★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ヨーコがビートルズ解散の原因だったのか?(295)

A Look Back at John Lennon and Yoko Ono's Infamous Love Story | Vogue

1 オノ・ヨーコジョン・レノンの生活と芸術への影響

ジョン・レノンオノ・ヨーコの関係についての人々の見方はさまざまです。ヨーコは、ジョンの芸術家としてのキャリアに悪影響を及ぼしたと主張する人もいれば、良い影響を与えたと主張する人もいます。いずれにせよ、ヨーコは、ジョンの人生と芸術的追求に、一般の人々にもはっきりと分かる方法で永続的な影響を及ぼしました。彼女がジョンに影響を与たと考えられるのは、主に次の点においてです。

①ジョンに前衛的なパフォーマンスアートへと焦点を当てさせた。

②ジョンのエネルギーをより政治的な方向へと誘導した

③ジョンの人生に愛と満足感をもたらし、彼の後の音楽に影響を与えた。

 

2 前衛的なパフォーマンスへの傾倒と政治への関与

(1)ヨーコの前衛芸術

オノ・ヨーコ個展、約45年の時を経て"公式"にMoMAで開催

ヨーコの前衛芸術家としての作品は、当時の主流となっていた社会が容認できる表現形式と考えられていたものの限界を押し広げることに焦点を当てていました。彼女の作品は、双方向性があり、観客を作品の一部に参加させました。

そもそも前衛芸術とは、既成の概念や形式を指定して革新的な表現を目指すものです。その革新性が普遍性に変わることもしばしばありますね。例えばゴッホに代表されるような印象派の画家とかピカソとか。

ヨーコの作品には、彼女自身が作品の不可欠な要素となるパフォーマンスアートが含まれていて、これがジョンに影響を与えることとなりました。おそらく、彼らのパフォーマンスアートコラボレーションの最も有名な実例は、彼らが新婚旅行でアムステルダムのホテルで行った「ベッドイン」と呼ばれたパフォーマンスでした。

(2)ベッドイン

John Lennon and Yoko Ono's Bed Peace was a Cosmic Joke | Den of Geek

二人は、裸でベッドに横になり、メディアは彼らと話すために招待されました。ジョンとヨーコは、このパフォーマンスは、人々に平和を受け入れるよう促すための政治的声明であると述べました。後にディック・キャヴェット・ショー(アメリカのコメディアンであるディック・キャヴェットがMCを務めたテレビショー)で彼らの表現方法について質問されたとき、二人は、彼らの芸術の形が多くの人にユーモラスであると認識されていることに気づいたと説明しました。

彼らは、そう語っていますが、う~ん、これはどうでしょうかね~?当時のほとんどの人の印象は「あの二人は一体何をやっているんだ?」という疑問でしかなかったと思います。このことはジョン自身も気付いていて、その後に制作した「ジョンとヨーコのバラード」で自虐的に描いていますよね。「新聞が書き立てた。彼は、彼女のせいで頭がいかれちまった。あいつらは薬漬けの伝道師に見える。」って。

彼らが自分たちの芸術をそのような物珍しく、物議を醸すような方法でパフォーマンスした意味は、目前の問題、彼らが最も熱心に取り組んでいたヴェトナム戦争の問題に世界の注目を集めることであると強調しました。彼らは、平和を達成するために全員がベッドに横になる必要はないと発言しました。彼らは、自分たちのアートを見ている人々が自分たちの平和のメッセージについて、もっと深く考えるように影響を受けることを望んでいました。*1

当時厳しく批判されたベッドインでしたが、全く無意味だったかというとそうではありません。その後、彼らは、「Give Peace A Chance」を仲間たちと一緒に歌い、平和の大切さを強調しました。このメッセージが全世界に届けられ、特にヴェトナム戦争に対する反戦平和運動が活発になったのです。

当時、戦場に駆り出されていたのは、アメリカの若者たちでした。彼らは、なぜ遠いヴェトナムで戦わなければならないのかということに疑問を持ち、やがて反戦運動が全米に拡大することになったのです。

 

www.youtube.com

(3)Revolution

youtu.be

1968年のビートルズの曲「Revolution」を取り上げてみましょう。この一曲について語るだけでも紙幅を取ってしまうので、解散と関係しそうな部分だけにしますが、それでもそのほとんどすべてが複雑な成り立ちでした。ビートルズがこれまでに制作した中で最も物議を醸す、あからさまに政治的な曲であり、ジョンにとっては私生活が深刻な混乱にあったさ中、そして1960年代の社会的および政治的激変のターニングポイントであった年に制作されました。

