★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(185)コレクターズ・アイテムからビートルズの足跡をたどる(その1)

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1 リンゴのドラムスティック

さて、再びビートルズが残した様々なアイテムから、彼らの足跡を辿ってみたいと思います。これ途中までやっていたんですが、他の話題が間に入ってしまったので中断してしまっていました(^_^;)

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これは、リンゴが持っていたドラムスティックなのですが、残念ながら実際に使用されたものではなく、あくまで予備のもので使われることはありませんでした。もし、彼が実際にこれを使っていたとしたら、価値が全然違っていたでしょう。

これは、1963年8月26日から31日までの間に、リヴァプールの北に位置する海辺の街、サウスポートのオデオンシネマで、6夜連続で行われたコンサートのために用意された予備のスティックです。

このスティックは、ビートルズのイギリス公式ファンクラブの幹事だったフリーダ・ケリーにプレゼントされました。サウスポート公演のプログラムとケリーの手紙も存在しています。

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手紙にはこう書いてあります。「リンゴのドラムスティックは、サウスポートのコンサートの後、私に与えられたものです。Nems Enterprises(リヴァプールのムーアフィールズにあった頃)のスタッフがビートルズを午後と夜に観に行きました。コンサートの後でリンゴは、ドラムスティックを私にくれました。私が彼に「ボーイズ」を歌ってと観客の中から叫んだので、彼は笑いながら私が「一人のそして唯一のファン」に違いないと思ったからでしょう。 フリーダ・ケリー 公設秘書」

 

彼女は、れっきとしたビートルズのスタッフなのに、コンサートの時に興奮して一ファンとして叫んじゃったんですね(笑)そうそう、彼女についてもいずれ詳しくお話しする時があると思います。彼女は、ビートルズのスタッフでしたが、同時に熱烈なファンでもあったのです。そして、FAB4からとても愛されていました。

2 オークションにかけられたスティック

では、実際にリンゴが使用したスティックには、いくら位の値段がつけられたのでしょうか?2015年12月3日から5日にかけて開催されたジュリアンズ・オークションの結果によると、1250ドルから1920ドルくらいの値段で落札されています。日本円にすると139,000円から214,000円というところでしょうか?

これは、彼がハンマースミス・オデオンで開催された、1965年のクリスマス・ショーに使用したと考えられているスティックです。このヴィンテージもののドラムスティックは、ティアドロップのチップ(先端)で木製です。 

 

このスティックは、1965年4月、ファンクラブのメンバーを対象にした、「ビートルズ・ブック(ビートルズ・マンスリーという名前でも知られています)の「Fifth Beatles Book Competition賞」を受賞したジョイスケネディという女性に授与されました。

このコンテストは、ポールの写真にぴったりのタイトルをつけることでした。ケネディは、スティックに加えて10ポンド、そして、ビートルズのギターの弦を獲得しました。彼女がつけたタイトルは、「可哀想なレノン!私は、彼をよく知っていた」というものでした。

残念ながら、その写真がどんなものであったのかはわかりません(^_^;)タイトルから想像すると、よほどユーモラスな写真だったんでしょうね(笑)

このスティックが本物であるという証拠として、以下のものが添えられています。1965年2月からビートルズ・ブック誌のコンテストを発表する広告。コンテストの優勝者としてケネディを発表した1965年4月のビートルズブック誌。ケネディーからの信頼のおける手紙。ビートルズの1965年1月5日のオデオン・ハンマースミスでのクリスマスショーのチケットです。

3 なぜスティックに高い値段がつくのか?

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ビートルズに関するアイテムは、専門のオークションがある位、世界中で人気があり数多くのアイテムが出品されます。レア・アイテムにはお金持ちの人たちが、金に糸目をつけずに入札するものですから、どんどん値段が吊り上がっています。

ギターやベースなどの楽器本体はもちろん、ドラムスティックなどの消耗品にも結構な値段がつきます。

というのは、ビートルズの初期の頃、彼らのような人気のあるバンドのすぐ近くにファンがいても、ドラムスティックを受け取ることはほとんどなかったからです。当時のライヴでは、今のようにドラマーが演奏を終えた後に、ドラムスティックを観客に向かって投げるということはなかったんです。

