★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

そして「アビイ・ロード」へ~なぜ、解散直前に最高傑作を制作できたのか?(220)

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1 テレビ・ドキュメンタリーの完成が発表された

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1969年は、世界中のビートルズファンにとってとても幸せな年でした。その年が始まると、ビートルズは、前年の11月下旬にリリースされた「ホワイトアルバム」という愛称で知られる30曲のダブルアルバムを分析し、検討し始めました。

1968年11月に公開されたアニメーション映画「イエローサブマリン」は予想外にヒットし、1月に入ってもまだ上映されていました。また、同月には、映画のサウンドトラック・アルバムが発売され、すぐにゴールド・ディスクになりました。

また、「TVガイド」というアメリカの雑誌の1969年4月19-25日号は、「ロンドンの屋根の上の4匹の猫」という題名の2ページの記事を特集し、多くのアメリカのビートルズファンをとても興奮させました。その記事は、ビートルズが撮影した「テレビドキュメンタリー」について触れていました。「ビートルズが、数か月以内に彼らがどのように作品を制作しているかを明らかにしたドキュメンタリー作品を世界中で発表する予定である。」というものでした。

そこには解散をうかがわせるような言葉は一言もなかったのです。

 

2 シングルは絶好調

(1)「Get Back」が大ヒット

この記事が発表されて一週間ほどが立った後、ビートルズのニューシングルがリリースされました。1968年春にリリースされた「Lady Madonna」は、イギリスではチャート1位を獲得したものの、アメリカでは4位に留まりました。

しかし、「Get Back」は、登場後にビルボードのシングルチャート1位を獲得し、5週間その座を確保しました。それから1か月ほどしか経たないうちに、シングル「The Ballad Of John And Yoko」がリリースされ、当時1位だった「Get Back」に抑えられてアメリカでは8位止まりだったものの、イギリスでは1位を獲得しました。

(2)立て続けに「The Ballad Of John And Yoko」もリリース

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詳細は別項に譲りますが、多くのアメリカのラジオ局がこの曲は歌詞に問題があると考え、放送しなかったにもかかわらず8位を獲得しました。この曲が完成するとジョンは興奮してポールの自宅に押しかけ、二人でレコーディングしようと持ちかけました。

その頃、ジョージは休暇、リンゴは映画の撮影中で不在だったのです。驚いたポールは、彼らが帰ってくるまで待つよう説得しましたが、一刻も早くレコーディングしたいというジョンの熱意に負けてレコーディングしました。

この曲は、結婚したばかりのジョンとヨーコの新婚旅行の模様を描いたものです。ですから、旬を過ぎてしまうと話題性がなくなってしまって、ヒットしなくなる恐れがありました。

それに、長い間シングルA面はポールの曲が独占していたので、久しぶりにチャート1位を取れそうな曲が完成して、ジョンは、早くレコーディングしたくて、いても立ってもいられなくなったのかもしれません。

(3)もう少し待つべきだった

ただ、結果的には、ジョージとリンゴが帰ってくるまで待ってじっくりレコーディングした方が良かったでしょう。良い曲なんですが、何となく淡白で物足りない感じがするのは、彼らがいなかったせいかもしれません。

それに、「Get Back」がチャート1位をキープしているタイミングで次のシングルをリリースするなんて、いくらなんでも急ぎすぎですよ💦せめてトップ10から外れたタイミングでリリースすれば、間違いなく1位を獲得できたでしょう。

ただ、イギリスのミュージック・ウィーク誌では、3週連続で1位を獲得し、結果的にビートルズのシングルがイギリスで1位を獲得した最後の曲となりました。それだけに余計もったいなかったですね。

 

3 ファンはビートルズに期待していた

The Beatles, Books

その間に、スーパースターの私生活の詳細を知りたがっている熱烈なビートルズファン向けに書かれた、1968年9月発刊のハンター・デイヴィスの伝記「The Beatles」が飛ぶように売れていました。1969年の初めの数か月は、これらのページをむさぼるように読んだ人々の議論で明け暮れました。

ビートルズが次にどんな作品を作るのか興味津々のファンに対し、ポールは、「我々は常に変化しているように見えるかもしれないが、それは我々が型にはまることを望まないからだ。我々は、規格外で常に変化を望んでいる。だから、我々の音楽は変化し続けているのだ。」とコメントしました。このコメントは、どう読んでもこれからもファンの期待に応えていくという内容ですよね。

