★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョン・レノン!ヘルプ・ミー!💦(255)

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1966年のトロントでのコンサート

1 ビートルズトロントでコンサートを開催したことがあった

「Maple Leaf Gardens, Toronto, Canada 1966 beatles  Press conference」の画像検索結果

前回、ジョン・レノンがカナダのトロントで開催されたロックンロール・フェスティヴァルに参加したことをお話ししました。この件については、コアなファンの皆さんがよく知っている話なので、フェイスブックのファングループの皆さんから色々なコメントを頂きました。前回書いた以外にも、色々とたくさんのエピソードがあったんです。

それで、もう少しこの時のことを掘り下げて記事にしてみようと思いました。結局、これがビートルズ解散への一つの動きになったわけですから。

実は、彼がトロントに来たのは、これが初めてではありませんでした。1966年8月17日、ビートルズは、彼らにとって最後となった北米ツアーで、メイプルリーフ・ガーデンの公演に出演するためにトロントに到着しました。ビートルズは、結局、このツアーを最後に一切のコンサートを止めてしまうことになったのです。

 

2 解散か前進か?

「Maple Leaf Gardens, Toronto, Canada 1966 beatles  Press conference」の画像検索結果

コンサートの前の記者会見で、記者は、ジョンに対し、バンドが解散する可能性があるかどうか質問しました。「僕たちは、ずっと手をつないで行くつもりはないさ。」とジョンは応え、出席した記者たちの笑いを誘いました。相変わらずユーモアとウィットに富んだ回答でしたが、ここからいつもの彼とは少し様子が変わりました。

彼は、さらに真剣にこう付け加えました。「僕たちは解散するか、前進するかのどちらかしかない...そうなるかもしれない。可能性はかなりあるよ。」

このジョンの発言は、かなり意味深ですね。このツアー最終日の8月29日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのコンサートが、本当に最後のコンサートとなりました。彼らは、もうこの時点でコンサートを止めるという決断を下していたのです。

彼は、インタヴューでははっきりとコンサートを止めるとは言いませんでした。しかし、「ビートルズがこれまでとは大きく変わる。」という可能性を言外に匂わせたのです。もっとも、この時点でそのことに気がついた記者は一人もいませんでした。というか誰も気がつきませんよね(^_^;)振り返って考えてみると「ああ、あの発言はそういう意味だったのか。」ということになるのですが。

もし、彼らが本当に人気をなくしていたら解散していたでしょう。しかし、ここからが、彼らが並みのミュージシャンとは違ったところです。彼らが出した答えは、アイドルからアーティストへと華麗な変身を遂げること、つまり、前進を選んだのです。

さて、ここで皆さんにクイズです。トロントビートルズの警備を担当したのは、オンタリオ州警察(OPP)でした。彼らは、単にビートルズを警備したというだけではなく、ビートルズに対してある重要なヒントを与えたのですが、それは一体何だったでしょう?正解は、次回のブログで発表しますが、もし、正解できたら相当コアなファンであることを認定します。え?そんなのとっくに知ってるって?参ったな(^_^;)

 

3 ジョニー・ブラウアとは?

(1)敏腕のプロモーター

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このコンサートのプロモーターであるジョニー・ブラウアについても少し触れておきましょう。彼のことについて詳しく知っている人はあまりいないでしょう。ブラウアは、1960年代後半にトロントでロック・プロモーターとしてスタートしました。

彼は、サンフランシスコのフィルモアというライヴハウスをモデルにして、トロントロックパイルというライヴハウスをオープンしました。そこに出演したのは、何とザ・フーレッド・ツェッペリンジェフ・ベックロッド・スチュワート!その後のロック界を背負うスーパースターたちです。いやはや凄い顔ぶれですね(^_^;)ブラウアには、よほど彼らの才能を見抜く力があったのでしょう。もちろん、ライヴハウスは連日大入り満員でした。 

しかし、彼は、毎週ライヴの予約を入れるという退屈な生活に飽きて、何か違うことをやりたいと思うようになりました。そんな時にポップフェスティヴァルの大流行が訪れたのです。1967年にはアメリカ、カリフォルニア州モントレーで「インターナショナル・ポップフェスティヴァル」が開催され、大成功を収めました。

今やロック・フェスティヴァルは世界中で開催されていますが、おそらくこれが最初だと言われています。彼は、友人のケニー・ウォーカーと一緒にカナダのトロントでもロック・フェスティヴァルを開催しようと企画しました

