★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズは、実はハンブルクで結構稼いでいたのではないか?(ウソだろ❓)(251)

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飛び入りで歌う客とビートルズ

ハンブルク巡業の頃、ビートルズのバンド仲間であったジェッツの元メンバー、リック・ハーディーの回想の続きです。

1 デタラメなうわさ話ばかり

(1)一人歩きしたうわさ話

「1960 hamburg sankt pauli grosse freiheit」の画像検索結果

ハンブルクザンクトパウリ地区は、(現在でも)特別なことをしなくても十分興奮させてくれる厳しい場所だったが、当時まだ生まれてもいなかったジャーナリストたちが、ハンブルクについてはもちろんのこと、未だに下らないデタラメを真実だと主張している。」

ビートルズは、修道女の頭から小便をかけたりしなかった。彼らが強制送還されたきっかけとなったバンビ映画館の放火事件だって、彼らが暗闇の中で荷物をどけるために明かりをつけようとしただけだった。」

ビートルズが建物の2階から道を歩く修道女の頭へ小便をかけた。」という話がありますが、それがまったくのデタラメだったということをハーディーは証言しています。

私も随分昔に日本の雑誌の記事でこれを読んだことがありますが、さすがにこの話は、最近はされていないと思いますけどね(^_^;)しかし、いつ誰がこんな作り話をしたんでしょう。ひょっとすると、未だにこれを真実だと思い込んでいる人がいるかもしれませんが。

また、彼らが暗闇の中で明かりをつけようと火をつけたことが、結果的に火事になってしまい、放火犯と疑われて逮捕、強制送還されたことも今では明らかとなっています。

 

(2)コシュミダーはずる賢い人物ではなかった

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ブルーノ・コシュミダー

「ブルーノ・コシュミダーが警察に通報したのは事実だが、私は、個人的にはペーター・エックホーンのビートルズを引き抜く手口が巧妙だったと思う。彼は、すでに我々の時にも同じ手口を使っていた。彼らは、我々の引き抜きが成功したので、我々が抜けて空いたトップテンクラブにビートルズを引き抜いたのだ。」

トップテンクラブにビートルズを引き抜かれた腹いせに、ジョージが就労年齢に達していないことをコシュミダーが警察に通報したのは事実です。ただ、それもハーディーに言わせれば、「エックホーンが巧妙な手口でビートルズを引き抜いたことが原因だ。」ということです。

それを汚いやり方ととるかどうかは個人の主観によりますが、引き抜かれたコシュミダーよりエックホーンが一枚上手だったことは間違いないですね。

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ペーター・エックホーン

「コシュミダーは、バンドを探しにイギリスに行ってツアーを手配し、ギャラを支払った。そのやり方をそのまんま踏襲したのがエックホーンだ。私は、彼が主にハンブルクのギャングと繋がっていて、稼いでいたのではないかと考えている。」

何しろ、1960年ですから、どの国でもブラックな世界はありました。私は、ハーディーが言うほどエックホーンが汚かったとは思いません。あの業界では、引き抜き程度は当たり前でしたからね。

2 ジェッツは十分なギャラを得ていた 

「私もコシュミダーが我々にギャラを少ししか支払っていなかったという記事を読んだことがある。くだらない!我々は、平均的なドイツ人の稼ぎの少なくとも2倍の収入を得ていたし、その上に無料の宿泊施設をあてがわれていた。豪華ではなかったが、もし、望めば他の場所に行く余裕があったのだ。」

これは意外な話ですね。ビートルズは、安いギャラで、しかもちゃんとした宿泊施設ではなく、映画館の舞台裏の女性用トイレの近くで寝泊まりしていましたから。

ハーディーの話が事実であれば、彼らの後で雇われたビートルズが、なぜ酷い待遇を受けたのか疑問が沸いてきます。 それにビートルズは、ジェッツとは数か月間交流があったのですから、当然、ギャラや宿泊施設などについても聞いていたはずです。

「え?お前ら、そんなにギャラをもらってるのか?それに宿泊施設もあるって?」そんな話を聞いたら、少なくともコシュミダーに対しては抗議したはずですが、何の文句も言っていません。 

そこで、考えられるのは、マネージャーのアラン・ウィリアムズがギャラをピンハネしていた可能性です。ビートルズが彼に見切りをつけたのも、リヴァプールでは売れっ子になったにもかかわらず、彼らの手取りがそれほど増えなかったからです。

ただ、仮にそうだったとしてもジェッツに聞けばすぐ分かることですから、そのまま文句一つ言わなかったのは不思議ですよね。

 

3 ジョンがリッケンバッカーを購入した

洞窟で演奏するジョン・レノン

(1)非常に高価だったリッケンバッカー

「私がジョンと一緒に街をぶらついていた時、彼はハンブルクの中心部にあるムジークハウス・フンメルという楽器店で、あの有名なリッケンバッカーのギターを購入した。非常に高価な楽器だったが、彼は、それを現金で支払った。安いギャラで買える代物じゃない!」