ジョン自身のメッセージに対するアンビバレンスと、グループ内のこの曲に関する意見の対立により、二つのまったく異なるヴァージョンの曲がリリースされました。そして、「Revolution」に対する大衆の反応は、高度に政治的なものであったのですが、それは、曲に込められたメッセージとリリースのタイミングを考えると驚くことではありません。実際、この曲がリリースされたことは、バンドと大衆との関係を永久に変えたという議論を巻き起こしたという見解もあります。*2

タイトルこそ「革命」と物騒ですが、ジョンは暴力的な革命には否定的なスタンスを取りました。もっとも、そこのところで彼自身が悩みぬいたのですが。これに刺激を受けたローリングストーンズは「Street Fighting Man」を制作しました。これもまた極めて政治的メッセージ性の強い楽曲です。

youtu.be

 

3 追い詰められていたジョン

(1)救いの女神

ジョンは、1965年に「Help!」を制作しましたが、彼の状況はまさにこの歌詞の通りで、本当に追い詰められていました。1964年にビートルズは全世界を制覇し、トップアーティストとなったのですが、常に彼らの一挙手一投足が全世界の注目を浴び、レコーディングやコンサート、マスコミの取材などに忙殺され、心身ともに疲れ果てていました。

そんな時に登場したのがヨーコでした。ビートルズのメンバーの中でもジョンはリーダーであり、一番風当たりの強い立場にありました。強気な発言とは裏腹に彼は繊細な性格であり、とても傷つきやすかったのです。そんな彼の前に現れたヨーコはまさに救いの女神だったと言えるでしょう。

(2)不倫関係から結婚へ

John Lennon and Yoko Ono's confessional, unapologetic "Wedding Album" |  Salon.com

1968年5月、ジョンは、シンシアに友達とギリシャで休暇を取るように勧めました。数日後、彼女が予定より早くケンウッドの自宅に戻ると、ヨーコがシンシアのバスローブを着て、ジョンと一緒にキッチンの床に足を組んで座っているのを目撃しました。パートナーの留守中に、別の異性を自宅へ連れ込んで関係を持つというのはよくある話ではありますが、その時のシンシアの心境は察するにあまりあります💦

彼女は、ジョンがたくさんの女性と関係を持っていることは知っていましたが、それでもじっと耐えていました。おそらく彼女にとって救いだったのは、それらの関係が一時的なもので、ジョンの心までが女性たちに奪われてはいなかったということでしょう。

しかし、ヨーコは別でした。ジョンは、完全に彼女に魂を奪われてしまったのです。夫の不倫現場を目撃し、その上、ヨーコが妊娠していることを知った後、ついにシンシアは、1968年に離婚しました。ヨーコは、1969年2月に出産予定でしたから、計算するとジョンがヨーコを自宅に連れ込んだ時と一致します。もっとも、この時の子どもは、1968年11月21日に流産してしまいました。ジョンとヨーコは、1969年3月20日にスペインのジブラルタルで結婚しました。*3

4 ヨーコが解散の原因だったのか?

(1)いずれ解散は避けられなかった

ヨーコが登場したことがビートルズ解散の原因だったといえるのでしょうか?今も昔も、彼女が解散の原因だと考えている人が大勢います。確かに、神聖不可侵な場所であるスタジオに入り込んできてジョンにあれこれと指示を出したりなど、音楽の分野でも彼女の影響は絶大でしたからね(^_^;)「あの女さえいなければ、ビートルズはもっと存続したはずだ。」という希望的観測が、そう考える人々の心の奥底にあるのではないでしょうか?

私は「ヨーコがビートルズの解散を早めた可能性は高いが、遅かれ早かれ解散は避けられなかった。」と考えています。ジョンとポールの音楽の方向性が大きく違ってきたことに加え、ジョージがコンポーザーとしての実力を付けたことで、三つ巴のような形になってしまいました。これでは、到底一つのバンドとしてまとまることは不可能でしょう。特に、自分の楽曲がアルバムに採用されないことでジョージは強い不満を感じていたので、このままビートルズに在籍していたら飼い殺しにされると考えて、彼が脱退した可能性は大いに考えられます。

(2)解散と無関係だったとはいえない

ただ、ヨーコが解散とは無関係だったと断言するのも真実ではないでしょう。2012年10月、ポールは、BBCのインタヴューに応え「ヨーコは解散の原因ではない」と発言しましたが、これはずっと後になってからのいわば「大人の発言」であり、額面通りには受け取れません。

いずれにせよ、ヨーコがジョンのビートルズに対する関心を薄めさせる触媒の働きをしたという側面は否定できないでしょう。彼は、ビートルズというカゴの中の鳥の状態から解き放たれることを望むようになったのです。それは人の心の動きであり、誰にもそれを止めることはできなかったでしょう。

(続く)

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。

よろしければ、下の「このブログに投票」ボタンをクリックして下さい。

 

*1:ロッツオヴエッセイズ

*2:John Lennon, “Revolution,” and the Politics of Musical Reception John Platof

*3:ミラー