★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

リッケンバッカーはたまたま買っただけだった?(おいおいマジか💦)(252)

関連画像

1 二つの疑問点

(1)他のバンドは稼いでいた

前回、「ビートルズは、実はハンブルクで稼いでいたのではないか?」と疑問を投げかけました。その疑問の続きです。

選択肢は二つです。「ビートルズの待遇は実際に悪かった。」「ビートルズの待遇は実際には悪くなかった。」のどちらかです。これまでは、前者が定説とされていました。というか、それが真実だと誰もが信じてきましたし、もちろん、私もそうです。

しかし、前回も記事にした通り、同じようにハンブルクに渡ったイギリスの二つのバンドの待遇の良さから考えて、ビートルズだけが極端に待遇が悪かったとするのは、いささか不自然な気がします。私は、最近、「ひょっとしたら、ビートルズの待遇は、これまで語られてきたほど悪くはなかったのではないか?」と考え始めています。

(2)ジョンがリッケンバッカーを購入した

「rickenbacker 325 capri」の画像検索結果

ジョンは、ハンブルクで後に彼の代名詞ともなったリッケンバッカー325を購入しました。彼が使用したことで爆発的に人気を得たモデルです。

ただ、ハンブルクで購入したのは間違いないのですが、店名が元ジェッツのメンバーであったリック・ハーディー(前回はリチャーズと書きましたが、ステージネームにします)の記憶とは違うんですよね(^_^;)彼は「フンメル楽器店」で購入したと語っています。

しかし、他の資料ではシャンツェン通りにあった「ロットホーフ楽器店」で購入したとあります。実は、こちらの説の方が多いんですよ。多数説だから正しいとは限りませんが。分割払いだったというのも、殆どの資料がそう記述しています。

気になるのは前回の記事でも書いた通り、「出稼ぎの外国人に高価な楽器の分割払いを認めた楽器店が本当にあったのか?」という素朴な疑問です。現代でもローンを申請する際に、収入や資産状況についてローン会社から厳しくチェックされますよね?つまり、客に信用がなければローンを組むことはできないのです。

私が店長なら、売れそうもない外国人のミュージシャンに高価な楽器を分割払いで売却することは考えられないですね。いずれ帰国してしまいますから、残金を踏み倒される危険性は相当高いと言っていいでしょう。今のようなクレジットカードは、まだありませんでしたからね。

となると、これまで語られてきたのとは異なり、「ジョンは、リッケンバッカーを分割払いではなく現金で購入したのではないか?」という疑問がわいてきます。ただ、一緒にアンプを購入したジョージは分割払いだったと証言しています。 

 

2 幾らで購入したのか?

「german mark money 1960」の画像検索結果

ジョンが幾らでリッケンバッカーを購入したのかもポイントですね。難しいのはイギリスではなくドイツなので、ポンドではなくマルクだったこと、そして、当時と現在では、貨幣価値が大きく異なることです。

ジョージの回想によれば、当時の値段で90〜100ポンドったとのことです。これを現在の貨幣価値に換算すると約2,320ポンドになります。さらに、これを現在の日本円に換算すると、約33万円になります。当時の彼らの生活水準からして、これはかなりの大金です。

もし、ジョンが現金で買ったのだとすれば、彼らは相当稼いでいたということになります。仮に月賦で購入したとすると、毎月3万円を支払ったとしても1年近くかかりますが、その間に彼はイギリスに帰国しちゃいますよ。残金を踏み倒されても取り戻しようがないでしょう。

ジョージの回想もいささか曖昧で「残金を完済したかどうか覚えていない」って言ってますからね(^_^;)支払いも週1ポンドだったとの情報もあり、それなら相当の残金を残したまま帰国したことになります。商売人にしては、あまりに気前が良すぎる気がします。

ということで、私は、これまで定説とされてきたジョンがリッケンバッカーを分割払いで購入したのではなく、現金で購入したという仮説を立てたいと思います。

3 金は稼いでいたがためていた?

「beatles  1961 hamburg」の画像検索結果

ハンブルクでバンド仲間だったジェッツは、平均的なドイツ人の倍の収入を得て、まともな宿泊施設も無料であてがわれてたと語っています。同じイギリスのバンドなのにビートルズだけ極端に待遇が悪いのは不自然ですよね。

これは、どの資料にも書いていないと思いますが、ひょっとすると、ビートルズは、本当は十分なギャラを得ていたけれど、それを飲食代や宿泊代に充てず高価な機材を手に入れるために、あえて普段は質素な生活でがまんしていたという見方はできないでしょうか?

