1 Carry That Weight
ゴタゴタから生まれた名曲のもう一つは、「Carry That Weight」です。後にビートルズの遺産を振り返って語ったコメントだと受け止められましたが、ポールは、クラインがビートルズのマネージャーに就任した後のアップルでの不快な雰囲気を題材にして「Carry That Weight」を書きました。
彼はこう語っています。「あの時は、「Weight」という言葉がピッタリ当てはまるほどの重さだったよ。とてつもなく重く感じた。それが「Carry That Weight」を作った時の心境だった。軽くてやさしい重さなんかじゃなかった。ちょっとばかり気が利いてはいたけど、時には残酷でもあった。この重さに耐えられる場所なんてなかった。深刻で頭がおかしくなるくらいの重さで、ただただとても不快だった。」
聞いてるだけでも気が滅入りますね💦音楽的な方向性の違いだけならまだ何とかなったかもしれません。音楽なら彼らの得意分野ですから、どんな形にでも仕上げられたでしょう。しかし、ビートルズに重くのしかかっていたのは、彼らが最も不得意とするビジネス上の複雑な問題でした。
歌詞の一部に「Boy, you're gonna carry that weight(君はその重荷を背負っていこうとしている)」とありますが、この「Boy」とは、ポールのことでしょうか、それともビートルズ全員のことでしょうか?
2 ビートルズというバンドの偉大さ
(1)スタジオに入れば
ビートルズのビジネス上の問題は、毎日注意を払う必要がありました。アップルという甘い無防備な蜜にたかるアリが、津波のように押し寄せてきていたからです。ビジネスに長けた専門家ですら、その連中をはねのけるのに手こずりました。というかあまりにも問題が複雑すぎて、その道のプロですら手を出すことに躊躇(ちゅうちょ)していたのです。
ただ、そんな最中でにわかには信じがたいことですが、険悪な人間関係に陥っていたにもかかわらず、ビートルズは、スタジオに入った途端、彼らの間の結束がこれまでと同じくらい強くなったのです。「Abbey Road」がリリースされてから1年後、つまり、ビートルズが険悪な人間関係のまま後味の悪い解散をした後、ジョンは、メンバーが互いにアーティストとして理解し合っていたことを認めました。
彼は、こう語っています。「確かに、色々ないざこざはあったけれど...ビートルズがセッションをする時は一体になれたんだ。私が物事を進めれば、リンゴは私が何をしようとしているのかすぐに分かってくれた。そんな風に、我々は、長い間一緒にプレイして音を合わせることができた。」
「これだけは、私が時おり見逃してしまっていることだ。まばたきしたり、ある音を出したりできるみたいにね。何も言わなくてもメンバーは、全員、自分がやるべきことを分かっていたのさ。」
(2)こんなバンドは他に存在しない
ビートルズは、普段は、ロクに目も合わせず口もきかないような険悪な人間関係になっていました。ところが、そんな彼らがスタジオに一歩足を踏み入れると、それまでの人間関係がウソのように解消し、楽しくサウンドを作ることができたのです。
ここがおそらく、ビートルズの一番不思議かつ偉大なところだと思います。人間関係がこれほど険悪になってしまえば、そもそも一緒にセッションしようなどという気にすらならないはずです。スタジオに行くのは嫌で仕方がない、ところが、そこに一歩足を踏み入れてギターやベースを手にし、ドラムキットに座ると彼らには笑顔が戻ったのです。
当時のポールとジョージが笑顔で仲良くマイクの前でレコーディングしている写真が残されています。この写真から彼らが険悪な関係だったとは到底想像できません。しかし、それがビートルズなのです。
私は、ビートルズほど詳しくはありませんが、彼ら以外のバンドももちろん数多く知っています。私が知る限り、人間関係がずっと円満なまま続いたバンドは、ほとんどないと言ってよいでしょう。
メンバーの誰かが傑出すると、ほかのメンバーは面白くない。あるいは、音楽の方向性が違ったり、スキャンダルが絡んだり。同じメンバーで長く続けるというのは、とても難しいことなのです。
(3)対照的だったローリングストーンズ
ビートルと対照的な存在として、ローリングストーンズが挙げられます。彼らは、結成から50年以上たった2019年においても、ツアーを続けアルバムを発表するなど、未だ現役で活躍し続けている稀有(けう)な存在です。しかし、彼らも何人かのメンバーの交代を経ていますし、解散寸前まで人間関係が険悪になった時期もありました。
