」がキッカケではないかと思います。高度成長から一転して経済的に危機的な状況へ突き落とされ、騒いでいる場合じゃないと世間が静かになったのではないかと思います。それまでヘルメットを被り、顔をタオルで隠し、角棒を担いで火炎瓶や石を機動隊に投げていた学生達が、紺のスーツに身を包み、就職していきました。バンバンの「いちご白書をもう一度」で歌われた状況ですね。

 

ある意味、ビートルズが「パンドラの箱」を開けたともいえます。彼らが眠れる若者達を叩き起こしたのです。彼らが起こしたのは、一発の銃弾も飛び交わず、誰も死なない「REVOLUTION」だったのかもしれません。そして、若者達をそれまでの社会の呪縛から解き放ち、「FREE AS A BIRD」として飛び回れるようにしたのです。

 

先程取り上げた「映像の世紀」のワンシーンで、ベトナム戦争が終結した後、多くのアメリカの人々が、ホワイトハウスの前の道をプラカードを掲げてジョンの「GIVE PIECE A CHANCE」を合唱しながら行進してしていたのが印象的でした。

 

強引過ぎるかもしれませんが、ベトナム戦争や東西冷戦が終結したのも、元を辿ればビートルズが若者達を目覚めさせたことがキッカケだったのかもしれません。

(参照資料)The Allen Ginsberg Project, beatlephotoblog

(続く)