1 ずっと避けてきたテーマ
(1)あれから50年
ビートルズは、1970年に解散しました。2020年でとうとう50年を迎えます。もう半世紀も経つんですね(しみじみ…)。
彼らについてよくご存じない方でも、「デビューからずっと第一線を走り続けてきたスーパーバンドが、なぜ突然解散したのだろう?」と素朴な疑問を持っておられる方も多いと思います。ファンですら未だに解散の原因をめぐって議論が百出しており、到底決着がつくことはないでしょう。
このブログを以前から読んでいただいてる方は、もうお気づきになっているかもしれませんが、私が解散について、間接的にそれに関わるような記事を書いたことはあっても、直接触れたことは一度もありません。
(2)後世の人々に語り継いでおきたい
他のファンの皆さんの心境はどうかわからないのですが、私にとってビートルズの解散は古傷であり、未だにそのことを考えると心が痛みます( ノД`)なので、どうしても書く気になれませんでした。
「解散から50年も経っているのに、未だにそんなことを引きずっているのか。」と笑われるかもしれませんが、それが偽らざる心境です。何しろ、スッキリした形での解散ではなかったので、その時のことを語るのはよけいに辛いものがあります。
それと、この問題に触れるのは、ある意味「地雷原を歩く」ようなものです。極めてセンシティヴな問題なので、ややもするとエキセントリックな反応が返ってくるおそれもあります。
しかし、50年という節目を迎えた今、さすがにこの話題について、ずっと触れないままでいるわけにはいかないと思ったのです。彼らを知らない世代の皆さんがこれから増えて行くわけですし。
このブログを読んでくださっているのは、全世界のうちのほんの一部の方に限られています。ただ、そこから少しでも拡散してもらえたらというか、残しておかなければいけないと思いました。
それに、このことについては肝心のビートルズ自身があまり語っていないので、いろんな情報が入り乱れています。中には悪意があったり、誤解や事実誤認があったりもします。誤った情報が一人歩きしてしまい、そのまま定着してしまうのは、どうしても避けたいのです。
そこで、これまで語られてきたことも含めて情報を整理し、真実はどこにあるのか、事実をどう評価すべきかなどについて、この際、総括しておいた方がいいと思い、意を決して記事を書くことにしました。もちろん、解散時から言われ続けている「オノ・ヨーコがビートルズを解散させた。」という話題にも触れます。ちょうど50年を迎えた今、もう腹をくくって話すしかないでしょう(^_^;)
この件に関しては、ファンが百人いれば百通りの意見があります。私も自分なりの意見は述べますが、それはあくまで私見にすぎません。現実に起きた事実は事実としてお伝えしますが、それに対する評価は人それぞれです。誰が間違っているとも、正しいとも言えません。
すべては「Let It Be(あるがままに)」です。
2 ポールの脱退宣言
(1)ビートルズが解散を宣言したわけではない
ポール・マッカートニーは、1970年4月17日にリリースする予定のソロとしてのデビュー・アルバム「McCartney」について、PRのためのインタヴューはやらないことにしました。その代わり、彼は、アップルのピーター・ブラウンに質問とそれに対する回答をあらかじめセットした記事を書くよう依頼しました。そこには、彼がビートルズから脱退すること、そして、ジョン・レノンとのパートナーシップを解消する内容が含まれていました。
そのコメントは、デイリー・ミラーの記者であるドン・ショートによって、4月10日付けのデイリーミラー紙に掲載されました。マスコミは、これを「脱退宣言」と受け取り、これで事実上ビートルズは解散しました。この記事は、瞬く間に世界中に配信され、人々に衝撃を与えました。
これまでの半年ほどの間、「ビートルズは解散するのではないか?」との噂はあるにはありましたが、アルバム「アビイ・ロード」が大成功を収めたこともあり、まだ多くの人々は、ビートルズがこれからも活動を続けるだろうと考えていました。しかし、そういった極めて常識的な考えは、この瞬間に無残にも打ち砕かれたのです。
(2)世間は「脱退宣言=解散」と受け取った
