1 ドラミングについて
(1)リンゴの高度なテクニック
この曲をドラマーのミルト・ターナーは、ライド・シンバルのベル(中心の盛り上がった部分。カップともいう。)で、ルンバのリズムを軽快ながらソウルフルでグルーヴィーに刻んでいます。
このリズムが最高にカッコ良いんですが、リズムを正確に刻むだけでも大変な上に、ソウルフルでグルーヴィーなフィーリングを出さないといけないので相当難しいです💦
つまり、リンゴのドラム・テクニックが無ければ、「アイ・フィール・ファイン」も成立しなかったんですね。
(2)ホワッド・アイ・セイのドラム・カヴァー
(3)アイ・フィール・ファインのドラム・カヴァー
こちらが、アイ・フィール・ファインのドラム・カヴァーです。間奏の間に少しだけ休憩できますが、それ以外は、ずっと右手でシンバルを小刻みに叩いてリズムを刻み続けないといけないので結構キツいですね(^_^;)
2 レコーディング、ライヴ・パフォーマンス
(1)レコーディング
(1)初のヴォーカルのみのレコーディング
この曲は、1964年10月18日に9時間かけて他の曲と一緒にレコーディングされました。全部で9テイクでしたが、最初の8テイクは、演奏だけで最後の1テイクはヴォーカルのみでした。
ビートルズが、レコーディングでヴォーカルのみをテイクしたのはこの曲が初めてです。というのも、ジョンが歌うにはキーが高過ぎたことと、この独特なリフを弾きながら同時にヴォーカルをやるのが難しかったからです。
これがテイク1です。確かにキーが高くてジョンがちょっと苦しそうですね(^_^;)
もっとも、「この位なら歌いながら演奏するのは難しくない。だから、ビートルズの演奏テクニックは大したことなかったんだ。」とは、くれぐれも誤解しないで頂きたいんです。
だって、世界で初めて彼らがこの曲を制作していた過程で、試行錯誤を繰り返していた段階ですからね。その後、世界中のミュージシャンがカヴァーしましたが、それは、オリジナルというお手本があったからこそできたので、そりゃ、後から追いかける方がずっと楽ですよ。
(2)テイクを重ねる
その後、テイクを重ねてもギターソロのセクションがなかなか上手くいかず、ジョージは、ジョンと一緒にリフを練習しました。
ようやくテイク5で手応えがありましたが、それでもまだオーバーダブするには不満足でした。テイク6を始める前にジョージが、ギターソロを練習しているのが聴き取れます。これがテイク6ですが、ヴォーカルが入っていません。
このテイクは、ジョンのパフォーマンスに関する第2の問題、つまり、ヴォーカルと演奏を同時に行うことが難しいという問題を解決しました。
それは、ヴォーカルを除いて、リズムトラックだけをレコーディングし、その後オーバーダブしたのです。このテイクは完了したのですが、それでもまだ満足のいくものではありませんでした。
(3)やっとレコーディングが終了
ようやくテイク9で、フィードバックも含めた最高のリズムトラックをレコーディングできました。ジョンは、ヴォーカルをレコーディングし、それをダブルトラックしました。そこへジョージのギターソロ、ポールとジョージのハーモニーをオーバーダブして、ビートルズの仕事はやっと終了しました。
(4)度々弦を切ってしまったジョン
ジェフ・エメリックは、この時のレコーディングについて詳細に証言しています。
「ジョンは、ジョージよりラフで乱暴なピッキングをする傾向があったから、ギターを弾いている最中に弦を切ってしまうことが良くあった。私は、何度かそんな場面を見た記憶がある。」
演奏中にギターの弦を切ってしまうということは珍しいことではありませんが、しょっちゅうだったということは、よほどジョンのピッキングが乱暴だったんでしょうね(^_^;)
「『アイ・フィール・ファイン』のレコーディングは、かなりアグレッシブで曲もアップテンポだったが、弦を切ってしまうとジョンは、いつも「マル!マル!」とマル(エヴァンス、ビートルズのローディー)を呼んだものだ。この日は彼がいなかったので、ニール(アスピノール、同じくローディー)が代わりを務め、ギターを持ち替えてヴォーカルをやった。ニールは、仲間のローディーよりかなり小柄だったので、彼が大きな機材を運んでいるとよくみんなにからかわれていた。この日は、ジョンがニールを上から下までゆっくり見て『マル、洗濯して縮んじまったのかい?』なんてコメディーのセリフみたいなジョークを言っていたよ。」
左から3人目がニール、その右隣がマルです。ニールは、身長も低いし痩せてますね。これで重い機材を運ぶのは、重労働だったでしょう(^_^;)
(2)スタッフによる編集作業
(1)モノミックスの制作
ビートルズのレコーディングが終わって3日後の1964年10月21日、ジョージ・マーティンとエンジニアのノーマン・スミス、ロン・ペンダーがEMIスタジオの65号室に入り、4種類のモノミックスを制作しました。
最初の2つは未公表のままでしたが、3つ目は、イギリス国内向けのリリースとされ、4つ目はアメリカ向けとされました。イギリスのミックスにはリバーブが掛けられていましたが、アメリカのミックスにはもう少しリバーブが追加されました。どうやら、キャピトルレコードからの要請に応えたようです。キャピトルがさらにリバーブを追加したと記録されているので、それでもまだ不十分だと判断したようですね。
この頃は、レコーディングや編集、そしてリリースもラフなやり方だったので、色々なヴァージョンが世界各地で出回ることになりました。そこがまたファンにとってはたまらないところですね。それぞれの微妙なサウンドの違いを楽しむことができますから 。古き良き時代でしたね。
同じEMIのスタッフが、翌日の10月22日に第1スタジオのコントロールルームに入って5つ目のモノミックスを作成しましたが、これは使用されませんでした。
(2)ステレオミックスの制作
11月4日にマーティン、スミス、そして、エンジニアのマイク・スミスが、EMI第2スタジオのコントロールルームでステレオミックスを作りました。このミックスには、曲が始まる直前にちょっとした囁きと雑音が入っていました。
殆どのリリースではこれを編集でカットしていますが、1973年にリリースされたイギリスのコンピレーションアルバム「The Beatles / 1962-1966」(別名「The Red Album」いわゆる「赤盤」)には収録されています。面白いことにアメリカでリリースされたものは、相変わらずリバーブが深くかけられています。
(3)ライヴ・パフォーマンス
ビートルズは、1964年11月17日にBBCラジオ放送用に、ロンドンのプレイハウスシアターでの演奏をテープに録音しました。それは、11月26日の「トップギア」という番組で放送され、再び12月26日のサタデークラブで放送されました。結局、それは「1994's Live At The BBC」としてリリースされました。
ノリの良い曲だからでしょうか、1964年から1966年までビートルズのライヴ・レパートリーとして盛んに演奏され、最初で最後となった日本武道館の公演でも演奏しましたね。1966年8月29日、サンフランシスコのキャンドルスティックパークにおける彼らの最後のツアーでも演奏されました。
(続く)