そこで思い出されるのは、私も過去の記事で書いた初代マネージャー、アラン・ウィリアムズの回想です。(242)で書きましたが、ビートルズは、わずかなギャラをメンバーで分け合って、トーストにジャムを塗るか塗らないかで揉めていたというエピソードです。

これは、彼らがケチだったというわけではなく、楽器などの高価な機材を手に入れたい、あるいは自分たちのキャリアアップのために必要な資金として残しておきたい、そういう考え方が根底にあって無駄遣いをしなかったからなのかもしれません。

そうなると、ビートルズは、「下積み時代に苦労した」というスーパースターが誰も通ってきた道を歩んできたというよりも、もっと戦略的に将来のことを考えていたということになります。いささか、うがち過ぎかもしれませんが。

ロリー・ストームもカイザーケラーで演奏していました。

ポスターを見れば一目瞭然ですが、この頃は、ビートルズより格上の扱いでした。彼らも酷い待遇を受けたとは聞いていません。

 

4 リッケンバッカーはたまたま買っただけだった?

「1960 rickenbacker 325 john capri」の画像検索結果

ハーディーの話を続けます。「ちなみにジョンは、リッケンバッカーを買いに行ったのではない。それが、たまたま店にあった唯一のアメリカ製のギターだったから買っただけだ。

「私は、良いギターを手に入れたいと常々ジョンに語っていた。そのことが彼にギターを購入する決断をさせたということはないだろうが、もし、そうだったとすればうれしい。たぶん、楽器店がエピフォンやグレッチの在庫しか持っていなかったら、彼は、それらを買っただろう。(彼が購入したことで)1960年代のリッケンバッカーの収益に大きな貢献をしたと思う。」

いやはや、爆弾証言の連発ですね(^_^;)マーク・ルイソンの「TUNE IN」によれば、ジョンは、あるLPレコードのジャケット写真のリッケンバッカーを見て気に入ったので購入したと記載されています。

f:id:abbeyroad0310:20200115030725p:plain

リッケンバッカーを弾くジョンの最初のショット

でも、ハーディーは、ジョンは、アメリカ製のギターであれば何でも良くて、たまたま行った楽器店にリッケンバッカーしかなかったのでそれを購入した。もし、それが エピフォンやグレッチだったらそれらを購入していただろうと証言しています。これも従来の定説とは違いますよね。ジョンは、最初からリッケンバッカーが好きで、それを購入するために楽器店に行ったということになっています。

確かに、ジョージはギターが大好きで、ビートルズ時代にも何本も様々なギターを買い替えていました。それに対してジョンは、それほどギターにこだわりはなく、そんなに多くの種類のギターを所有していませんでした。そういったことを考え合わせると、ハーディーの証言も真実味を帯びてきます。

細かいことにこだわらなかったジョンの性格からすると、十分考えられる話ではありますよね。ただ、私も断言できるほどの自信はありません(^_^;)

もっとも、ビートルズは、ハーディーに限らず、他のバンド仲間からも機材を買い換えた方がいいということは勧められていたようです。実際、ジョージやスチュも機材を購入していて、そういった事実が符合していることから見ても、彼の証言は、かなり信用できるのではないかという気がします。

 

5 トニー・シェリダンはジェッツのメンバーだった

「私は、ここまでトニー・シェリダンについてあまり言及してこなかった。それは、彼がハンブルク時代にビートルズをバックバンドとして伝説的なレコードをリリースしたことが、ずっと後になるまで話題にならなかったからだ。」

「彼がジェッツのメンバーだった時、ヴォーカルを担当していたのは彼だけだった。トニー・シェリダンがソロ歌手としてハンブルクに行って、我々は、彼のバッキング・バンドだったと何度も誤って報道されている。元のグループの誰一人として認めていないのに、当時の彼のマネージャーが言い始めたことが一人歩きしていることが不満だ。」

すいません、私も誤解してました(^_^;)てっきりトニー・シェリダンがソロ歌手で、ビートルズが彼のバックバンドとして「マイ・ボニー」をレコーディングしてリリースしたとばかり思っていました。しかし、彼は、あくまでジェッツというバンドのメンバーの一人だったんですね。ただ、メインヴォーカルだったので目立っていたわけです。

f:id:abbeyroad0310:20200114221019p:plain

ビートルズがブレイクする前のジャケット写真

「マイ・ボニー」もドイツでチャート5位を獲得するヒットとなったのですが、ビートルズがブレイクしたことでさらに有名になりました。レコード会社もちゃっかりしたもので、リリース当時のジャケット写真は「トニー・シェリダンとビートブラザーズ」と表記していたのに、ビートルズがブレイクした後は彼らがメインになりました。

f:id:abbeyroad0310:20200114221421p:plain

ビートルズがブレイクした後のジャケット写真

1 ビートルズは、実は、ハンブルクで結構稼いでいた

2 ジョンは、たまたま楽器店にあったリッケンバッカーを買っただけだった。

3 ジョンは、リッケンバッカーを現金で買った。

これらは、いずれもハーディーの証言によるものであり、信じるかどうかはあなた次第です。

(参照文献)The BEATLEG Project

(続く)

 

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。

よろしければ、下の「このブログに投票」ボタンをクリックして下さい。