- 1 ブライアン・エプスタインの急死
- 2 「ビートルズという名のバンド」
- 3 「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のレコーディング
- 4 ポールのワーカホリック(仕事中毒)ぶり
- 5 印象的なピアノのイントロ
1 ブライアン・エプスタインの急死
下積み時代から彼らを支え続け、スターダムにのし上げた立役者である敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインが32歳という若さで急死するという悲劇が起こりました。「サージェント・ペパー~」がリリースされた1967年6月1日の時点では、彼は元気でしたが、その年の8月27日に睡眠薬の過剰摂取が原因で急死してしまったのです。
現代の睡眠薬は安全性が考慮され、過剰摂取しても死に至らないように製造されていますが、当時はそのような規制はありませんでした。
彼は、音楽的才能がなかったので、音楽面でビートルズを支えていたわけではありません。しかし、彼らを下積み時代からマネージャーとして支え続け、リヴァプールのローカルバンドから世界的なトップ・アーティストへと上り詰めさせた立役者です。
ある意味、彼は、「ビートルズが中に入った箱を結んだリボン」だったのかもしれません。元々4人は、強烈な個性を持っていました。彼らは、デビューしてから数年間は、おとなしく箱の中にきちんと収まっていたのです。
しかし、ビートルズがコンサート活動を中止して、スタジオでのレコーディングに専念し出した頃から、箱はガタガタと揺れ始めていたのです。そして、ブライアンの死でリボンがほどけると、4人は一気に箱の外へ飛び出してしまいました。
彼らは、レコーディングの時は一時的に箱の中に収まりましたが、その中にずっとい続けることはもはやできなくなっていました。一度飛び出してしまったものが元の箱に収まることは困難だったのです。
2 「ビートルズという名のバンド」
ジョン、ポール、そしてジョージの3人はそれぞれに曲を持ち寄ったのですが、そこでお互いのエゴがむき出しになった感じですね。みんなが互いに譲歩せず、自分の曲をアルバムに収録しようと躍起になりました。
その様子は、まるで4人のソロ・アーティストが「ビートルズという名のバンド」というステータスを借りて、自分たちのソロ作品を発表するアルバムをレコーディングするためだけに集まっていたかのようでした。彼らが互いに協力し合っていた「サージェント・ペパー~」との落差に驚かされます。
ビートルズは、下積み時代から固く結束していました。ファンに追いかけ回され、マスコミにバッシングされても、4人は固い絆でそれらをはねつけてきたのです。
しかし、彼らは、過密スケジュールと毎度繰り返されるファンの過剰な反応やマスコミの悪意のあるバッシングに嫌気がさし、一切のコンサート活動を止め、スタジオでのレコーディングに専念することにしたのです。もちろん、これが解散の直接の原因となったわけではありませんが、結束しなければならないステージがなくなったことにより、少なくとも4人の固い絆がほころびを見せ始めたとはいえるでしょう。
3 「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のレコーディング
(1)何度もテイクを重ねた
ポールは、自身で作詞作曲した「Ob-La-Di, Ob-La-Da」がヒットすると確信して、他のメンバーにセッションを求めました。しかし、ジョンは、「ババアのくだらない曲だ」と鼻にもかけませんでした。
それでもポールは、他のメンバーにハッパをかけ、毎晩、スカのオフビートを取り入れようと必死になりました。「スカ」とは1950年代にジャマイカで生まれた音楽ジャンルの一つです。実は、ビートルズは、既に1963年に「I Call Your Name」という作品の間奏の部分でこのリズムを取り入れていました。
(2)収録したテープを破棄した!
