1 ラジオ局は信用しなかった
(1)ブラウアには失敗した過去があった
限られた時間でコンサートのプロモーターであるブラウアとウォーカーは、ジョンがフェスティヴァルに出演するというビッグニュースを宣伝するために、迅速に行動しなければなりませんでした。ブラウアは、午前9時まで待ってから、トロントのチャムラジオに出向いてこのニュースを伝えました。
不運なことに、チャムラジオのスタッフは、彼らの顔を見て嘲笑しました。というのも、同じ年の初めに、ブラウアとウォーカーは、カナダでビートルズの映画「マジカル・ミステリー・ツアー」を上映する権利を与えられた唯一のプロモーターだったのですが、映画が大コケしちゃったんです。
トロントのオキーフ・センター、バッファローのクラインハンズ・ミュージックホール、およびモントリオールのセント・ローレンス・センターでのチケットの売れ行きに問題はありませんでしたが、オタワは完全に失敗しました。2,200席の劇場でしたが、前夜までに400枚のチケットしか売れていなかったのです。まあ、これは彼らの責任じゃないですけどね💦
(2)ラジオ局から追い出された
こんな大コケした人物が「ジョン・レノンが3年振りに2万人の前で演奏するコンサートをプロモートする。」というのですから、それを信じろと言う方がムリでしょうね(^_^;)彼らは、ラジオ局から追い出されてしまいました。
しかし、ブラウアにとっては死活問題です。いくらジョンがコンサートに出演して演奏してくれるといっても、事前に宣伝しなければルーフトップみたいなシークレットライヴになってしまって、チケットが売れませんから。
彼は、ジョンが出演してくれることを証明する必要がありました。それで、翌日、彼は、もう一度アップルレコードに電話して、ジョンが新しく結成するバンドの名前をテープに録音しました。
しかし、テープにエリック・クラプトンが出演するという話が録音されていても「どうせ、どこかのイギリスのアクセントのある偽者を使って録音したんだろう。」と疑われて相手にされませんでした💦
2 天の助け
(1)知人に助けを求めた
追い詰められたブラウアは、仲間のロックプロモーターであるラス・ギブに助けを求めることにしました。彼は、ビートルズもコンサートを開催したことのあるトロントのメイプルリーフガーデンで、かつてジミ・ヘンドリックスをプロモートしたことがありました。
「ザ・グランド・ボールルーム」というクラブをデトロイトで経営していたギブは、ミシガン州のアナーバーで毎週夜7時から深夜まで放送されている人気のラジオ番組のメインパーソナリティもやっていました。
ブラウアは、こう語っています。「ラスに電話したとき、彼は『ちょっと待て、君は、ジョン・レノンと直接話したのか?』私が肯定すると、彼はそれを信じてくれた。彼は、1時間ごとにラジオでコンサートについて放送で紹介してくれた。」
このギブという人物、この少し後でビートルズに関して大きな話題を提供することになりますが、もちろん、この時はそんなことになるとは夢にも思っていませんでした。まあ、それはある意味、彼が大きな影響力を持ったDJだったことを裏付けているともいえますね。
(2)チケットが完売!
「彼がラジオで放送してくれたおかげで、木曜日までにすべてのチケットがデトロイトのウィンザー地区で売り切れた。金曜日の朝、私たちの仲間の1人がさらに1万枚のチケットを追加で販売し、これも1日で売り切れた。」
「リスナーにとってラス・ギブは神だったから、放送を聴いた彼らは、チケットを買おうと4〜5ブロックも行列を作って並んだ。彼は、この情報を一般に公開する上で重要な役割を果たした人物だった。」
「捨てる神あれば拾う神あり」とは正にこのことでしょう。ラジオ番組で強い影響力を持つ知人のおかげで、ブラウアは、売れ残っていたチケットを完売できただけでなく、追加販売までできました。
彼は、コンサートのMCの勧めでジョンと直接電話で話しただけではなく、彼の方からコンサートで演奏すると申し出てくれ、ラジオ局のDJがそのPRをしてくれた。正に奇跡の連続です。しかし、これも彼が日頃から人間関係を大切にしていたおかげでしょう。どれか一つでも欠けていればコンサートは実現しませんでした。「With A Little Help From My Friends」、いや、Large Helpですね。
3 ジョンはドタキャンしようとした!
