★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(195)異次元の作品「ホワイト・アルバム」の不思議な世界(その1)

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1 ホワイト・アルバムとは?

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(1)「ホワイト・アルバム」リリース50周年

ビートルズのアルバムThe BEATLESが1968年にリリースされ、50年が経ちました。2018年がこのアルバムのリリース50周年でもあり、それを記念してリマスター版がリリースされたことから、このアルバムについてお話しすることにします。モタモタしているとタイミングを失ってしまうので(^_^;) 

昨年のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の50周年記念のリマスター盤は、全世界でチャート1位を獲得しました。おそらく、この「The BEATLES」も同様にチャート1位を獲得するでしょう。50年前のアルバムがリマスターされるだけでなく、チャート1位まで獲得してしまうなんて、およそ他のアーティストでは考えられません。

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最近の記事では「アーリー・ビートルズ」つまり、デビュー前のビートルズについてかなり詳しくご紹介していたのですが、一気に後期のビートルズに話が飛びます。本当は、時代を追って順に解説しようと思っていたのですが、それをやっているとなかなか話が前に進まないので、結果的に時間的に前後してしまうことになりました。

何分ブログで思いつくままに書いていますので、脈絡のないところはご容赦くださいm(__)m

 

(2)正式な名称ではない

 The Beatles The White Album

ところで、「え?The BEATLES?ホワイト・アルバムについて書くんじゃないの?」と疑問に思った方もいるかもしれませんね。実は、「ホワイト・アルバム」というのはあくまで「通称」で、正式なタイトルは「The BEATLESなんです。しかし、これだとアルバムを指しているのか、バンドを指しているのかハッキリしませんね。

このアルバム・ジャケットは、上に掲載している通り、真っ白でThe BEATLESとしか表記されていません。それで、このアルバムのことをホワイト・アルバムと呼ぶのが一般的になっているんです。

個々の楽曲についての詳しい解説は、別の記事に譲ることとして、今回は、アルバム全体の特徴についてお話しします。

2 異次元の不思議なアルバム

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このアルバムは、1967年にリリースされた「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、1969年にリリースされた「アビイ・ロード」の中間の時期にリリースされました。

サージェントが「ポピュラー音楽界に革命を起こした」、アビイ・ロードが「ビートルズのアルバム史上最高傑作」との呼び声が高いのに比べ、このアルバムには特にそうした「代名詞」的なものはありません。

では、駄作かというとそんなことはありません。これがお気に入りのファンも沢山いる不思議な作品です。ある意味、ビートルズがやりたい放題やったアルバムともいえます。

そのため、アルバムとしての統一感はありませんし、未完成作品を寄せ集めた感じもあります。それが逆に「素のビートルズ」をそのまま表現したような味わいがあります。とにかく様々なジャンルの楽曲がこれでもかと詰め込まれているので、とても同じバンドが制作した一つのアルバムとは思えません。他のアルバムとは異次元の世界に存在するともいえます。

アルバムの収録曲の一つに「ヘルター・スケルター」があります、これは、名詞としては遊園地にあるらせん状の滑り台のことを指しますが、形容詞では無計画ででたらめな状態を表します。「ホワイト・アルバム」は、正に「ヘルター・スケルターなアルバム」といえるでしょう。

 

3 すべては「イーシャー・デモ」から始まった

(1)ビートルズ、イーシャーに集合

Kinfauns was a bungalow-style house, located at 16 Claremont Drive, Esher, Surrey, England, KT10 9LU, on the Claremont Estate. From 1964 to 1970 it was home of George Harrison

1968年5月末、ビートルズは、ロンドン郊外のイーシャーにあるジョージ・ハリスンが所有していたバンガローであるキンファウンズに集合しました。「バンガロー」というのは、キャンプをする時に寝泊まりする小屋ですね。グレードがアップするにつれてロッジ、コテージと名前を変えていきます。

インド訪問で様々なインスピレーションを得たビートルズは、イギリスに帰国し、アビイロード・スタジオで次のアルバム制作を開始しようと準備していました。彼らは、ラフに作ったいくつかのアコースティックな曲を、ジョージが所有していたAmpexの4トラックのオープンリール・テープレコーダーでレコーディングしました(写真は単に同じメーカーのレコーダーというだけで、実際に使用されたレコーダーではありません)。

その結果できあがったのは、彼らの作品の中でも最も奇妙で何ともいえない味わいのある、未公開の「イーシャー・デモ」です。数ある彼らの作品の中でも、このようなスタイルのものは見当たりません。

