1 ロックンローラーに外見なんか関係ない!
バディー・ホリーは、身長こそ高かったものの、メガネをかけていて仕草もどことなくぎこちなく、少なくともエルヴィス・プレスリーのような危険な香りのするセックスアピールは持ち合わせていませんでした。
しかし、彼は、後輩のジョン・レノン、ロイ・オービソン、エルトン・ジョン、エルヴィス・コステロに代表される、メガネをかけたロッカーたちのために扉を開いた最初のオタクともいえる存在だったのです。
エルヴィスみたいにイケメンでなくても、メガネをかけていても、見かけがダサくてもロックンロールはできるんだということを彼が教えてくれたのです。
もっとも、ホリーも最初は見かけを気にしてコンタクトレンズを使いましたが、これが合わず断念。それでメガネを掛けずにステージに上がったら、演奏中にうっかりピックを落としてしまい、膝まずいて探し回るハメに(横山やすしか!(笑))。
それで、見てくれなんてもうどうでもいいやと、メガネを掛けてステージに立つことにしたのです。
メジャーデビューしてから1年半(!)というほんの短い期間しか活動しなかったにも関わらず、シンガーソングライターであり、少人数のバンド編成という画期的なスタイルを編み出し、ポピュラーミュージックの先駆者となって、現代にまで語り継がれています。
2 ホリーといえばフェンダー・ストラトキャスター
彼は、また、フェンダー・ストラトキャスターを愛用した最初の著名なロックンローラーでした。
このギターは、どちらかといえば、ロックンロールというよりは、カントリーミュージックに向いたギターですが、元々彼はカントリーから出発したので、ギターもそのままこれを使用することになったのです。
驚かれるかもしれませんが、ホリーがエレキギターを持ってステージに上がるまでは、ロックンローラーといえどもアコースティックギターを持つのがまだ一般的だったのです。プレスリーがその代表です。しかし、彼は、ギターを弾くより持っていることの方が多かったのです。
しかし、ホリーがステージでカッコよくエレキギターをかき鳴らす姿とそのサウンドは、たちまち若者たちを虜にしました。
彼が自分で歌いながらギターを弾くというスタイルを採用したことにより、必然的に彼のギターにも注目が集まることになりました。つまり、彼は、アーティストがどんな楽器を使用するかについて、世間の関心を最初に集めたアーティストだったといえます。
その後ビートルズでは、ジョンがリッケンバッカー、ジョージがグレッチ、ポールがヘフナー、リンゴがラディックとアーティストとその愛用する楽器が一体のものとして、ファンの間で強く結びつけられることになりました。そして、彼らに憧れる若者たちは、こぞって同じ楽器を手に入れようとしたのです。
ホリーは、兄のラリーからお金を借り、故郷であるテキサス州ラボックのアデア・ミュージックという楽器店で、1955年に最初のストラトキャスターを手に入れました。当時、このギターは、カントリーミュージシャンに人気がありました。ですから、カントリーミュージックを志向していた彼が、これを手に入れたことは自然の成り行きだったといえます。
ホリーが愛用したストラトキャスターは、厚い黒縁のメガネとともに、彼のイメージを強く印象付けることになりました。特に、当時、イギリス国内ではまだ殆ど出回っていなかったので、「あのギターはどこのどんな製品なんだ?」と多くの若者たちが関心を抱いたのです。
彼の活動期間は短かいものでしたが、フェンダー・ストラスキャスターを弾いた最初のビッグ・アーティストとして、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックといった偉大な後輩のギタリストたちに多大な影響を与えました。現代においても、彼の影響は残っていてギターの基礎を形成しているといえるでしょう。
3 ホリーのプレイ・スタイル
(1)シンプルだが独創的
ホリーは、誰もが知っている基本の3コードを使い、美しいメロディアスなフィルやソロを弾きました。外見は、大人しく真面目な青年という感じでしたが、ギターの弾き方は結構ワイルドでした。どちらかというと、ジョンやボ・ディドリーに近いかもしれません。
