1 イギリス人アーティストたちの発音
ビートルズに限らずイギリス人のミュージシャンが歌う時は、母国語のアクセントを消していました。エリック・クラプトン、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート、エド・シーラン、フィル・コリンズ、そしてジョージ・マイケルは、ロンドン近郊で育ちましたから、普段は、ブリティッシュ・イングリッシュのアクセントで発音していたのです。ところが、彼らが一たびステージに上がると、アメリカ北東部にあるニューイングランドで育ったかのように歌うのです。
女性シンガーのアデルは、会話ではとても可愛らしい声ですが、非常に強いコックニー・アクセントで話します。これは、ロンドンの労働者階級で話される英語の一種です。例えば、「Hello」を日常会話で彼女が発音するとhの音が落ちて「アロー」になります。
しかし、彼女が歌う時には全く方言が出ません。「Hello」はちゃんと「ハロー」と発音しています。彼女の日常会話と歌声を比べて聴くと、とても同一人物とは思えないのです。
イギリス人だけではなく、スウェーデンのグループであるABBAのようなアメリカ以外のミュージシャンを始め、世界中のさまざまな国で英語で歌っている他の多くのアーティストたちも同じ傾向があります。彼らが英語で歌っていれば、出身地は関係ありません。おそらく彼らもアメリカン・アクセントで歌っています。
2 なぜアメリカン・アクセントで発音するのか?
(1)最も中立的で発音しやすい
では、なぜ世界中のアーティストが英語で歌う時に、彼らが英語を母国語としていても、母国語のアクセントを消してしまうのでしょうか?それがまるでデフォルトであるかのように、彼らは、アメリカン・アクセントで歌いますが、考えられる理由はいくつかあります。
簡単に説明すると、それは音声学の問題です。アーティストが歌い、話す速度、そして、彼らの声帯から吐き出される空気圧と関係があるのです。なぜ、他の国のアクセントではなく、あえて「アメリカン」なのかということですが、それは、単に一般的なアメリカン・アクセントがかなり中立的で、どこの国の英語よりもクセが少ないと考えられているからです。
もちろん、アメリカの国内でも方言はたくさんあります。ただ、アメリカ人の歌手であっても、彼らが強いニューヨーク訛りや、南部地方出身者のアクセントを持っていても、そういった特有のアクセントを消してしまう傾向があります。
ただ、カントリーシンガーは、例外的にそのままで歌うことが多いのです。アメリカでカントリーミュージックといえば、日本の民謡みたいなものですからね。
(2)声楽の発声は会話とは異なる
こういった傾向の詳細については、北アイルランド出身の言語学者兼作家のデヴィッド・クリスタルが研究しています。彼は、曲のメロディーが会話のイントネーションを消してしまい、それに続いてビートが会話のリズムを消してしまうと主張しています。
会話とは異なり、音楽ではメロディーやビートに歌詞を乗せて歌いますが、歌手は、ヴォーカルに抑揚をつけなければならないので、音節を強調する必要があり、母音を伸ばすように強いられます。そうすると、どうしても歌う時は会話とは違う発音になるのです。
言い方を変えると、音楽のテンポが歌手の発声のテンポに影響を与えるのです。つまり、会話の時と歌う時では発声や発音が変わるんですね。
歌手が意図的に自分の声をごまかしたり、自分を売り込もうとしているのではありません。歌う時は、普通の会話の時とは違うアクセントに自然となるのです。
彼らが普通の速度で話しているときは、特有のアクセントを簡単に探し出すことができますが、歌うときは、テンポが遅くなりがちなため、一つ一つの言葉がより強調して発音される結果、アクセントがより中立に近くなります。
つまり、歌おうとするだけで自然にアメリカン・アクセントになるんですが、それがより中立的な話し方であるために一番歌いやすいんですね。それは、多くの人が「これがアメリカン・アクセントだ。」と考えている発音の実体でもあるんです。
そもそも「アメリカン・アクセント」なるものが明確に定義されているというわけではなく、あくまでも観念的なものです。誰かが決めたわけではなく、いつの間にかそれがデフォルトのように、それで歌うのが「お約束」になったと考えるべきだと思います。
これは英語だけに限ったことではなく、我々の母国語である日本語でも同じ現象が起きます。我々は、普段は方言で話していても歌う時は標準語になりますし、発声や発音を必ずしも日常会話と同じではなく、あえて抑揚を変えたり、伸ばしたり縮めたりしています。その方が楽曲に込められた想いや歌手の気持ちがリスナーに伝わるからです。
(3)歌唱では大きな発声になる
もう一つの要因は、人が歌うときに声を出す空気の圧力が、会話する時のそれよりはるかに大きいということです。
歌手は、正しい時間をキープして声を出すために、ブレスコントロールを学ばなければなりませんが、これで声の質が変わります。その結果、音節が引き伸ばされて通常の会話とは異なってしまうため、方言のアクセントが消える可能性があります。