前回の記事で、この頃には解散の噂がファンの間では流れていたと書きましたが、こういった事実を踏まえると、多くのファンは、ビートルズがまだまだこれからも活躍すると思っていたようです。彼らは「ビートルズは、次に何をやってくれるんだろう?」と期待していたのです。

4 世間は解散の気配すら感じていなかった

(1)メンバー同士は険悪になっていたが

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世間が知らないこの期間に、ビートルズには大きな混乱がありました。それはとても大きな問題で、それがグループの存在を脅かしていたのです。これまでお話ししてきた「Get Back/Let It Be」セッションをきっかけとしたゴタゴタですね。

ポールは、アルバムを完成させようとメンバーを急き立てました。そのプロセスをカメラがTVドキュメンタリー番組用にずっと撮影していたのです。しかし、結果はあまり芳しいものではなく、グループ内でも意見が割れてしまい、アルバムのリリースは無期限に延長されました。

こういったゴタゴタにポール以外の3人は嫌気がさし、もうレコーディングすることに熱意を失っていました。それに加え、アップルコア社は、経営的、財政的、法的な様々な問題を抱えていて、こういったことも彼らを苦しめていました。

ジョンは、ビートルズとしての活動よりも、社会問題や国際情勢に強い関心を持つようになりました。ジョージは、ジョンやポールの曲ばかりがアルバムに収録されることに強い不満を抱いていました。リンゴは曲を作れないので、ずっと蚊帳(かや)の外でやる気をなくしていました。ポールだけがビートルズとしての活動に執念を燃やしていたのです。

 

(2)ファンは期待していた

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ビートルズのスタッフの間では、この先、彼らから新しいサウンドが生まれるのかどうか不安がよぎっていました。ファンからは大きな関心が寄せられていましたが、肝心のビートルズ自身にはまったく関心がないようにみえたのです。

今のファンの皆さんに聞くと、ビートルズの解散の噂は当時からあったと応えが返ってきますが、果たして50年前にそれほど噂が広まっていたかどうかはちょっと怪しい気がしてきました。

長い年月を経て、いつのまにかそう思い込むようになってしまったのではないかという気がします。つまり「結果から逆算して思い起こしているのではないか?」ということですね。ほとんどの人々にとって解散は「寝耳に水」だったと思います。

(3)アップルの社員はヒタ隠しにしていた

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ビートルズは、元々仕事に部外者を参加させるということは、彼ら全員の許可がない限り御法度でした。ですから、外部に情報が漏れるということが少なかったのです。デタラメな噂は、盛んに飛び交っていましたけどね。「ポール死亡説」などは、その典型的な例です。

そして、スタッフも「もう、ビートルズはヤバいんじゃないか?」と内心は思っていたはずですが、それを外部に漏らすことは絶対にできませんでした。なぜなら、そんなことがマスコミにバレて一斉に報道されたら、それが彼らを解散に追い込んでしまい、結果的に自分たちが職を失ってしまうことになりかねないからです。

それにただでさえ経営難のアップルコア社が、ドル箱であるビートルズを失ってしまったら、倒産してしまうという現実味を帯びた懸念もありました。ですから、社員たちも必死にこの事実を隠さざるを得なかったのです。

 

5 もっといいアルバムを作ろう!

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ジョージは、「ビートルズ・アンソロジー」で実質的なラストアルバムがどのようにして生まれたかについて語っています。「「Let It Be」は未完成のままで放り出した仕事のようなものだったんだ。オレたちは、原点に帰ってそれを綺麗に完成させなければならなかった。オレは、それをするために戻ってきた。そして、みんながもっといいアルバムを作ろうと決心したんだ。」

「Let It Be」は、決して彼らの満足のいく仕上がりにはなっていませんでした。メンバーの関係も悪化していたことですし、普通だったらここで活動を休止するか、あるいは解散するか、少なくとも新しいアルバムの制作は止めていたところでしょう。ところが、ビートルズは、今度こそ最高のアルバムを作ろうとギアをアップしたのです。

アルバムが決して満足のいく仕上がりにならなかったことで、かえって彼らの闘争心に火がついたのかもしれません。その結果、皆さんがご存知の通り、最高傑作と呼ばれるアルバムを誕生させることになったのです。彼らの飽くなきチャレンジ精神には感嘆するよりほかありません。 

(参照文献)BEATLES MUSIC HISTORY!

(続く)

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