1 ジミー・ニコルのステージ
13日間、リンゴの代役を務めたジミー・ニコルについては、ビートルズ・ファンでさえ、その存在を知らない方が多いと思いますので、もう少しお話しさせていただきます。っていうか、こういうところでしか取り上げられることがないと思うので。彼は、一生懸命にメンバーに溶け込もうと努力し、うまく馴染むことができました。
オランダとデンマークのコンサートでは、ニコルは、1小節に4拍を入れることに拘り、神経質になっていました。それで、ジョンは、演奏中に時々彼を振り返り、2拍目と4拍目にギターをかき鳴らしてタイミングを合わせるように誘導したんです。観客の絶叫で声は全然聞こえませんでしたから。もっとも、ジョンは、リンゴの時もいつもそうやってズレないように合わせていました。
香港とオーストラリアのツアーで、3人はいつものように1曲の演奏が終わるたびにお辞儀をしていましたが、ニコルは、しばらくドラム・リフを続けて観客を余韻にひたらせました。リンゴはすぐに演奏を止めてお辞儀をしていたのに、ニコルは違うスタイルを取ったのです。彼は、できる限りリンゴのプレイに忠実に合わせていましたが、ここで初めてスタイルを変えたんです。彼なりにリンゴの単なるコピーではないことを主張したかったのかもしれません。
2 ニコル、ロンドンへ帰る
3 ニコルのその後
4 「Getting Better」のヒントになった
1967年にポールは、愛犬のマーサを連れて自宅の近くを散歩していました。マーサは、彼の周りを走り回っていました。その時、日が射してきてやっと春が訪れてきたことを感じた彼は、思わず「It's getting better」と呟きました。もちろん、彼は天候のことを言ったのですが、その時ニヤッと思い出し笑いをしたのです。ああ、そうだ、この言葉はニコルがツアーの時に何度も使ってたっけ。同じことばかり繰り返すもんだから、皆んなでからかったなあと。
彼は、このアイデアをタイトルに使うとジョンに告げ、スタジオに行く前に一緒に曲を作りました。それであの曲が出来上がったんです。
5 ニコル、ついに沈黙を破る
彼のインタビューを要約します。「多くの人々がビートルズについて伝記を書いているが、それらは殆ど彼らのダークな部分ばかりに焦点を当てている。私は、彼らの良いところしか覚えていない。だから、本に書いたところで大してインパクトは無いだろうと考えた。それでオファーには応じなかったんだ。」
「リンゴのドラミングは革新的だった。彼は、すべての野心的なミュージシャンのために、ドラムをとても興味深い楽器に変えたんだ。しかし、私がリンゴを好きだったのは、彼が名前で呼ばれた初めてのドラマーだったからだ。それまでドラマーが女の子達から絶叫され、彼女たちを泣かせ、ボディタッチされるなんてことはなかった。」
「音楽に関していうと、私は、彼のスネアのリム・ショットからのシェル・ショットが好きだった。『Ticket To Ride』では、彼は、ジョージのコードにアクセントをつけるためにそれを使っていたし、『She Loves You』では、ブリッジへリードするために使っていた。彼は、他のドラマーとは違ったんだ。それまでのドラマーは、ハイハットを優しく叩いていた。あんなに激しく叩いたのはリンゴが初めてだった。」
「ブライアンがメンバーの前で私のギャラの話を始めたので物凄く神経質になったよ。1ギグ辺り2500ポンド、それから1曲歌うごとに2500ポンド払うって言うんだ。それを聞いたジョンが『1万ポンド払ってやれよ』て言ったら、みんな笑ってた。私はその金額を聞いて、その夜は一睡もできなかった。」
「メンバーは素晴らしかったよ。皆んなで冗談を良く言い合ってた。リンゴですら、私を紹介された時は冗談を言ってくれたよ。ジョージだけは、ツアー中私と同じように神経質になっていたな。」
「私は、ビートルズに参加するまでは見向きもされなかった。ところが、参加した途端、一斉にファンからチヤホヤされたんだ。その感覚は言葉では表現できない。私は、多くの有名人がダメになっていった理由が分かった。」
「ステージは上手くいったよ。リンゴのファンがガッカリしたのは分かっていたけど、私は、彼らに溶け込めた。私は、リンゴの砕けた感じのプレイスタイルにできるだけ合わせるように演奏した。だから、ファンも受け入れてくれた。演奏が終わると、彼らと同じようにお辞儀をしたよ。」
「リンゴには戻って来て欲しくないと思ったよ。自分にはそれだけの能力があると思っていた。」
「信じられない位のギャラを貰ったよ。2年間は何もしないで食える位のね。40,000ポンドだ。」
「ポールはとても誠意がある人で、世界中を見たがっていた。彼は金髪の女性が好きだった。でも、群衆に囲まれるのは嫌だった。」「反対にジョンは、いつも人を楽しませていた。しかし、彼は、嫌いな人を遠ざけるために、ユーモアのセンスを使っていた。」「ジョージは、マスコミが書くほどシャイじゃなかったよ。」
「私は、神に感謝する。30万人の観衆が私達に泣き叫び、私の身体に触れてくれた。」
「私は、彼らに気に入られた。でも、リンゴが戻って来た途端、彼らは家族みたいに彼を迎えた。私は、一人の尊敬できるミュージシャンに過ぎなくなっていた。ジョンは、私に『君はリンゴより良い腕をしている。でも、船に乗り遅れたね。』と語った。私は、ロンドンへ帰る飛行機の中で、帰りたくない家に帰される里子みたいな気分だった。」
「私はファンから完全に忘れられた存在になった。私は、ただ一生懸命プレイしただけだ。そして、何も残らなかった。しかし、そのことは後悔していない。私は、ビートルズを踏み台にしようなどとは、これっぽっちも思わなかった。彼らは、私をとても良くしてくれたよ。」
束の間、ビートルになれたニコルならではの話ですね。それまで全く無名だった彼が、もう世界のトップアイドルになっていた彼らにいきなり加わり、ステージをちゃんとやり遂げたのは立派だったと思います。セッション・ドラマーだったアンディー・ホワイトもデビューの時にリンゴの代わりに演奏しましたが、その時とは天と地ほどの差がありましたから。
6 ビートルズの裏話が聞けた
それから、メンバーの性格についても触れています。ジョンが嫌いな人を遠ざけるためにワザと皮肉を言っていたというのは、このブログで時々ご紹介しているスチュアート・ケンドールさんのお話しとも符合します。そして、ジョージがそんなにシャイじゃなかったという話も新鮮ですね。そして、ビートルズがコンサートを中止した事情についても、第三者の視線から観察した彼の話は参考になります。
「13日間のビートル」ジミー・ニコルのお話はここまでです。ビートルズとの出会いがなければ、彼は一市民として普通の暮らしを続けていたでしょう。彼の人生は、幸せだったのでしょうか?それとも…。
(続く)