また、曲に合わせてトグルスイッチでピックアップを切り替え、レコードをプレイヤーにかけた途端、スピーカーから飛び出すような、エキサイティングでダイナミックなサウンドを作り出したのです。
それまでのビッグバンドでは、サックスなどのホーンセクションが大音量を出していたので、ギターはソロ以外ではそれほど目立ちませんでした。しかし、ホリーは、ホーンセクションを外してギターを前面に出したのです。
彼のバンドであるクリケッツは、リズムを巧みに融合させた独特のギタースタイルを他のミュージシャンに先駆けて開発し、時にはヒカップ唱法のヴォーカル・スタイルを取り入れるなど、多くの若者たちに新鮮な驚きを与えたのです。
(2)弦をかき鳴らすワイルドなスタイル
ホリーのギタープレイの特徴は、弦激しくをかき鳴らすことでした。彼は、ストロークを多用し、初期のクリケッツのレコーディングで特徴的な激しいドライヴ感のあるリズムを出すために、手首を固定したままにしました。
彼は、ギタリストとしても独創的であり、チャック・ベリーが開発したリードギターのスタイルを、「ペギー・スー」のようなリズム感のあるコードベースのソロに取り入れたのです。
彼は、ストラトキャスターをMagnatone Custom 280に接続し、その後でFender Bassmanを使用して、ギターの音量を下げてシンプルにしました。しかし、そんな操作をしても、彼のストラトキャスターは、ガッツリとしたリズムを刻み、殆どの場合、音量はそれ程下がりませんでした。
サーチャーズのベーシストだったフランク・アレンは、こう語っています。「スターになるためには才能が必要だが、最も重要な要素は個性なんだ。バディは、見た目もサウンドも独特で個性的だった。」「バディは、信じられない程音楽に関する専門知識を持っていて、ギターで『ザットル・ビー・ザ・デイ』のオープニングの演奏を完成させた。そいつはまるで銃で武装した59年型のキャデラックみたいだった。」「彼は、ヒョロっとしていてメガネをかけた冴えない外見だったが、ギターの腕は、信じられない程スゴかった。オタクが復讐に成功したってとこだな。彼のレコードは、とんでもなく素晴らしかった。彼がやったことは正しかったんだ。」
ホリーは、もちろん、本国のアメリカでメジャーなスターでしたが、イギリスでも幅広く受け入れられたのです。既にスーパースターとなっていたプレスリーでさえ、ホリー程幅広く受け入れられていたわけではありませんでした。
マジメそうな外見で「不良」のイメージが無く、カントリーに近い音楽性などの要素のため、大人の反発がプレスリー程無かったからかもしれません。
(3)多くのアーティストがカヴァーした
ビートルズがカヴァーしたのはもちろん、ローリング・ストーンズが最初にチャートのトップ10入りを果たしたのも、ホリーの 「ノット・フェイド・アウェイ」のカヴァーでした。
こちらがホリーのオリジナルです。
シンガーソングライターのジョン・メレンキャンプは、ローリングストーン誌のインタヴューにこう応えています。「ビートルズの最初の3つのアルバムを聴いてみるといい。彼らのヴォーカルを消したら、そいつはバディ・ホリーそのものさ。」
実際、ビートルズは、他のアーティストのオリジナルを凌駕してしまう、とてつもないアレンジ能力を誇っていましたが、ホリーの曲に限っては、数多くカヴァーしながら、比較的オリジナルに忠実に演奏しています。
あの「大物食い」のビートルズですら、殆どアレンジできなかった程楽曲の完成度が高かったともいえますし、それがビートルズのスタイルにピッタリとマッチしていたともいえます。
(4)60年代を先取りしていた
ホリー自身は、50年代後半に活躍したアーティストでした。しかし、彼の業績は、まるで60年代のアーティストだったかのように見えます。
ギターのプレイスタイル、コンポーザーとしての能力、そしてレコーディング技術に対して抱いた好奇心は、彼が初期のロックンロールを開発した誰よりも、10年も先を行っていた感があります。
レコーディング技術に関するお話は、次に譲ります。
(参照文献)Fender, RollingStone, Qizelet
(続く)
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