ポールは、こう語っています。「世界の反応は「ビートルズ解散――公式表明」みたいな感じだったけど、僕たちには数か月前から分かっていた。まあ、これで本当におしまいになったんだけどね。誤解したのは、マスコミだったと思う。あのレコードには、僕が何をしようとしていたかについての質問とそれに対するおかしな説明がついていた。本当は、あれはマスコミに向けたものだったんだ。一部の人は、僕がソロアルバムを宣伝するためにしかけたと思ったようだけど、マスコミにあれこれ言われたくなかっただけさ。」
ポールがビートルズを脱退するとなれば、当然、記者会見を開いて彼単独でもインタヴューに応じるべきだったでしょう。しかし、そんなことをすれば、マスコミから意地の悪い質問を矢継ぎ早やにされて、自分自身が窮地に立たされるのが目に見えていました。彼は、それを避けるために声明文の公表という形をとったのです。
不幸なことに、彼自身の初のソロアルバム「McCartney」のリリース直前だったため、「脱退宣言をソロアルバムの宣伝のために利用した」と猛烈な批判を受けたのですが、実は、彼のソロアルバムのリリースの期日は既に予定されており、アップルも了解していたのです。それが覆されて「Let It Be」のリリースと重なるからずらすように迫られ、それに激怒したポールが脱退宣言をすることになったのです。
ジョンは、まだビートルズが解散する前の1969年12月、妻のオノヨーコと共に結成したPlastic Ono Bandのライヴアルバム「Live Peace in Toronto 1969」をAppleからリリースしていました。これは、ビートルズのメンバーがソロとしてリリースした最初のアルバムです。ポールにしてみれば「ジョンががソロアルバムをAppleから出したのなら、僕だって出してもいいだろう。」と考えたのも当然でしょうね。
1970年初頭には、ビートルズという部屋の中に気化したガソリンが充満した状態だったのですが、ポールのソロアルバムのリリースが遅らされたという火花で着火し、それでポールが爆発を起こし、引き続いてビートルズ全体が爆発したというところでしょうか。
3 インタヴューの抜粋(ビートルズに関する部分のみ)
Q:アルバムは、完成が近づくまで公表されていなかった。これは意図的なものなのか?
A:そうだよ。普通、アルバムはリリースされる時点でもう古くなっているからね。
Q:なぜ?
A:僕は、いつも、人々と同じようにビートルズのアルバムを買いたいと思っていた。これが次善の策だったんだ。リンダと僕は、リリースが待ち遠しかった。僕たちは、これが本当に大好きなんだ。
Q:ビートルズとの新しいアルバムやシングルを計画しているのか?
A:いいや。
Q:このアルバムは、ビートルズとしての活動を休止することを意味するのか、それともソロキャリアの始まりなのか?
A:時間が経てば分かるさ。ソロアルバムであるということは「ソロキャリアの始まり...」という意味であり、ビートルズと一緒にやっていないということは、単なる休止であるということだ。だから、両方の意味があるよ。
Q:ビートルズとしての活動の休止は一時的なものか、恒久的なものか。そして、それは、個人的な違いや音楽的なものから来るのか?
A:個人的な違い、ビジネス上の違い、音楽性の違いだけど、何よりも僕の家族との時間の方が大切なんだ。一時的なものか、恒久的なものかだって?それは、よく分からないね。
Q:レノン=マッカートニーが再び活発に作詞作曲していく時期が来ると思うか?
A:いいや。
読めばわかるとおり、ポールは、ビートルズを解散するとは一言も言っていません。むしろ、ビートルズとしての活動を一時的に休止するだけだという可能性も否定していないのです。
もっとも、レノン=マッカートニーとして新たな作品を制作することはないと言い切っている以上、実質的には脱退宣言と言わざるを得ないでしょう。そうとはいえ、本当はもっとビートルズを続けたかったという彼の本音が見え隠れします。この辺りの発言の揺れに彼の迷いというか、まだビートルズに対する未練を断ち切れていないところを感じます。
さて、こんな感じで書き始めましたが、このテーマが終わる頃にはもう4月になっているかもしれませんね(笑)
(参照文献)THE BEATLES BIBLE
(続く)
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