1 23人のドラマーについて(補足)
前回の記事で、ビートルズは、アマチュア時代も含めると23人のドラマーがいて、その中にはザ・フーのキース・ムーンや、ローディーだったマル・エヴァンスまで含まれていたと書きました。「彼らがどんな状況でビートルズのセッションに参加したのか」という質問がありましたので、ここでお答えしておきます。
キース・ムーンは、「All You Need Is Love」の時に、リンゴの左隣でドラムキットに座り、ブラシでドラムを演奏していました。ですから音源に入っていますし、動画を観ると僅かですが彼が写っています。
All You Need Is Love - 1s Preview
マルは、「Yellow Submarine」のオーバーダブをレコーディングした後、マーチングバスドラムをリズミカルに叩き、コンガダンスを踊りながらスタジオの周辺でスタッフを整列させました。ですから、音源には入っていませんが、一応、ビートルズに混じってドラムを叩いたことには違いないです。
いずれもエヴィデンスのある情報ですが、特に後者については、「へえ〜、そんなこともあったんだ」的なゆる〜い感じで受け取って頂ければと思います。
2 ハンブルクのクラブへの出演が決まる
(1)コシュミダー、ロンドンを訪れる
ハンブルクのカイザーケラークラブのオーナー、ブルーノ・コシュミダーがロンドンにやって来たところまでお話ししました。なぜか、リヴァプールではなくロンドンだったんですね。
ただ、彼がロンドンに行ったのは必ずしも間違いではありませんでした。その足でロックンロールを演奏しているクラブへちゃんと行ったのですから。彼は、ロンドンのソーホーにある「The 2.Is」というコーヒーバーに行きました。ソーホーは、あまり治安のよくない地区として知られていましたが、ハンブルクのザンクトパウリの治安の悪さに比べれば子どもの遊び程度で、全然大したことはありませんでした。
ハンブルクのカイザーケラークラブで、ウィリアムズとコシュミダーが交渉していると、いつものように客同士のケンカが始まりました。すると、コシュミダーが話を中断して机の引き出しから太いこん棒を取り出し、ケンカに負けて床に倒れた船員を何度も思い切り殴りつけ、何ごともなかったかのように事務室に戻り、こん棒を引き出しにしまって話を続けました。まあ、ウィリアムズもさぞ驚いたでしょうね(^_^;)
コシュミダーは、地元の通訳を通じて店のイアン・ハインズという名のピアニストと話を始め、ハンブルクの自分のクラブで演奏してくれるバンドを探していると打ち明けました。すると、地元のミュージシャンたちがすぐに食いついてきたのです。その中には、後に売れっ子になるトニー・シェリダンもいました。
(2)ハンブルク行きが決まった
2.Isコーヒーバーは、当時のイギリスのロックビジネスのメッカでしたが、とても狭くてバンドが演奏した空間は、ドアまでギッシリ観客をすし詰めにしても100人までしか入れませんでした。しかし、マネージャーのポール・リンカーンは、当時、イギリスのトップになっていたティーンエイジャー向けのバンドのライヴのほとんどを管理していたので、ロックミュージシャンがそこをたまり場として使用したことは自然な流れでした。
ハインズは、コシュミダーの要請に応えて6人編成のバンドを紹介することにしました。ハインズは、それまで彼がジェッツと呼んでいたバンドをハンブルグに送り込もうと考えたと語っています。
ただ、彼が少し話を盛っている感じもあるので、本当にジェッツと呼ばれるグループが元々存在したのか確証はありません。初めてのハンブルク行きで盛り上がり、調子に乗ってそう名付けただけなのかもしれません。
選ばれたメンバーは、リズムギターとヴォーカルのリック・ハーディー、ピアノのイアン・ハインズ、ギターとヴォーカルのコリン・メランダー、ベースのピート・ウォートン、そして様々な楽器の演奏ができるマルチ・プレイヤーのジミー・ウォードがドラムという構成でした。
ドラム、キーボードとヴォーカルを担当する伝説のトニー・シェリダンも、メンバーに加わってハンブルクに来てほしいと要請されましたが、他のメンバーは彼を加えることには気乗りがしませんでした。彼が時間にルーズだったことが災いし、テレビ出演の機会をフイにした前科があったからです。ただ、彼が、当時、最高のリードギタリストだったという事実は間違いありません。
(3)いざ、ハンブルクへ
彼らは、すぐにパスポートを取得して1960年6月4日、ロンドンのリヴァプールストリート駅に集合し、そこから連絡船に乗るためにハリッジの海岸沿いの町まで列車に乗ったのですが、どうしたことかハインズは現れなかったのです。
彼が現れなかった理由ははっきりしませんが、国内に留まらないといけない何らかの事情があったのでしょう。コシュミダーは、6人編成のバンドを要求していましたが、ハインズが抜けたため5人になってしまいました。