これは、きわめて重要な証言です。それまでビートルズが楽器を購入するときは、ほとんどが分割払いでした。楽器はとても高価だったので、貧しかった彼らは、現金では購入できなかったのです。

しかし、ハンブルクでは高価なリッケンを現金で購入した。ということは、彼らは、すでにそれだけの金を持っていたことになります。これは、彼らが食うや食わずでロクな宿泊施設もなかったという史実とは矛盾する事実になります。

ハーディーの証言をどう解釈すればよいのでしょう?確かに、ジョンがリッケンをハンブルクで購入したことは、ビートルズについてある程度詳しいファンなら誰もが知っています。しかし、当時、食事もまともに取れなかった彼が、なぜ高価なギターを現金で購入できたのか。そこに疑問を抱いた人はいたでしょうか? 

私も「ふ〜ん」と思いながら、「何で金がないはずなのにリッケンを買えたんだろう?」とぼんやりと疑問を抱いていましたが、そのことについて深く考えることはありませんでした。 

(2)店が分割払いを認めてくれたか?

しかし、改めて考えてみるとツジツマが合いませんよね?「ビートルズは、ハンブルク巡業の時には、ロクなギャラも払われず、宿泊施設もあてがわれないという酷い扱いを受けていた」というのが広く知られた事実です。 

その一方で、ジョンが高価なリッケンバッカーを現金で買ったのですから。「どこにそんな金があったんだ?それだけの金があったのなら、いいものを食べてまともなホテルにも泊まれたはずなのに。」と疑問がわいてきます。 

しかし、マーク・ルイソンの「TUNE IN」では分割払いで購入したと記載されています。真実は一つしかありませんから、ハーディーの記憶違いかルイソンの記事が間違っているのかのどちらかです。 

そこで、もう少し掘り下げて考えてみましょう。「ジョンが、ハンブルクで分割払いでギターを買った。」というのも定説になっていると思いますが、これを聞いて、皆さん何だか変だと思いませんか?だって、彼らは、リヴァプールからハンブルクに出稼ぎに来ていたんですよ? 

つまり、そう遠くないうちにジョンがリヴァプールに帰るのが分かっていたわけで、そんな外国人の客に店が分割払いを認めたでしょうか?短期の分割払いにしたところで、途中で帰国してしまい、残金を踏み倒してしまう可能性は十分にあったわけです。 

リヴァプールのヘッシー楽器店は、貧しい若者たちにとってはまさに恵みの神のような存在で、長期の分割払いにも嫌な顔ひとつしませんでした。私は、この楽器店もビートルズの影の立役者だと思っています。 

でも、こんな超良心的な楽器店なんて珍しいですよ。ましてや出稼ぎに来たイギリス人に分割払いを認めてくれるドイツ人がいたとは考えにくいですね。ハンブルクという治安の悪い場所でもありましたし、地道に働いているドイツ人のサラリーマンならまだしも、明日はどうなっているか分からない売れないイギリス人のミュージシャンでしたから。 

となると、俄然、現金で購入したというハーディーの回想が真実味を帯びてきます。彼の回想以外にそれを裏付ける資料はありませんが。

 

4 これまでの定説が覆る?

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デリー・&・ザ・シニアーズ

ハーディーの回想は、非常に具体的で説得力があります。ジェッツがハンブルクで良い待遇を受けていたというのは真実でしょう。彼がここでウソをつく必要は何もありませんから。確かに、ジェッツにはトニー・シェリダンという名ヴォーカリスト兼ギタリストがいたのは事実です。

でも、だからといって、ビートルズとの待遇にそれほど差があったとしたら不自然ですよね。 第一、ビートルズみたいな酷い待遇を受けていたら、普通だったら腹を立ててリヴァプールに帰ってしまっていたでしょう。 

そういえば(247)で書きましたが、アラン・ウィリアムズがマネージャーを務めていたスティール・バンドが彼に無断でハンブルクに渡り、我々は楽しくやっている、こっちでビジネスすべきだと手紙を書いて送ってきたという話がありました。ということは、彼らもそれなりの待遇を受けたはずです。そうでなければ、そんな手紙を送ってくるはずがありませんから。

これで少なくとも、スティール・バンドとジェッツが良い待遇を受けていたことは裏付けられました。ウィリアムズが最初に送り込んだデリー&ザ・シニアーズもいましたが、彼らも待遇が悪かったという話は聞きません。ちなみにこれは彼らの音源ですが、かなりの腕前ですね(1961年にハウィー・ケーシー&ザ・シニアーズに改名)。何よりヴォーカルがリトル・リチャードそっくりです。


HOWIE CASEY & THE SENIORS / DOUBLE TWIST - 1961

もし、そうだったとしたら、彼らはハンブルクはロクな所じゃなかったということで、誰も後に続かなかったでしょう。そうなると、なぜビートルズの待遇だけが悪かったのかという疑問がどうしても沸いてきます。 

長くなるのでこの続きは次回で。

 

(参照文献)The BEATLEG Project

(続く)