(1)ジョンが来ない!
ほっとブラウアは胸を撫で下ろしましたが、新たなトラブルが彼を待ち構えていました。「一難去ってまた一難」です。
9月13日土曜日の午前4時、ジョンとヨーコの私設秘書のアンソニー・フォーセットが、ロンドンのヒースロー空港からブラウアに電話をかけてきました。「彼の声は震えていた。」とブラウアは語っています。
「彼は、電話でこう言った。『エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト、マル・エヴァンス(ビートルズのローディー)は来ているんだ。でも、ジョンが来ないので彼に電話したら、彼とヨーコは、コンサートには出演できないから、その代わりに花を送ると言ってきた。』」
「私は、牛に激突されたようにベッドから飛び出た。私の生命が目の前で消えていきそうだった。何もかもお終いだ。」
「私は、『だめだ、だめだ。エリック・クラプトンに電話を代わってくれ。』私は、今年の7月にトロントでエリックのショーのプロモートをやった。素晴らしいショーだったが、2万ドルの赤字だった。エリックのレコードはショーまでに間に合わず、ショーの日に最初のシングル「Had To Cry Today」がリリースされた。」
「Had To Cry Today』は、クラプトンの所属したクリームが解散して後、彼が中心になって結成したブラインド・フェイスというロックバンドが、1969年8月にリリースしたアルバム「Blind Faith」に収録された曲です。このバンドは、エリック・クラプトン(G)、ジンジャー・ベイカー(Dr)、リック・グレッチ(B)、そしてスティーヴ・ウィンウッド(Kb,G)というあり得ないような一流のミュージシャンたちが集結したのです。このアルバムは、全英・全米チャート1位を獲得しました。
しかし、ブラウアがコンサートを開催した時点では、まだリリースされていなかったんです。逆に言えば、彼にどれほど先見の明があったかがよく分かりますね。
(2)必死の嘆願
「とにかく、エリックが電話に出たので、私はこう言った。『エリック、聞いてくれ。君は、多分、私を覚えていないだろうが、私は、夏にブラインド・フェイスのコンサートで2万ドルの損失を出したんだ。その時の貸しを返して欲しい。ジョン・レノンが今日現れなければ、私の人生は終わりだ。私は、住み慣れた街を出て、この国を捨てなければならない。』」
「ジョン・レノンが来るというから、私は、妻と子どもを連れてここへ来たんだ。いいかい?彼に電話してここへ来るように伝えてくれ。」
「クラプトンは、電話口で吠えた。『オレは、誰のためにこんな朝早くに起きたんだ。レノンの野郎は、オレたちを呼びつけておいて花を贈るだとお?ざけんじゃねえ💢』」
「私の必死の嘆願に応えて、クラプトンは、激怒してすぐにレノンに電話をかけた。『あんたは、一体何をやってるんだ?電話のこっち側には、オレたちが行かないと人生が終わっちまうヤツがいるんだぞ!そいつは、あんたが来るのをコンサート会場で今か今かと待ってるんだ!』」
クラプトンは、ブラウアのことをよく覚えていたんだと思います。彼が結成したばかりのブラインド・フェイスがまだブレイクする前にコンサートをプロモートして、大赤字を出したことももちろん分かっていて、そのことに対する感謝と申し訳ない気持ちもあったのでしょう。
「後でアンソニー・フォーセットから聞いたのだが、レノンは、エリック・クラプトンが彼に対して激怒したことに腹を立てたそうだ。でも、彼に対して怒るのはおかしいだろ?それはともかく、ジョンとヨーコは、大慌てでベッドを飛び出して空港にやってきた。」
ジョンは、電話だけのやり取りだったので軽い気持ちで応じたんでしょう。しかし、口頭でも契約は成立してますからね。流石にジョンも「これはヤバい💦」と慌てて空港へ駆けつけたんでしょう。ヘタをしたら、契約違反で莫大な損害賠償を請求されるかもしれませんから。
(参照文献)VICE
(続く)
下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。
よろしければ、下の「このブログに投票」ボタンをクリックして下さい。