ただ、幸いなことにコシュミダーは、そのことについて文句は言いませんでした。彼は、バンド自体を気に入っていましたし、ギャラも一人分少なくて済みましたから(笑)
3 ハンブルクで本物のロックンロールが演奏された
(1)本物のロックンロール
彼らは、1960年6月5日の夜にジェッツというバンド名で、初めてカイザーケラーで演奏したのです。イギリスのロックンロール、と言ってもオリジナルはアメリカ音楽ですが、初めてハンブルクで演奏された瞬間でした。
シェリダンは、後にビートルズをバックバンドとして「My Bonnie」をリリースし、ヒットさせることになります。ドイツのロックの歴史は、ここから始まったといっても過言ではないでしょう。それまでのレコードをただコピーしただけの退屈な演奏ではなく、情熱のこもった本物のロックンロールでした。
Tony Sheridan Ft. The Beat Brothers - My Bonnie - Remastered 2015
ビートルズがアメリカに上陸してハリケーンを巻き起こしたよりは遥かに小さい規模だったとはいえ、ドイツのポピュラー音楽界にロックンロールという新風を吹き込んだのです。ジェッツは、カイザーケラーで1か月以上プレイしたんですが、それが結果的にビートルズをこの街に呼び込む結果となりました。
ということは、ジェッツのパフォーマンスもなかなかのものだったということでしょうね。そうでなければ、再度オファーが来るはずがありませんから。
(2)上々の出来だった
実際、ジェッツのメンバーだったリック・ハーディーは、こう語っています。
「カイザーケラーでの我々は成功し、お客も沢山入った。しかし、その情報は、レーバーバーンに大規模な施設を持っていたクラブオーナーのピーター・エックホルンの耳には入らなかった。」
「エックホルンは、彼のクラブでもイギリスのバンドを演奏させたいと、必死に探し回っていた。彼は、バンドと仲良くしていたホルスト・ファッシャーから紹介されて、カイザーケラーから我々を引き抜くことに成功した。我々は、エックホルンからより多くのギャラをもらい、より快適な宿泊施設をあてがわれた。」
結構良い待遇だったようですね。でも、おかしいな、その後で行ったビートルズは、ロクな宿泊施設もあてがわれなかったんですけどね。普通、後で行った方が待遇が良くなってるはずじゃないですか?
「振り返ってみると、我々は、ブルーノとの契約をきちんと守っていなかった。我々はまだ彼と契約していたからね。ただ、記憶は少し怪しくなったけど、リクエストされたことにはちゃんと応えたつもりだよ。」
「このショット(上に掲載した写真。左から3人目がシェリダン)は、1960年7月6日にカイザーケラーで最後の演奏をし、3日後の7月9日にエックホルンのクラブであるトップテンクラブで演奏した時に撮影されたものだ。」
彼らは、ブルーノ・コシュミダーと契約中であったにもかかわらず、エックホルンに引き抜かれてトップテンクラブで演奏していたわけです。現代なら契約違反で大ごとになりますが、当時はのんびりした時代だったんですね(^_^;)
「とにかく、我々は、1960年7月6日にカイザーケラーで最後の演奏を終え、3日後の7月9日にオープンしたエックホルンのトップテンクラブで演奏した。」
「エックホルンがクラブ業界を一手に握っていた一方、コシュミダーは何も持っていなかった。私は、コシュミダーに大いに同情している。というのも、彼は、後の出版物で随分酷いことを書かれているが、私は不公平だと思う。彼は、当時のハンブルクにおいてクラブという存在を確立させ、ドイツのミュージシャンが得ていたよりもはるかに多いギャラをイギリスのバンドに払い、彼の努力のおかげで数多くの人々が恩恵を受けたのだ。」
私もコシュミダーに対しては、「ビートルズを安いギャラでこき使った。」というネガティヴなイメージを抱いていたんですが、それは少し訂正しなければならないようです。彼は、ハンブルクのクラブ業界を確立させることに大きく貢献したのですね。何しろ、彼のクラブがなければビートルズが実力を付けることもなかったのですから。
「コシュミダーは、閑古鳥が鳴いていたクラブをそのままにしておけなかったので、ロンドンへ行き、2.Isコーヒーバーで巻き返しを図ろうと考えていた。彼は、そこでアラン・ウィリアムズに会ったのだが、それが後に歴史的なものになることとなった面会だった。」
やはり、コシュミダーは何の当てもなくロンドンに行ったわけではなく、自分が経営するクラブの立て直しを図る目的で視察に行ったのですね。それがジェッツのハンブルク巡業、さらにはビートルズのハンブルク巡業へと繋がったわけです。
(参照文献)The History Press, THE BEATLEG Project
(続く)
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