彼らがその一歩手前で辛うじて踏みとどまったのは、「ビートルズの解散」という先例が彼らを思いとどまらせたからです。「ビートルズと同じように解散したら、オレたちはおしまいだ。」そう考えた彼らは、寸前で踏み止まったのです。
結果としてビートルズは解散し、ストーンズは存続しました。もちろん、どちらが正解だったという問題ではなく、それそれがそれぞれの道を歩んだということでしょう。すべては、「Let It Be(あるがままに)」ということだと思います。
3 レコーディング開始
(1)昔の勘が戻った
ビートルズは、1969年にトゥイッケナムフィルムスタジオでリハーサルを行い、アップルのオフィスビルの地下室でレコーディングを開始しました。「Let It Be」のセッション終了後、ロンドンのトライデントとオリンピックのスタジオでもレコーディングを行いましたが、1969年5月以降はアビイ・ロードでのみ活動していました。
ジョージは、こう語っています。「アルバムを制作している時の我々は、少しポジティヴになっていた。多少オーバーダブもしたけれど、できるだけメドレー全体を演奏するようにした。曲を順番に並べ、バッキングトラックを演奏し、それらをすべてワンテイクでレコーディングし、それにアレンジを加えた。久しぶりにミュージシャンらしい演奏をやったよ。」
ビートルズは、サージェントの時のように様々なレコーディングテクニックを駆使するようなことはせず、昔のようなやり方で、できるだけシンプルにレコーディングしました。ジョージの言葉からは、メンバーが生気を取り戻して、楽しく演奏している様子が浮かんできます。
(2)オレたちはミュージシャンだ
リヴォルバーやサージェントのような実験的なアルバムを制作することも、それはそれで当時の彼らにとっては楽しい作業でした。しかし、それらを経た上で自分たちがミュージシャンであるという、当然のことをもう一度思い出したのでしょう。
また、彼ら自身もそういったことにエネルギーを費やすには疲れ果てていました。ビジネス上のゴタゴタや険悪な人間関係がなければ、サージェントほどではないにせよ新たな実験的取組みをしたかもしれません。何しろレコーディングの技術は、日に日に進歩していましたから。
弦を指で押さえピックで弾き、スティックでスキンを叩くというシンプルな動作が、彼らを再びミュージシャンであることに目覚めさせたのです。
ジョージは、こう語っています。「ヴォーカルトラックも同じようにやった。多くのハーモニーをリハーサルし、すべてのバックアップパートを覚える必要があった。シングルヴォーカルだけをレコーディングして、後から色々なところへハーモニーを入れたり、ときおり三つのパートに分けた曲もある。アレンジも工夫したよ。こんなヴォーカルがいいと思ったら、そこでパートを作ったこともあった。その時は、全員がいい歌手になろうとしてたんだ。」
コミュニケーションがうまくとれていなければ、こんなことは絶対にできません。長年にわたり苦楽を共にしてサウンド作りをしてきた彼らだからこそ、ピッタリと息を合わせることができたのです。
(3)プロジェクトは何となく始まった
アルバムは、1969年1月の「Let It Be」のセッションの後にレコーディングされたものですが、アビイ・ロード・プロジェクトの開始日ははっきりしません。アルバム収録曲の一部のレコーディングは、「Let It Be」のアルバムの制作を続けながらすでに開始されていたからです。
つまり、ある時点を境にヨーイドンでスタートしたというわけではなく、なんとなく始まったという感じでしょうか?一応、7月1日が区切りにはなりますが。
この日は、ポールが一人だけで「You Never Give Me Your Money」のリードヴォーカルにベーシックトラックをオーバーダブしていました。ジョンは、自分の運転する車で事故を起こしてしまい、ヨーコや彼女の娘のキョーコたちと入院していて、レコーディングには参加できませんでした。
以前の記事にも書きましたが、ジョンは、音楽の天才ではあっても運動神経の方はからきしだったようです(笑)
(参照文献)THE BEATLES BIBLE
(続く)
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