でも、彼らが歌うときに自分が本来持っているアクセントを失っていることを認識しているかどうかは大いに疑問であり、多くの場合、意識すらしていないでしょう。我々も日常会話では方言で話していても、フォーマルな場面ではさらっと標準語に切り替えることができるように、歌う時にも自然と標準語の発音になっていますよね。
クリスタルは、歌手が曲全体を通して方言を使うことは珍しいと述べ、その結果、彼は、ほとんどの場合彼が言うところの「ミックスアクセント」で歌っていると主張しています。つまり、初期のビートルズが典型的ですが、アメリカン・アクセントに方言が若干紛れ込んでいるような状態ですね。
しかし、中にはあえてアメリカン・アクセントを使わず、方言のままで歌うアーティストもいます。イギリス人のシンガーソングライターで、アルバムがUKチャート1位を獲得したこともあるケイト・ナッシュがその一人です。彼女は、強いロンドン訛りで歌っていますが、そのことを非難する人はいません。
楽曲の完成度の高さや彼女のシンガーとしての実力が認められているからでしょう。彼女がなぜアメリカン・アクセントをあえて使わないのか、その真意は分かりませんが、方言で歌った方が自分の歌いたいことを自然に歌えると考えているからかもしれません。
3 ブリティッシュ・アクセントへの回帰
さて、ビートルズに話を戻します。彼らは、アメリカのモータウン・サウンドに強く影響されたため、デビューした頃は自然に発音もそれに寄せたんですね。しかし、後期になってアイドルからアーティストへと変身する過程で、アメリカン・アクセントにも縛られなくなっていきました。
すでに1965年の「Girl」でもアメリカン・アクセントの「ガーアル」というRの発音よりは、ブリティッシュ・アクセントの「ガール」に近くなっているように聴こえます。
やはり、歌詞にメロディーとリズムが乗っているので、会話と同じような発音はしていません。
https://youtu.be/-8l3ntDR_lIyoutu.be
初期の「Please Please Me」では50%ぐらいは、アメリカン・アクセントのRの発音をしていました。しかし、「Sgt. Pepper~」になるとそれが5%にまで落ち込んだのです。つまり、前期はアメリカン・アクセントで発音していたといっても、必ずしもそれが徹底されていたわけではなく、所々ブリティッシュ・アクセントが混じっていたということですね。これがクリスタルがいうところの「ミックスアクセント」です。後期になると、さらにブリティッシュ・アクセントへ回帰する傾向が強まりました。
おそらくその皮切りとなったのが「Penny Lane」です。この曲が公開された1967年は、正にビートルズが一切のコンサートを止め、アイドルを脱却してアーティストとして新たな活動を開始していました。この曲のリードヴォーカルはポールですが、彼は、アメリカン・アクセントをやめて、全面的にブリティッシュ・アクセントで通しています。
例えば、この曲の歌詞の中に「photograph」という単語が出てきます。もちろん写真の意味ですが、ポールは、この単語をアメリカン・アクセントではなくブリティッシュ・アクセントで発音しています。
両者の違いを説明したのが次の動画です。
違いといっても、英語を母国語としない人には、ほとんど聞き取れない位のわずかなものですけどね(^_^;)ブリティッシュ・アクセントではカタカナで書くと、「フォウトウグラフ」という感じに聞こえますかね?アメリカン・アクセントだと「フォトグラフ」と聞こえます。どちらかといえば、こちらの方が私たちの耳になじんでますね。
彼が、この曲でアメリカン・アクセントをやめたのはなぜでしょうか?この曲は、彼が幼少期を過ごしたリヴァプールの街の様子を懐かしく思い出した内容になっています。
さすがにリヴァプール訛りで歌うわけにはいきませんが、自分の生まれ故郷であるリヴァプールのことを歌った曲ですから、ネイティヴのイギリス人の発音にしないと雰囲気が出ませんよね。このことは、彼らが強く影響を受けたアメリカのロックンロールから脱却し、母国のイギリスに音楽的にも回帰したということを意味しています。
4 リヴァプール訛り全開!
あえてリヴァプール訛りを全開にしたのが、ジョンの「Polythne Pam」「Maggie Mae」の二曲です。特に、「Maggie Mae」は、リヴァプール民謡ですから、これこそリヴァプール訛りで歌うのにふさわしい曲です。ビートルズは、その前身のアマチュアバンド「クオリーメン」の時代からレパートリーにしていました。
これらは、ビートルズの中でも最後期の楽曲になりますが、もう何物にも縛られず自分たちの好きなようにやろうと考えたのでしょう。
(参照文献)Today I Founf Out
(続く)
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