27曲の大部分は、ホワイト・アルバムに収録されましたが、テープの中に存在した緊張感と不安感まではレコーディングされていません。イーシャーでビートルズは、楽しくレコーディングしていました。この後のホワイトアルバムの制作の過程で、お互いを傷つけ合うことになるなどとは思ってもみませんでした。

イーシャーで彼らは、楽しく親密で暖かさのあるひとときを過ごしていたのです。殆ど最後の瞬間まで、彼らは、まだビートルズであることを愛していたことが聴き取れます。

イーシャー・デモは、ビートルズの最も不思議な作品の一つとなりました。正確な日時は不明ですが、5月末にジョージの自宅にメンバーが集合しました。彼らは、これから制作する新しい作品に大変な自信を持っていました。

(2)インドでの神秘体験

Henry Grossman spent four years photographing The Beatles as they did everything from perform in concerts and pose for magazine covers to party late into the night and pour milk with bedhead in the morning. His never-before-seen photographs provide an intimate look at the pop culture icons.

インドのリシケシでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーから超越瞑想を指南されたビートルズは、電気を使用する楽器がない場所でこれらの曲を制作しました。この時、彼らは、薬物を使用していなかったのですが、そのことが却って何年にも亘り、演奏され続ける作品ができあがったことに貢献したのかもしれません。

ジョン・レノンは、後年こう語っています。「我々は、山腹に座って質素な菜食主義の食べ物を食べ、これらすべての曲を書いた。インドでたくさんの曲を書いたんだ。」それまで常用していた薬物を絶ち、修験者のような生活をすることでインスピレーションが溢れ出るように湧いてきたのでしょう。彼らは、インスピレーションの湧くままに、曲を次から次へと書きまくりました。

最も破壊的なビートルであったジョンにとって、リシケシでの3か月間の滞在は、彼の人生の上で最も燃え上がった時期でした。ホワイト・アルバムが、ある意味、最も彼を集約したような作品となった背景にはそういった事情があったのです(その意味では、4年前のアルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」が最もジョンらしい作品でした。)。

 

(3)デモ・テープを制作

インドから帰国してイギリスに集合したビートルズは、アビイロード・スタジオへ行く前にそれぞれが自宅でデモ・テープを制作しました。それらは、彼らが今まで試みたことのないような革新的で、二度と再現することはできないと思われるようなものでした。

彼らは、ジョージのバンガローに集合し、ジョンは、ポールの7曲、ジョージの5曲を上回る15曲を披露しました。テープでは、彼らがリラックスした雰囲気の中で、ちょっと風変わりなリビングルームに座り、ギターやタンバリンやシェイカーを叩いたり、線香を炊いたりしていたことが聞こえてきます。彼らは、革製のリクライニング・クッションに座っていました。ジョージとパティは、椅子のような正方形の家具を置いていなかったのです。

これは「Sour Milk Sea」というジョージの曲ですが、アルバムには収録されませんでした。

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イーシャー・デモは正に宝の山といえます。アルバムに収録されない可能性のある曲は、新鮮なまるでキャンプファイヤーのような感覚で、アコースティックギターと手拍子だけで演奏されています。

(4)レコーディング・セッションを開始

ジョンの未完成な2つの曲「Polythene Pam」「Mean Mr. Mustard」は、後のアルバム「アビイ・ロード」に収録されました。他の曲は、メンバーのソロ・レコードの曲となりました。ポールの「Junk」、ジョージの「Not Guilty」「Circles」ジョンの「Child of Nature」(これは後に「Jealous Guy」と改められました。)。

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彼らは、お互いの曲を聴いて、おお~っと歓声を上げました。「Honey Pie」は、ホワイトアルバムでは、オールドファッションなラグタイムになっていましたが、この段階ではロック(というかロカビリー?)になっていたのです。それらの曲をスタジオへ持ち込めば、これまでと同じように数日後には、素晴らしい作品として完成されるように聴こえ、みんなが興奮していました。

そのレコーディング・セッションが、デモが持つ未熟なフィーリングをスタジオで再現し、それによってスタジオに緊張をもたらす悪夢となるなどとは誰も気づきませんでした。結局、「Ob-la-di Ob-la-da」は47回もテイクを重ねることになりました。また、「Not Guilty」は102回もテイクを重ねたにもかかわらず、アルバムに収録することさえできませんでした。

つまり、デモ自体が思いつくままにフィーリングを頼りに作成されたもので、十分に練り込まれていなかったことが、図らずもセッションで露呈したのです。そのため、セッションが上手くいかず、これがメンバーの関係がギクシャクする一つの要因となりました。

 

(参照文献)RollingStone, THE BEATLES BIBLE

(続く)

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