それに消耗品ですから、使えなくなったら捨ててしまいます。幸運に恵まれた少数の人たちだけがそれをプレゼントされました。もし、それにリンゴのサインが入っていればまさにお宝です。

このため、実際に演奏に使用されたドラムスティックはとても数が少なく、特に初期の頃のものは、ビートルズのコレクターにとっては垂涎の的(すいぜんのまと)なんです。

4 ブライアン・エプスタインの手紙

(1)プロモーターへの手紙

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これは、マネージャーのブライアンエプスタインが出した手紙です。1962年11月10日付けになっています。

「拝啓 エジリー様

早速お手紙を頂戴し、ありがとうございます。ビートルズとともにドイツへツアーに行ってていたため、すぐにお返事ができず申し訳ございません。

彼らのギャラについてですが、1時間あたり40から50ポンド位と申し上げておきます(お望みであれば、休憩を挟んで30分ずつに分けても構いません)。申し訳ございませんが、あなたがご希望される日程には添いかねると思います。近いうちにグループについての詳細をご連絡申し上げます。

敬具 ブライアン・エプスタイン」

 

手紙の送付先は、ジョン・エジリーではないかと思われます。彼は、イギリス北西部で1960年代にエジリー・エンターテイメンツの代表者を務め、音楽やダンスなどのプロモーションをしていました。

彼は、1963年11月にローリング・ストーンズのライヴのプロモーションを行っています。もっとも、この頃、すでにストーンズは「I Wanna Be Your Man」「Come On」でブレイクしていたため、ギャラも210ポンドに跳ね上がっていました。

www.youtube.com

I Wanna Be Your Manは、レノン=マッカートニーのオリジナルでリンゴの持ち歌ですが、ストーンズ側からの依頼に応じて彼らが気前良くプレゼントしたんです。この当時はのどかな時代でしたから、こんなこともあったんですね(笑)

文面からするとエジリーは、ブライアンに対して、ビートルズの出演のオファーをかけていたんでしょうね。そして、あらかじめ大体の日程をブライアンに示していたのではないかと考えられますが、どうやらその日程ではスケジュールを抑えられなかったようです。

ご存知の通りビートルズは、この年の10月5日にシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でメジャー・デビューを果たしていました。この頃、彼らは、すでにほぼ毎日のようにイギリスのどこかでライヴをやっていたので、スケジュールを抑えるのが難しかったのでしょう。

(2)ビートルズのギャラ

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面白いのは、彼らのギャラについて具体的な金額が書かれていることです。「1時間あたり40から50ポンド位」と書いていますね。現代の相場で換算すると約12万円から15万円というところでしょうか?

彼らがキャヴァーンクラブで初めてデビューした時のギャラは5ポンドでしたからね。その頃に比べると、10倍は上がったことになります。それでも、このギャラでビートルズのライヴを開催できるなら安いもんですよね(笑)もちろん、ここからさらにうなぎ昇りに上がっていくことになりました。

しかも、この頃ならまだ1時間のライヴにも応じていたことも分かります。やがて彼らがブレイクすると、ブライアンは、戦略としてライヴを30分で切り上げることにしました。短時間でライヴが終わってしまうため、ファンはまた足を運びたくなりますし、ライヴを観られないファンがレコードを買ったため、売り上げもどんどん伸びることになりました。

5 手書きのセットリスト

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これは、ビートルズが手書きしたセットリストです。おそらく、ライヴの際に使用したものと思われます。いつのものなのかはっきりしないのですが、「Do You Want To Know A Secret」や「Thank You Girl」が書かれてあることからすると、1963年代ではないかと推測されます。

よく分からないのが2曲目の「Rhythm & Blues」です(^_^;)ご承知の通り、「リズム・アンド・ブルース」というのは曲名ではなく音楽のジャンルの一つです。なぜ、これがセットリストに上がっているのか分かりません。

書いた時点では曲名が決まっていなくて、即興で演奏するつもりだったんでしょうか?毎日朝から晩までライヴをやっていた彼らですから、そんなことぐらいは朝飯前だったとは思いますが。

ところで、これを書いたのは誰でしょう?筆跡からするとジョンですかね?

 

(参照文献)the saleroom, Julien's Auctions

(続く)

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