★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

相手が大統領夫人だろうと、オレたちは行かねえよ!(280)

When the Beatles Snubbed Philippines First Lady Imelda Marcos

1 突然の呼び出し

(1)宮殿に来い!

Imelda Marcos | Imelda marcos, Filipiniana, Filipiniana wedding

前回の記事に若干の訂正と補足を加えます。ヨットは、裕福なフィリピン人実業家が所有する豪華なものでした。その24歳の息子が、友達にビートルズを披露するパーティーを主催したいと考え、許可なく勝手にヨットに乗り込んできたのです。

ただ、いかに豪華なボートであっても、周囲は銃を持った物々しい警備員に囲まれ、若者たちが勝手に乗り込んでくるし、暑くて湿度も高く蚊も飛び回っているという最悪の環境でした。しかも、コンサート直前までそこに軟禁状態というのでは、衣装に着替えることもリハーサルもままなりません。ビートルズもブライアンもたまらずそこを後にしてホテルに移動しました。

1966年7月4日、ビートルズがホテル・マニラのスイートルームに到着したのは午前4時でした。彼らが寝ている間に政府高官2名が朝遅くに到着し、彼らがビートルズを宮殿までエスコートすると告げました。ここから大事件が始まったのです。

ビートルズの広報担当であったトニー・バロウはこう語っています。「政府高官は『これは要請ではない。ビートルズに会いたがっている子どもたちが午前11時に集合する。』と冷たく言い放った。NEMSの社員のヴィック・ルイスは、シャツとズボンに着替え、僕に電話をかけ、遅い朝食を食べているブライアン・エプスタインに会いに行った。」

「ヴィックは僕にこう言った。『彼らは、怒らせたらヤバい人間だと彼に警告しなくちゃ。そっけない態度をとったら大変なことになってしまう。』予想通りブライアンは『ビートルズにこんなことを聞く必要はないよ、ヴィック、戻って我々は行かないと伝えてくれ』と応えた。」

「もし、この時点で皆が素早く積極的に行動していれば、ビートルズは宮殿にたどり着き、大惨事を回避できたかもしれない。ホテルからサッカー場までの護送車のルートを宮殿経由に変更できただろうし、滞在時間も外交的に最小限に抑えることができただろう。」

「しかし、エプスタインは、朝食を途中でおいて、正式な招待状がないことから、午後のコンサートの準備を始める時間になるまで彼らを起こさないと、独断で非常にもったいをつけて将校たちに伝えた。彼らは、何も言わずに去っていったが、数分後にエプスタインは英国大使室から電話を受け、もし、ビートルズがファーストレディからの招待を断ったら、非常に危険なゲームをしていることになると忠告し、ビートルズがマニラで受けている『援助と保護』は大統領の好意によるものであることを強調した。」

「エプスタインは頑なに拒否し、取り合わなかった。ビートルズは、この騒動に気づかずにスイートルームで眠りにつき、我々は、コンサート当日の準備に向けてその日の仕事をこなした。」

(2)フィリピンの政治情勢

マルコスが大統領選挙に勝利して就任したのは1965年12月でした。つまり、ビートルズは、マルコスとその夫人のイメルダが国民の人気絶頂の時にフィリピンを訪れたことになります。

権威主義的である彼らは、自分たちがフィリピンの支配者であることを誇示したかったのです。その上、彼らの子どもたちは、他の一般市民と同じようにビートルズファンでした。大統領夫妻の子どもたちが、ビートルズに会うために通りを歩き回ったり、リザール・スタジアムで汗を流したりする必要などない。招待すれば、当然、彼の方から来るだろう。そして、彼らは、音楽ルームで1曲か2曲ぐらいは演奏して我々を楽しませてくれる。午前11時には必ず来るはずだ。大統領夫妻もその子どもたちもそう固く信じ込んでいました。

 

2 ブライアンは頑なに出席を拒んだ

(1)絶対に行かない!

