1 ビートルズのテレビ出演
ビートルズは、ラジオだけではなくテレビにも何度も出演しています。今回は、彼らのテレビ出演についてご紹介します。
記念すべき初出演は、1962年8月22日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブでした。テレビ局のスタジオじゃなかったんですね。もっとも、初出演といってもバンドとして本格的な演奏を披露したわけではなく、あくまでも「今話題の人」といった感じのニュースの扱いでした。126回目のランチタイム・ショーだったと記録にはありますけど、ホントに126回目かどうかは分かんないですよf^_^;
サラリーマンみたいにタイムカードを押してたわけじゃないですからね。もっとも、いつ頃、何回出演したかは当時の状況からほぼ分かっているので、それ程外してはいないはずですが、そもそもキャヴァーンに出演した総回数自体にも諸説ありますから。
撮影したテレビ局は、グラナダテレビというイギリス北部のローカル・テレビ局です。収録は午後からでしたが、ビートルズは、早朝からリハーサルを始めました。
そして、記念すべきなのは、この時に初めて正式にリンゴがビートルズのメンバーに加わったことです。下の写真を見てください。これはおそらくリンゴが正式なメンバーとして撮影された初めての写真と思われます。バスドラムのロゴが「ザ・ビートルズ」ではなく、まだ「リンゴ・スター」のままになっていますね。
(totaldrumsets)
ランチタイムのパフォーマンスは、だいたい午後12時から2時ごろまで開かれていました。彼らのパフォーマンスは、合計すると218回、そのうちイヴニングタイムは、93回とされています。
ファンからビートルズという成長著しいバンドがいるという手紙を受け取ったマンチェスターのグラナダテレビは、「Know The North」という番組の収録で彼らを取材することを決めました。彼らは、1962年7月26日に初めて、サウスポートのケンブリッジホールで彼らのパフォーマンスを見ました。撮影クルーは、照明などをチェックするために8月1日にキャヴァーンを訪れました。
8月22日、クルーは、リッチー・バレットの「Some Other Guy」を演奏するビートルズを撮影しました。それは良かったんですが、撮影は、ドラマーのピート・ベストがビートルズを解雇された僅か1週間後に行われるという、何とも最悪のタイミングでした。
彼がビートルズの中でも最も人気があったため、キャヴァーンはいつもと違う殺伐とした雰囲気に満ちていました。ファンにとってピートの解雇は寝耳に水の話で、不満を抱いたファンが大勢詰めかけていたのです。ファンは、「Pete for ever, Ringo never(ピートは永遠に リンゴは要らない)」「Pete is Best(ピートが最高)」とクラブの入口で口々に叫んでいました。
ジョージは、キャヴァーンに入る際にピートのファンだったブルーノという青年に殴られ、目の下に黒いあざを作ってしまいました。これは1962年9月4日にEMIスタジオで撮影された写真です。ああ、可哀想なジョージ!
この日、テレビ・クルーは、観客側からのシーンしか撮影しなかったようです。色々なアングルでビートルズや観客を撮影したシーンが登場しますが、あれはどうやら2回目に撮影したフィルムを編集したようです。
演奏が終わった直後に「We Want Pete!(ピートを出せ!)」と叫ぶ男性ファンの声が収録されています。ジョンは、「イエー!」と言い返していますが、一瞬、表情が強張ったように見えるのは錯覚でしょうか?その時の映像がこれです。
当時、グラナダ・テレビのプロデューサーだったジョニー・ハンプは、こう語っています。「ビートルズは、キャヴァーン・クラブで初めてテレビ・カメラの前で『Some Other Guy』を演奏した。リンゴは、ただそこにいただけだ。良く注意して聴くと、ファンが『ピートを出せ!』と叫んでいるのが聴こえると思う。」
3 放送はされなかった
ハンプは、さらに続けてこう語っています。「ビートルズとは別に、彼らはまた『ブリッグハウス・アンド・ラストリック・ブラスバンド』も撮影したんだが、どちらのフィルムも2つの理由で放送されなかった。1つはあまりにも画質が悪かったからだが、もっと重要な理由は、ブラスバンドが出演者に対し、労働組合に加入していることを要求していたからだ。組合に加入しているバンドは半数近くもあった。だから、結局すべてカットされてしまったんだ。ブライアン・エプスタインは、私に電話してきて何とか放映してもらえないかと頼んできた。」
「フィルムの画質なんか今となってはどうでもいい。もし、沈没しつつあるタイタニックのフィルムがあれば、それがどんな代物でもそれだけで歴史的価値がある。」
キャヴァーンは地下でしたから、照明が不十分だったんでしょうね。今ならカメラの性能も向上していますから、良い画質で撮影できたでしょう。それと音響も劣悪な環境でした。後年になってリマスターされたフィルムは、綺麗に修正されています。このシーンは、2016年に全世界で公開されたドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」でも使用されました。狭いクラブが観客で溢れ、彼らがビートルズのサウンドに魅了されている様子が伝わってきます。
それにしても、当時の組合の圧力ってかなりのもんだったんですねf^_^;バンドのメンバーは労働者階級が多かったわけですから、彼らの権利を守るために組合に加入していないバンドに圧力をかけたのでしょうが、ビートルズ及びファンにとっては不幸な出来事でした。ですから、正確にいうと収録はされたが、放送はされなかったということですね。
オリジナルの音声と映像は僅かにずれていますし、ジョンとポールがヴォーカルをやっているのに、ジョンのヴォーカルだけが聴き取れ、ポールのそれは聴き取れません。ビートルズの海賊版のコレクターは、「Some Other Guy」の2つの音声ヴァージョンが出回っているが、いずれもこの日に録音されたのか、それとも後日に音声がダビングされたのかについてずっと議論し続けています。
ところで、この演奏を聴いてどう感じますか?我々はその後のビートルズを知っていますから、フラットな立場で聴くことは困難ですが、やはり「大器の片鱗」を感じませんか?テクニック的にはまだまだでしょうが、何かとてつもないものを秘めていそうな。いや、やっぱりビートルズを知ってるからそう思うだけかな。
4 2回目の収録
グラナダ・テレビの音響技術者だったゴードン・J・バトラーは、1回目の収録があまりに不出来だったので、2回目の演奏の収録を行うため、1962年9月5日にキャヴァーンに戻り、この日は1本だけではなく3本のマイクを使用しました。そうすれば、クラブの音響に問題があっても、技術的にクリアできるだろうという判断からでした。ビートルズは、1962年9月5日に行われた2回目の収録で「Some Other Guy」を再度収録するために演奏しましたが、こちらの方が画質も音質も良かったようです。
グラナダテレビの撮影クルーは、その他に「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」も収録しました。この曲は、後にEMIでリリースされたビートルズのカヴァー曲の中でも、最も初期のものとして良く知られています。この動画の後半に登場します。
(参照文献)THE BEATLES BIBLE, WogBlog
(続く)