しかし、一週間が経ったある夜、突然、ポールは、それまでにレコーディングしたテープを全て破棄し、一から全部やり直すと宣言しました。それを聞いたジョンはブチ切れて、スタジオを出て行ってしまいました。
ジョンが怒ったのも無理はないですよね(^_^;)それでなくても下らない曲だと思っていた上に、レコーディングに無理やり付き合わされ、散々やらされた挙句、一から全部やり直すというんですから。
数時間後、ジョンは、スタジオに戻ってきましたが、スタジオの入口から上の階に通じる階段の踊り場からメンバーに向かって大声で「オレは最高にハイになってるぜ!お前らはこんな気分を味わったことなんかないだろう!」「お前らがこんなハイになることなんか絶対にない!」と怒鳴ったのです。
この「ハイになっている」という表現は、明らかに薬物による幻覚症状を表しています。実際、彼は、この頃ひどいヘロイン中毒に陥っていました。そのため、かなり精神的に不安定な状態になっていたのです。
薬物にも色々ありますが、中でもヘロインは、その依存性の高さと身体への有毒性において最悪の薬物です。当時の様子からすると、ジョンは、スタジオの外でヘロインを吸引してきたのかもしれません。リーダーである彼がこんな状態だったことも、ビートルズに暗い影を落としました。
こういう話題にも触れないといけなくなるので、後期のビートルズについて書こうとすると、どうしても筆が鈍ってしまうんです( ノД`)でも、事実ですから書かなければ仕方ないんですが。ある意味、このアルバムの制作が「ビートルズの終わりの始まり」だったのかもしれません。
4 ポールのワーカホリック(仕事中毒)ぶり
ポールは、ジョージ・マーティンの部下であったレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックから「ワーカホリック(仕事中毒)」と呼ばれていました。ジョンが薬物中毒なら、ポールは仕事中毒でした。ふ~、やれやれ…(ため息)。
自分一人でやるならいいんですが、セッションですから当然メンバーも参加しなければなりません。それで散々メンバーをこき使っておいて、一から全部やり直すと言われれば、そりゃ、誰でもブチ切れますよ。私は、ポールのことが大好きなんですが、正直、彼のこういうところはよく分からないんです(^_^;)
じゃあ、彼は、他人のことを全く考えない自己中心的な人物なのかというと、決してそんなことはありません。名曲「Hey Jude」は、ジョンがシンシアと離婚した時に、残された一人息子のジュリアンを不憫に思って、彼を勇気づけるために制作した曲です。
こんな風にポールは、普段は気配りのできる優しい人なんですが、どうやら仕事モードに入ると自分のゾーンに入ってしまって、周囲が目に入らなくなってしまうようです。ですから、ジョージやリンゴとも衝突しました。
もっとも、バンドのメンバー同士がサウンドを巡って衝突するなんて日常茶飯時です。お互いが自分の主義主張をぶつけ合うわけですから衝突も起きます。それで、一部のメンバーが脱退したり、交代したり、挙句の果ては、バンド自体が解散してしまう場合もあります。ビートルズは解散した例ですね。
8年足らずとはいえ、ビートルズのような天才集団が、メジャーデビュー後は、1人のメンバーも交代せず続いたということの方がむしろ珍しいでしょう。
5 印象的なピアノのイントロ
レコーディングの話に戻ります。階段の踊り場で散々悪態をついたジョンは、ふらふらした足取りで階段を降りるとピアノに突進しました。「こんなくだらない曲なんぞ、こんな風にやりゃあいいんだよ!」彼は、荒々しく鍵盤を叩いて、有名なあのイントロのサウンドを作ったのです。
ポールは、ジョンの常軌を逸した言動に驚き、彼をまじまじと凝視しました。しかし彼は、ただ「OK。じゃあ…。」とだけ語りました。正にそのイントロがこの作品にピッタリだったからです。
ポールは、自分の作品に対するジョンの無礼ともいえる態度に怒りを覚えつつも、彼が作ったイントロのピアノのサウンドはしっかり記憶しました。なぜなら、ポールは、自分が作った作品にとても固執していて、ジョンからくだらないと言われたこの曲にも愛着を持ち、彼のイントロがこの曲にピッタリだったことを無視できなかったからです。
それで、ポールは、この頃のお決まりの5文字の言葉を発しました「Let’s do it your way(君の好きなようにやったらいいさ)」。そして、ジョンにもう少し早く、跳ねるような感じでピアノを弾くよう求め、結局、それがアルバムに収録されたヴァージョンになりました。
Ob-La-Di, Ob-La-Daは、明るい家族生活を描いた全ての子ども達から愛される叙情詩となっていますが、ジョンのピアノの演奏は、ポールにお付き合いさせられてイヤイヤ演奏したものです。もっとも、リスナーにそれを感じさせないところが、一流のプロたる所以(ゆえん)でしょうね。
(参照文献)DREAMING THE BEATLES
(続く)
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