ブライアンは、自分の部屋に戻りましたが、武装した政府関係者たちは一向に立ち去ろうとしませんでした。ブライアンの部屋にある電話のベルが鳴ったので出てみると、イギリスの駐フィリピン大使からでした。大使は、ビートルズが昼食会を欠席するのは良くないと警告したのです。フィリピンでは、どのような形であれ、宮殿に招待されてそれを断るようなことは絶対にすべきではない。それは、彼らを侮辱することになるというものでした。

フィリピンの政治情勢に精通していた大使は、招待を断ったらとんでもないことになることが十分予測できたので、必死でブライアンを説得したのでしょう。しかし、ブライアンは、頑なに姿勢を崩しませんでした。そうこうしているうちに、警察隊やマニラ警察管区からも多くの警官が到着し、大統領警護隊の隊長も到着していました。彼らは、正午になってようやくビートルズを残して立ち去りました。

彼らが強引に連行しようと思えばできたでしょうが、流石にエリザベス女王から受勲されたビートルズにそんなことをすれば、イギリスとの国際問題になりかねない位の判断はできたんでしょうね。

もちろん、事前の約束もなく強引に宮殿に呼びつけたイメルダが無礼だったことは間違いありません。ブライアンが長旅で疲れて眠っているビートルズを叩き起こして、宮殿まで連れて行く気になれなかったのはよく理解できます。それにブライアンは、もし、彼らが正式な招待状を受け取っていたとしても、それを断っていただろうと述べています。彼は、こう語っています。「親が誰かを知っているからといってたまたま宮殿に来た300人の子どもたちよりも、インドで300人の子どもたちに会った方がずっといい。」

確かに、ブライアンの言う通りだったかもしれません。たとえ誰が説得しようと、ビートルズは拒否したでしょう。それは、彼らが権威を振りかざす連中が大嫌いだったからです。イギリス王室の招待で一度だけコンサートをやりましたが、その後は何度招待されても頑なに断り続けました。

 

(2)正式な招待はなかった

イメルダは、「正直言って、私はビートルズのことをあまり知らないの。」と語っていました。彼女は、プロの歌手を目指していたので音楽の素養は十分あったのですが、「ビートルズの音楽は私には速すぎる。」と感じていたのです。彼らの音楽には興味はなかったものの、スーパースターを招待して自分のステータスを誇示したかったんでしょうね。権力者が誰しも考えそうなことです。

後にフィリピンの関係者は、ビートルズが東京にいる間に、宮殿が7月4日の朝11時にレセプションに招待するという電報をビートルズに送ったと主張しています。その電報への返信は2日後、ビートルズが到着した日に届いたとのことです。その文面では、レセプションが午後4時に変更され、リザール・スタジアムでの最初のショーの直前になるのであれば、ビートルズは喜んで出席するとのことでした。

しかし、ビートルズがコンサート前の準備時間の不足を懸念して下船したことを考えると、この主張は疑問であり、説得力に欠けます。第一、レセプションの時間も変更にはなっていませんでしたからね。「事前の約束がなくても、ファーストレディが呼びつければ馳せ参じるだろう。」というイメルダの傲慢さと、それを何とか正当化しようとする側近の言い訳にすぎないでしょう。

 

3 ビートルズが宮殿に来ていない!

バロウは、「ビートルズは騒ぎに気付いていなかった」と回想していますが、大勢の警備員が押しかけて来たんですから、ビートルズが気付かなかったなんてことはありえません。実際、ジョージは、こう語っています。「翌朝、僕らは、ホテルのドアを叩く音で起こされ、外はパニック状態になっていた。誰かが部屋に入ってきて、『早く来い!お前たちは、宮殿に行かなければならない。』と言ったんだ。僕たちは、『何を言っているんだ?宮殿になんか行かないよ。」と応えた。『お前たちは、宮殿にいなきゃいけないんだ!テレビをつけてみろ!』

「テレビをつけたら、宮殿からの生中継だった。大理石の長い廊下の両側には人の列ができていて、子供たちは最高の服を着ていて、テレビのコメンテーターが『ビートルズがもう来ているはずなのに』と言っていた。」

「僕たちは、驚いてそこに座っていた。信じられなかったし、自分たちがいない宮殿をただ見ているだけだった。」 

 

4 余談

のんちさまのブログで、このブログについてこんな嬉しい記事を書いて頂きました。本当に嬉しくて涙がこぼれそうです。https://nonchi1010.hatenablog.com/entry/2020/07/23/004504

なお、上記のブログで触れていただいたジョンとポールの間の有名なエピソードについては、過去に投稿したこちらの記事をご覧ください。

https://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2016/04/17/012402

これからもこのブログをよろしくお願いします。

(参照文献)THE PAUL MCCARTNEY PROJECT, Esquire, THE BEATLES BIBILE

(続く)

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