(2)カナダ初のロック・フェスティヴァル

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トロント・ポップ・フェスティヴァルで演奏するチャック・ベリー

彼は、こう語っています。「「モントレーでポップフェスティバルが開催されたのに、何でトロントでやらないんだ?」と色んな人から言われたから、何とかトロントでも同じようなフェスティヴァルを開催したいと思ったが、肝心の資金がなかった。そこで、高校時代の同級生が経営していたという縁で、有名なカナダのデパートチェーンのイートンズをスポンサーにつけることで必要な資金を集めた。」

こうして1969年6月21日、22日の2日間にわたって「トロント・ポップ・フェスティヴァル」が開催され、大成功を収めました。伝説の「ウッドストック・フェスティバル」は、同年8月に開催されましたから、それよりも2か月先行したことになります。

「スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ステッペンウルフがプレイしたが、そのショーを一番盛り上げたのはチャック・ベリーだった。彼は、25,000人ほどの群衆を「ダック・ウォーク(アヒルのように歩きながらギターを弾く彼の代名詞)」で熱狂させた。」

「ステッペンウルフ」というバンドを知らないという方も多いかもしれませんが、この「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」という曲は、聴き覚えがあるのではないでしょうか?今も日本のテレビのバラエティー番組などで、バイクが走るシーンになると定番のようにこの曲がBGMとして流されます。いかにも「これからバイクでかっ飛ばすぞ!」って感じのノリの良い曲ですよね。


Steppenwolf - Born To Be Wild (Easy Rider) (1969)

この成功に気をよくしたブラウアは、さらに規模を大きくしたフェスティヴァルを開催しようと考えました「「ロックンロール・リヴァイヴァル」とタイトルを付けて、レジェンドのロッカーと現代で活躍しているバンドを9月に1日だけショーを開催するというとんでもないアイデアを思いついたんだ。みんな飛びつくに違いない。」

 

4 チケットが売れない💦

(1)スポンサーにまで降りられた

それで、ブラウアとウォーカーは、信じられないくらい豪華なメンバーをブッキングして、ショーのタイトルを「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」と正式に打ち上げました。彼らは、チケットをすべて6ドルで販売しましたが、なぜか売れ行きはサッパリでした。同じ場所で3か月前に似たようなフェスティヴァルを開催したばかりですから、さすがに2度も行く人は少なかったのかもしれません。

ブラウアはこう語っています。「その土曜日に予定されていたショーの前の月曜日に、チケットがどれだけ売れているか知りたいと、スポンサーのトール・イートンから電話があった。その時点で、わずか2,000枚のチケットしか売れていなかった。ポップ・フェスティヴァルの前の月曜日、我々は、10,000枚以上のチケットを販売していたから、十分に利益は上がっていた。」

「トールは、それまで我々が必要とする資金を用意してくれていたが、今回は、莫大な損失が出そうだったので「もうこれ以上資金の提供はできない。」と言ってきた。ケニーと私は顔を見合わせ「そんなバカな。」と言った。それでエドジョという男から25,000ドルを借りなければならなかった。」

チケットは売れず、スポンサーには降りられるでお先真っ暗な有様でした。前回の成功に気をよくしてさらに大規模なショーを企画したところ、企画倒れで大赤字になってしまいそうでした。このままでは莫大な借金を抱えて破産です。ブラウアは、頭を抱えました。

(2)フェスティヴァルは中止か?

「ショーは、ほぼキャンセルされた状態になり、私は、そのことを家に帰って妻に話すのが怖かった。というのもその時には、私には生まれてまだ3か月の赤ん坊がいたからだ。その上で、ホテルに行ってキム・ファウリー(アメリカのレコードプロデューサー、シンガー・ソングライター。フェスティヴァルのMCを務めた。)とロドニー・ビンゲンハイマー(アメリカのラジオ・ディスクジョッキー。ヴァン・へレイン、デュラン・デュラン、コールドプレイなど多数のアーティストをいち早くラジオで紹介して世に送り出した。)にそのことを伝えようとしたが、我々が到着した頃には彼らもちょうど帰るところだった。」 

おっと、ジョンの話をしていたはずがドンドン脱線してしまってます(^_^;)すいません、もう少しお付き合いくださいm(__)m

 

(参照文献)VICE

(続く) 

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